2021/07/30

礼拝堂  11

  大事に育てられたにも関わらず、3人の若いイェンテ・グラダの生き残り達は、一族が親を殺したことに大きな衝撃を受けた。当然の反応だった。しかし、殺戮の目撃者だったニシト・メナクは、親達が殺害された理由を知らなかった。理解していなかった。

「若者達は、ただ我々を憎んだのだ。しかし育てられた恩はある。だから表立って憎しみを見せることはしなかった。あの時彼等が腹を立てたことを表明すれば、その後の悲劇は起こらずに済んだやも知れぬ。
 ウナガンは思い入れの強い女だった。彼女はシュカワラスキ・マナが大神官になるのなら、自分はママコナを産もうと考えた。」
「待って・・・」

 シオドアはまた口を挟んでしまった。

「先代が存命中に生まれた女性はママコナになれないのでしょう?」

 ムリリョが不気味な微笑みを浮かべた。

「ウナガンは当時のママコナの死を願ったのだ。」

 ケツァル少佐が溜め息をついた。彼女は、何故今迄誰も彼女に母親のことを教えてくれなかったのか、その理由がわかりかけてきたのだ。

「ウナガンは何をしたのです?」

 少佐はその質問をするのにきっと勇気が要っただろうとシオドアは思った。彼女の為にここでムリリョの昔話を打ち切って欲しかった。しかし、ムリリョはカルロ・ステファンが命を狙われる理由を推理する為に過去を語っているのだ。それを頼んだはシオドア自身だ。そしてケツァル少佐も知りたいのだ。彼女にとって大事な部下の安全の為に。否、部下以上の存在なのではないのか、あの若い黒いジャガーは。
 ムリリョは決してもったいぶる訳ではないだろうが、ストレートに本題に入らなかった。これは”ヴェルデ・シエロ”の流儀なのだろうか。

「ウナガンは一族が勧めるシュカワラスキ・マナではなく、ニシト・メナクと結婚した。メナクと彼女が互いに愛し合っていたことは大人達も知っていた。だから強い反対はなかったのだ。やがてウナガンは身籠った。誰もが彼女の腹の子はメナクの子供だと思ったのだ。生まれてくる子供が純血種である可能性は・・・」
「正確な親の遺伝子比率は不明ですが、単純にウナガンとメナク双方が2分の1のグラダだったとしたら、純血種の子供が生まれる確率は4分の1です。」

 シオドアはまたうっかり口出しした。驚くべきことにムリリョが笑った。

「お前は遺伝子学者だったな。」
「スィ、余計な口を出して済みません。」
「まぁ良い・・・」

 ムリリョはケツァル少佐を見た。

「ウナガンは純血種の子供を欲した。だから子供の父親は夫のメナクではなく純血種のマナを選んだ。そして純血種の子供を身籠れば、これは大人達も望んだことだ。だが、もし女の子だったら、ママコナの資格はない。ウナガンはママコナの女官をしていた。ママコナの食事の世話が担当だった。」

 その先は言われなくてもわかったのだろう、ケツァル少佐が舌打ちしたのをシオドアは聞いた。

「愚かな女だったのですね。」

と彼女が呟いた。そしてジュースの残りを飲み干すと、シオドアにちょこっと八つ当たりした。

「ビールはなかったのですか?」
「ごめんよ・・・」

 シオドアは何と言って彼女を慰めて良いのかわからなかった。ムリリョも悲しげに見えた。

「ウナガンは純血種がどんなものか知らなかった。己の腹の中にいる純血種が既にママコナの声を聞いて理解していることを知らなかったのだ。彼女はママコナに毒を盛ろうとして、何者かに阻まれた。手が言うことを利かなくなって配膳室で半狂乱になったところを他の女官達に発見された。ママコナは、彼女の腹の中の子が母親が罪人に身を落とすのを防ごうとしたのだと言った。ウナガンは信じなかった。ママコナが彼女の子を誑かしたのだと言い張った。女官達は彼女をピラミッドの地下に幽閉した。
 ニシト・メナクは妻を返すよう長老会に訴えた。そして妻を狂わせた腹の子を処分してくれと嘆願した。長老会は勿論彼の頼みを聞き入れなかった。子の父親が誰であれ、メナクには育てる義務があった。彼の妻の子なのだから。そしてシュカワラスキ・マナも我が子を欲した。だが彼はウナガンの夫ではない。長老会は彼の要請も拒んだ。」
「その時子供を父親に与えれば良かったのに・・・」

 シオドアが呟くと、ケツァル少佐が苦笑して、「それはない」と言った。ムリリョが白人に教えた。

「グラダが神と呼ばれた時代、父親と娘が結ばれることが往々にあった。娘の母親が妻でない女であった場合だ。」
「ええ?!」
「シュカワラスキ・マナは己の娘を将来の妻とする為に育てたかったと考えられた。しかし長老会はイェンテ・グラダの悲劇を繰り返すことを恐れた。そしてウナガンは実際に娘を産んだ。純血種のグラダの女だ。ウナガンは幽閉生活で体力が落ちていた。赤ん坊に初乳を与えるのがやっとだった。ママコナが彼女に子供に名前を付けるようにと呼びかけた。それがウナガンへの免罪だった。ウナガンは子供にシータと名付け、罪を許されて眠りについた。」

 少佐がハァっと息を吐いた。

「私は罪人の娘だった訳ですね。」

 しかしムリリョは首を振った。

「ウナガンはお前を産み、お前に名を与えることで最後に罪を許されたのだ。彼女を罪人呼ばわりする者は一族におらぬ。ママコナが無罪だと言えば無罪なのだ。それが”ヴェルデ・シエロ”の掟だ。」
「しかし彼女は夫でない男との間に子供を作り、その子をママコナにしようと目論んでママコナを毒殺しようと図ったのでしょう? 私の倫理観では、彼女は立派な罪人です。」
「お前がそう思いたいのならば、そう思っておれば良い。」

 ムリリョはシオドアを見て、肩をすくめた。その目が「母娘揃って頑固者だ」と言ったような気がして、シオドアは心の中で苦笑した。彼は取り敢えずムリリョに先を促した。

「2人の男達は何をしていたのです? ウナガンが幽閉されている間、彼女を助け出そうとはしなかったのですか?」
「ニシト・メナクは意気地のない男で、ひたすら妻を返せと訴えるばかりだった。シュカワラスキ・マナはウナガンが捕らえられて子供ももらえないと知ると、グラダ・シティから逃げた。」
「え?」

 驚きだ。失望したと言っても良いほどがっかりした。シオドアはそんな気分だった。純血のグラダだから、その強大な能力で好きな女を救い出して逃げたと言うならわかる。それが一人で逃げたのか?

「メナクの企みでは、マナを大神官に据え、ウナガンにママコナを産ませ、グラダ族が君臨する古代セルバ王国を再現する筈だった。彼等の親を殺した一族への復讐が目的だったのだ。しかしウナガンはママコナ暗殺に失敗し、マナは逃げた。マナは以前にも言ったが穏やかな性格の男で、大神官になるつもりなど毛頭なかったのだ。彼はただ愛する女を手に入れたかっただけだ。メナクの計画に乗る気概もなく、彼は姿を消した。メナクは妻を失い同志にも裏切られ、絶望した。ウナガンの死から半年後に自ら命を絶った。
 長老会は残された純血種の赤ん坊の処遇に対してかなりの話し合いを持った。儂はその頃はまだ若輩者だったから、どんな議事が行われたのか知らぬ。結論から言えば、赤ん坊は出来るだけ政治から遠ざけ、どの部族の影響も受けぬ環境で育てることになった。それがママコナの意向でもあった。生母が殺人者となるのを腹の中から防いだ子だ。並の”ヴェルデ・シエロ”では養育しきれまいとママコナも長老達も考え、一番”ヴェルデ・シエロ”らしからぬ”ヴェルデ・シエロ”に育てさせることに決まった。」

ああ、とシオドアとケツァル少佐は同時に声を上げ、互いの顔を見て慌てて目を逸らした。

「あの白人に限りなく近いミゲールはお前を上手く育てた。狭い部族社会では今のお前はなかっただろう。」
「私の親はミゲール夫妻以外にいません。」

 ケツァル少佐は元気を取り戻した。この復活の速さは何処から来るのだろう。
 シオドアはそろそろカルロ・ステファンが命を狙われる理由に辿りつかないかと焦れてきた。時刻も遅くなってきている。しかしムリリョはまた逃げた純血種に話を戻した。

「シュカワラスキ・マナはグラダ・シティから逃げ出した後、オルガ・グランデへ行った。セルバ共和国第二の都市だ。鉱山労働者は身元があやふやでも雇ってもらえたのだ。彼はそこでイェンテ・グラダの生き残りと出会った。」
「カルロのお祖父さんだ!」

 シオドアは思わず声を上げた。やっと話が目的に近づいて来た?

「グラダはグラダを見分ける。マナとステファン一家はそこで知り合ったのだ。マナがどこまで己の身の上を明かしたのかはわからぬ。彼はカタリナ・ステファンを妻に迎えた。」

え? シオドアは一瞬思考が停止しかけた。それって・・・まさか? 彼がケツァル少佐を見ると、少佐は諦めた様な表情をしていた。

「シュカワラスキ・マナが純血種だと聞いた時から、そんな気がしていました。」

と彼女は言った。 そして、不意に礼拝堂の入り口に向かって言った。

「いつまでそこに隠れているつもりですか? ここへ来て一緒に聞きなさい。」

 シオドアは跳び上がった。礼拝堂の扉が僅かに開いて、カルロ・ステファンが姿を現した。その顔は強ばり、蒼白だった。いつからそこにいたんだ? シオドアは心の中で問いかけた。どこから今の話を聞いていたんだ?
 ムリリョが微笑した。そして腕を振った。

「こっちへ来て座れ、シュカワラスキ・マナの息子。」


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