大統領警護隊文化保護担当部が通常の業務をしていると、有り難くない客がやって来た。彼の姿を見た文化財・遺跡担当課の職員達が急に用事が出来て席を立ったり、熱心に仕事を始めたりした。彼と目を合わせたり口を利いたりしたくないのだ。当人もわかっていて、無言でカウンターの内側に入ると、大統領警護隊文化保護担当部のケツァル少佐の机の前へ直行した。少佐は忙しいふりをしてパソコン画面に目を凝らして睨みつけた。ステファン大尉が客に声をかけた。
「何か御用ですか、セニョール・シショカ?」
建設大臣マリオ・イグレシアスの私設秘書にして”砂の民”でもあるマスケゴ族のシショカは、”出来損ない”を無視して少佐に話しかけた。
「昨晩の詳細をお聞きしたいと大臣が仰せです、ケツァル少佐。」
ステファン大尉には初耳だった。彼はロホを振り返った。ロホは知らん顔をして書類をめくっていた。デネロス少尉も何も知らないので、書類を見るふりをして、そっとシショカの様子を伺っていた。
ケツァル少佐が画面を見たまま言った。
「お昼に建設省へ伺います。それでよろしいか?」
4階の人間全員が振り返った。ケツァル少佐がイグレシアス大臣の誘いを受けた?!
シショカがなんとも言えない表情で彼女を見下ろした。
「どう言う風の吹き回しかな、少佐?」
「ご不満ですか?」
少佐がキーボードを力強く叩いた。プリンターがいきなり作動して、客をギクリとさせた。
「それは勿論、大臣は喜ぶでしょうが・・・」
シショカが不審そうな表情を続けた。
「無理に誘いに応じることもありませんぞ。」
少佐が初めて顔を上げて彼を見上げた。
「私は仕事で大臣に会うのです。そちらこそ、ご不満ですか?」
2人が見つめ合った。ロホのパソコンにメッセージが着信した。見るとデネロス少尉からだった。
ーーグラダに張り合うマスケゴって、身の程知らずよね?
ロホは仕方なく返信してやった。
ーーヤツが勝てる訳ないさ。
シショカがケツァル少佐の目から視線を外した。額に微かに発汗していた。失礼、と彼は呟いた。
「お昼にお越しになるのですな?」
「12時20分に大臣のオフィスに伺います。用件が済み次第すぐに帰りますから、余計なお気遣いは無用です。」
シショカは承ったと軽く頭を下げて、他の人間には見向きもしないで去って行った。
少佐は部下達の視線に気がつくと、建設大臣との会見には触れずに指示を出した。
「ステファンは半時間後に病院にアスルを迎えに行きなさい。そのまま大統領警護隊官舎へ連れて行くこと。エステベス大佐が、宿無しの彼を心配して松葉杖が不要になる迄面倒を見て下さるそうです。」
「承知しました。」
「デネロスはこれからプリントアウトする書類をセルバ国立民族博物館へ届けなさい。ムリリョ博士がいらっしゃれば、直接お渡しして。用事が済めばすぐに帰って来なさい。
ロホは建設省まで私の供をしなさい。」
「わかりました。」
「承知しました。」
ステファン大尉がチラリとロホを見た。通常なら指揮官の運転手はその部署の末席の者が務める。しかし少佐は建設省に行く時は決してメスティーソの部下を同伴しない。ステファンも連れて行ってもらったことがないし、単独で遣いに出されたこともない。本来ならアスルが運転手をするところだが、その日本人は病院から退院するので上官のロホが務めるのだ。だからこの人事は当然なのだが、ステファン大尉は何となく朝から少佐とロホが目で会話する回数が多い様な気がしていた。それにロホ同様に官舎に住んでいるデネロスが、昨晩ロホが戻らなかったと言う噂を仲間から聞きつけていた。一番気に入らないのは、ロホが漂わせている石鹸の香りが少佐と同じ物だと言う事実だった。
ロホがステファンに声をかけた。
「私が出かけるのは昼前だから、君の書類を片付けておく。」
「グラシャス。」
ステファンは書類を整理してロホの机の上に置いた。一瞬目が合った。
ーー昨晩、少佐の家に行ったのか? 少佐は大統領の警護に就かれていた筈だが。
ロホは目を逸らすと言う失礼な振る舞いが出来なかった。相手は親友だ。
ーー行った。テオも一緒だった。
ーー何の為に?
ステファンは母と妹の家探しに友人達が少佐を巻き込んだのかと懸念した。しかしロホは一言、
ーー事件があった。
とだけ伝えて目を逸らした。ステファンは上官の視線を感じてケツァル少佐を振り返った。少佐が首を小さく振って、「来い」と合図した。彼女についてエステベス大佐のプレートが掛かったドアの向こうの部屋に入った。彼がドアを閉じると、少佐が言った。
「デネロスとアスルには絶対に伝えてはなりません。」
そして彼の目を見た。
ステファン大尉は衝撃を受けた。アリアナ・オズボーンが誘拐された? そして鏡に書かれた不吉なフレーズ。もしかしてトゥパル・スワレがシュカワラスキ・マナの血縁者を全員殺すと宣戦布告したのかも知れない。だが・・・
ステファン大尉は少佐にこう言った。
「祖父が若い頃に”星の鯨”を地底で見たと言っていました。父はそれを探すために地下へ降りたのだと祖父は私に言ったのです。子供の頃は、父はそんな伝説の鯨を探して落盤で亡くなったのだと信じていました。ムリリョ博士の話を聞いた後は、父の死の真実を孫に知られまいとした祖父の作り話だったと思いました。しかし、昨夜ドクトル達の家の鏡にそんなフレーズが書かれていたとなると、祖父の話が本当だったのではないかと思い始めました。」
少佐が困惑した表情になった。彼女は髪を掻き上げて考えるポーズになった。滅多にないが、彼女が悩む時の癖だと部下達は知っていた。
「ステファンのお祖父様が若い頃に”星の鯨”を見たと言ったのですね?」
ステファン大尉がぼんやりとした記憶の中に残る祖父から伝えられたイメージを”心話”で少佐に見せた。真っ暗な闇の中で何か輝く大きな物がキラキラ光る物に包まれている、奇妙なイメージだった。
「そのイメージはお祖父様から父にも伝えられたのでしょうね?」
「恐らく・・・父はそのイメージを殺される前にトゥパルに見られたのではないでしょうか。」
少佐は更に考えようとしたが、ドアをノックする者がいた。デネロスの声が聞こえた。
「大尉、そろそろ行かないとアスルが病院で待ちぼうけを食いますけど?」
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