2021/08/05

太陽の野  11

  マリオ・イグレシアス建設大臣は憧れのケツァル少佐が建設省に足を運んでくれたので大喜びだった。しかし少佐は先に憲兵隊隊長と特殊部隊第17分隊分隊長も呼んでいた。ロホは大臣執務室の前にある秘書室で大臣の公設秘書と私設秘書を眺めながら従者用の席に座っていた。憲兵隊の担当班長と特殊部隊の副隊長も一緒だ。3人の軍人が無言で座っているので、公設秘書は落ち着かない様子で、パソコンを眺め、執務室のドアを眺め、机の引き出しを開け閉めして動き回った。私設秘書のシショカは静かに座っていた。新聞を広げ、隅々まで目を通している。多分、どちらの秘書も早く昼休みにしたい筈だ、とロホは思った。面会を昼にしたのは、ケツァル少佐の意地悪に他ならない。
 遅れて亡命審査官のシーロ・ロペス少佐が入って来た。ロペスから微かに脂の匂いがしたので、ロホは彼が先に昼食を済ませて来たことに気がついた。ロペスも大臣への嫌がらせが好きなのかも知れない。
 憲兵と特殊部隊の副隊長は”ヴェルデ・ティエラ”だ。だが厳しい訓練を欠かさず行っているプロの軍人には違いない。大統領警護隊の隊員とは言っても長年事務仕事を専門にやって来たロペス少佐とは雰囲気が違った。ロホは彼等の方に親しみを感じた。だから、ロペス少佐が大臣執務室に入ってしまうと、誰へともなく彼は話しかけた。

「シャベス軍曹の行方は掴めたか?」

 一瞬憲兵班長と特殊部隊副隊長が目を見交わした。勿論”心話”など出来ない。互いにどっちが話しかけられたのだろうと、探り合ったのだ。大統領警護隊に質問されたので答えなければと、彼等は焦った。副隊長が先に言った。

「C C T Vのデータを提出させて片っ端から見ている最中です。」

 憲兵班長も言った。

「当方も同じです。特殊部隊とは言え、車ごと姿を消して逃げられる筈がない。」

 副隊長がムッとして憲兵に抗議した。

「シャベスは犯人に脅されて誘拐の手伝いをさせられたものと思われる。逃げたのではない。」
「特殊部隊の隊員が抵抗せずに誘拐に手を貸すことを強要されるとは信じられない。」
「ドクトラを人質に取られたら、抵抗出来ないだろう。」
「犯人は何人だ? 複数犯とは思えないが?」

 副官同士で縄張り争いをしているので、執務室の中ではもっと熾烈な争いが繰り広げられていることだろう、とロホは思った。
 分隊長がロホを振り返った。

「大統領警護隊はこの件にどう関わっておられるのか? 亡命者達がケツァル少佐のお友達だと言うことは伺っているが・・・」

 憲兵班長がしたり顔で言った。

「現場のバスルームの鏡に呪い文が書かれていた。」
「呪い文?」
「鯨の文だ。」
「ああ・・・」

 分隊長はキルマ中尉から呪い文の存在を聞かされていたのだろう、頷いた。

「分隊長が言っていた。君等が鏡に書かれた文を見てビビっていたと・・・」
「それは分隊長殿の勘違いだ。」

 憲兵班長がニヤリとした。

「ビビってラ・パハロ・ヴェルデを呼んだのは、君等の分隊長殿の方だ。」
「何だと?!」

  副隊長が立ち上がったので、憲兵班長も立ち上がった。ロホは彼等が取っ組み合いの喧嘩を始める前に止めなければならなかった。

「キルマ中尉がケツァル少佐を呼んだのは、呪い文が古代の神の神聖さを汚す文面だったからだ。もし本気の呪いだったら、最初に見つけた憲兵に呪いがかかるところだった。悪霊祓いが必要になった場合を考えて、キルマは気を利かせて少佐を呼んだのだ。」

 ロホの言葉に、新聞を眺めた姿勢のまま、大臣私設秘書のシショカが口元に笑を浮かべた。呪い文を発見した時の”ヴェルデ・ティエラ”達の慌て様を想像したのだろう。”ヴェルデ・シエロ”にとっては古代の神を冒涜した怪しからぬ文にしか過ぎないが、”ヴェルデ・ティエラ”にとっては不吉で恐ろしいものなのだ。ロホは文を発見した時の憲兵達の怯えた様を笑う気になれなかった。少佐も憲兵達を脅かした文に腹を立てていた。神聖な言葉を汚されたのだ。
 副隊長と憲兵班長が互いに睨み合い、そしてソッポを向いて椅子に戻った。
 執務室のドアが開き、足早に憲兵隊隊長が出てきた。班長が立ち上がった。隊長が聞こえよがしに言った。

「C C T Vに手配の車が映っていた。西へ向かったようだ。」
「郊外はカメラがありません。」
「オルガ・グランデに連絡を取って、あちらに来たら捕まえるよう指示したまえ。」
 
 2人の憲兵は秘書達に挨拶もせずに出て行った。続いて特殊部隊第17分隊分隊長キルマ中尉が出てきた。何も言わずに、立ち上がった副隊長について来いと合図して、こちらも無言で去って行った。
 最後に出て来たケツァル少佐は、時計を見て、ロホに話かけた。

「お昼に何を食べましょうか?」

 ロホは執務室の中をチラリと見た。大臣が何処かに電話をしているのが見えた。手前の席にいるロペス少佐も何処かに電話中だ。ロホは何となく辛い物が食べたくなった。

「スパイスが効いた肉料理などが良いですね。」
「ビエン」

 少佐が微笑んで、秘書達には目もくれずに歩き出した。ロホは立ち上がり、公設秘書にさようならと言って後に続いた。


0 件のコメント:

第11部  紅い水晶     20

  間も無く救急隊員が3名階段を昇ってきた。1人は医療キットを持ち、2人は折り畳みストレッチャーを運んでいた。医療キットを持つ隊員が倒れているディエゴ・トーレスを見た。 「貧血ですか?」 「そう見えますか?」 「失血が多くて出血性ショックを起こしている様に見えます。」 「彼は怪我...