2021/08/02

太陽の野  2

 朝夕の送迎の車を運転するエウセビーオ・シャベス軍曹は、シオドアとは仕事の話しかしなかった。守られる対象者と世間話をするのは護衛としては良くない傾向だ。シオドアはシャベスの様子を観察してみたが、向こうもシオドアがいる時は尻尾を出さなかった。アリアナが親しげに話しかけると、少し声音が柔らかくなるだけだ。アリアナも彼が気に入っている素振りを見せなかったので、シオドアはデネロスの取り越し苦労だと思いたかった。
 デネロス少尉が遊びに来た雨の日から3日経った。天気が良かったので、シオドアは夕食を外で取ろうとアリアナを誘ったが、断られた。医学部の研究があるので遅くなると言う。それで運転手を彼女に譲って、彼は街で食べて一人で帰ることにした。賑やかな通りをぶらついて、目に入ったバルに立ち寄った。立食用カウンターで一人で軽く飲みながら小皿の料理を摘んでいると、こんばんは、と声を掛けられた。振り向くと、カルロ・ステファン大尉が立っていた。仕事帰りで腰から下はジーンズだが、恐らく規則に従ってホルダーで拳銃を装備している筈だ。Tシャツの上に着込んだジャケットで隠している。 シオドアは「ヤァ」と返して、隣を指した。ステファンはそこに自分のグラスと皿を置いた。

「少佐の傷はもう良いのかい?」
「経過良好なんじゃないですか?」

とステファンは他人事みたいに言った。

「私に見せてくれる筈がないじゃないですか。」
「そうかい?・・・俺は頼みもしないのに見せられたことがある。目のやり場に困ったぞ。」
「あの人は時々そう言う突飛なことをするんです。ロホも悪霊退治の最中に彼女が脱ぎだして困ったと言っていました。」
「何のために脱いだんだ?」
「悪霊をびっくりさせたんですよ。」

 2人はクスクス笑った。

「アスルは何時退院させてもらえるんだい?」
「後3日です。しなくて良い格闘をして脚を折ったので、副司令がご立腹で、私より謹慎期間が長かったんです。」
「良いじゃないか、骨休み出来てさ。」

 シオドアはビールを流し込んだ。

「俺だって、好きな女性が傷つけられたら頭に来るさ。相手をぶん殴る。」
「・・・」
「だけど、あの状況でも立場を忘れない少佐も凄いよな。」
「あの方は・・・」

 ステファンが呟いた。

「とても遠い。」

 シオドアは彼を見た。ステファンはグラスの中のビールの気泡を見ていた。

「エルドラン中佐に言われたのです。彼女を手に入れたくば、彼女より上へ行けと。」
「それは・・・」

 どう意味だ? 何時、そんなことを言われたのだ? 姉弟関係を知る前か、それとも後か?

「まだ彼女を諦めていないってことか?」
「いけませんか?」

 ステファンがシオドアの目を見た。そんなに見つめられても何も伝わらない。シオドアは小声で言った。

「君の姉さんだぞ?」
「半分だけです。」
「父親は同じ人だ。」
「母親は違います。」
「それでも彼女は君の姉さんだ。」
「それは”ヴェルデ・ティエラ”のルールです。私達は”ヴェルデ・シエロ”です。」

 シオドアは思わず周囲を見回した。誰も聞き耳を立てていない。

「それがグラダの常識なのか?」
「私達の常識です。ブーカでもサスコシでも、7部族共通の常識です。」

 シオドアは唖然とした。母親が異なると他人扱いになるのか? ステファンはビールを流し込んだ。 お代わりを注文した。

「私はまた任務に力を入れます。昇級して、少佐より上を目指します。必ず彼女を手に入れて見せます。」
「彼女は承知しているのかい?」
「彼女が誰を選ぶかは、彼女にしかわかりません。」

 ステファンをシオドアをじろりと見た。

「貴方もライバルだと考えてよろしいですね?」

 シオドアはドキッとした。

「俺は白人だが・・・」
「でも彼女のことが好きでしょう?」
「勿論・・・」
「彼女は人種なんて気にしませんよ。」

 ステファンがちょっと拗ねているように聞こえた。

「彼女は貴方の手が彼女に触れても拒まない。礼拝堂で彼女が傷を痛がった時に貴方が労ったでしょう。あれが私だったら、手を振り払われていました。」
「ああ・・・」

 そう言えば、あの時ステファンは怒っていた。シオドアは殺気を感じたのだ。

「あれはだね・・・彼女は俺を対等の立場だと考えているから容認してくれたんだ。」
「貴方と彼女が対等?」
「スィ。君は彼女の部下だ。彼女は部下に気遣ってもらいたくない。弱みを見せたくないんだ。」
「しかし、彼女は疲れた時は平気で私にもたれかかってきます。」
「君は頼れる大樹だ。公園の木の幹と同じだ。椅子の背もたれとか、カウンターとか・・・」

 ひどいなぁと言ってステファンがやっと笑ってくれた。その笑顔が、シオドアに例の男を思い出させた。メスティーソだからと言う訳ではないが、笑うとちょっと印象が似ている。

「カルロ、内務省の指図で俺達の監視と護衛をしている運転手のシャベス軍曹を知っているだろう?」
「知っていると言われる程では・・・あなた方を通してしか知りませんが、彼がどうかしましたか?」

 シオドアはちょっと躊躇った。

「俺は見た訳じゃないんだが、シャベスがアリアナと仲良くしていると言う情報があるんだ。」
「仲良く?」
「必要以上に世間話をしたり、親し気にしていると・・・アリアナも最近お洒落になったと言うんだ。」

 ステファン大尉がちょっと考え込んだ。彼も一度アリアナと関係を持ったことがある。彼の方は助けてくれた恩人の要求に応えただけの様だが、アリアナは真剣になりかけていた。今でも彼と2人きりになるのは勇気が要る様に思える。

「気に入りませんね。」

と大尉が言った。

「彼女が誰を好きになろうと私に口出しする権利はありませんが、護衛が守るべき人に手を出すのは許されない。シャベスの上官は誰です?」
「上官に言いつけるのかい?」
「戒告が必要かどうか、上官の判断によりますが、黙っているのは良くありません。シャベス軍曹は私と同じ年代です。若いですから、過ちを犯す可能性もあります。」

 経験者がそう言うのだから、忠告を聞き入れるべきだろう。シオドアはわかったと応えた。

「明日、彼の上官にそれとなく注意しておくよ。」



1 件のコメント:

Jun Tacci aka ねこまんま さんのコメント...

大統領警護隊には副司令官が2名いて、昼夜で交替する。
トーコ中佐とエルドラン中佐である。

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