「明日からはまた普通の業務に戻るんですか?」
とマハルダ・デネロス少尉が尋ねた。 ケツァル少佐が頷いた。
「スィ。但し、アスルはまだ足が不自由ですから・・・」
「もう歩けます!」
アスルが主張したが、少佐は無視した。
「アスルがしていた仕事をデネロス、貴女がして下さい。」
え? と全員がちょっと驚いた。アスルは確実にショックを受けた。仕事を後輩に取られるなんて屈辱ではないか? シオドアは彼が可哀想に思ってしまった。しかし少佐は部下の抗議を受け付けなかった。
「短期間の業務内容の交換です。軍の警備隊の手配を承認が通った申請書に従ってデネロスが行います。アスルはデネロスがしていた申請書のチェックとデータ入力です。誰もが最初に行う業務ですから、まだ覚えているでしょう?」
「そうですが・・・」
「デネロスにも現場へ出る準備が必要です。彼女が手配した警備隊の最終確認はアスルがしなさい。」
「承知しました。」
下っ端の仕事と指南役を命じられて、アスルは渋々承知したのだ。文化・教育省はエレベーターがない。脚を折ったアスルを4階まで何度も往復させまいと少佐なりの気遣いなのだろうけれど、その気になれば直ぐに傷を治せる”ヴェルデ・シエロ”にとっては却って嫌がらせだ。もっとも・・・
「私もまだ本調子ではないので、大臣や他のセクションとの会議には、ステファン大尉に出席を命じます。」
少佐もまだ階段の登り降りを頻繁にするのは辛いのだ。会議の席が苦手なステファン大尉が不承不精承った。恐らくロホに代わってもらいたいだろう。そのロホは発掘調査隊監視のスケジュールがぎっしり詰まっていた。少佐が駄目、アスルも駄目、ステファンも忙しいとなると、中間の彼が全部負うことになる。
大統領警護隊文化保護担当部の業務打ち合わせが終わったと思われた時、アリアナが、「私も・・・」と声を出した。シオドアが振り返ると、彼女が遠慮がちに話し出した。
「私も職場を変わることになったの・・・」
「はぁ?」
シオドアは思わず声を上げた。全然そんな話を聞いていない。と言うか、事件の後、亡命観察期間の住居に戻るのを拒否したら、シオドアとアリアナは別々の住まいに移されてしまい、あまり顔を合わせていなかったのだ。シオドアは送迎の必要がない大学の寮に入居させられ、アリアナは大学病院の職員寮に移された。互いの仕事に変更があれば連絡を取れば良いではないか、とシーロ・ロペス少佐に言われた。しかしアリアナは仕事に変更がある話をシオドアにしていなかった。
「変わるって、何処へ?」
「カンクンよ。」
「カンクン?!」
メキシコだ。少佐とロホが顔を見合わせた。デネロスとステファンも戸惑った。
「セルバから出るの?」
とデネロスが不安そうな声で尋ねた。 アリアナはちょっと笑おうとして、おかしな表情になった。きっと彼女も涙が出そうになったのだ。
「国籍はセルバ共和国なの。カンクンの遺伝病研究施設へ出向になるのよ。半年の予定で、次のクリスマス迄には帰って来られるって、ロペス少佐が言うの。」
「シーロがね・・・」
と少佐がちょっと不機嫌な声を出した。誘拐事件の渦中にあったアリアナをスキャンダルから遠ざける為に考え出した策だろうが、彼女一人だけを遠ざけるのは最善策と思えなかったのだ。
アリアナが無理に笑おうとした。
「ロペス少佐が意地悪をしたんじゃないのよ。内務大臣の弟の建設大臣のところの・・・」
「シショカ?」
とシオドアが名前を出した。”ヴェルデ・シエロ”達が彼を見た。アリアナが頷いた。
「そう、秘書のシショカって人が、私があまりにも事件の細部に入り込み過ぎたって言ったんですって。」
シショカは”砂の民”だ。”ヴェルデ・シエロ”の秘密を知ろうとする外国人やセルバ共和国の国益に反することをする市民の抹殺を行う役目を負う人間だ。ステファン大尉がアリアナに優しく言った。
「ロペス少佐は貴女をシショカから守りたいと思っている訳ですね。」
「スィ。」
アリアナがやっと微笑みらしい微笑を浮かべた。
「”ヴェルデ・シエロ”がいない国で、私が言語に不自由しなくて、出来るだけセルバ共和国に近くて、私の知識が活かせる職場を探して、カンクンの病院を見つけてくれたの。そこなら、私がもし何かの弾みにこの国の秘密を口走っても誰も気にしないだろうって。半年も経てばセルバ人は事件を忘れてしまうし、過去の詮索をしないマナーで噂も消えてしまうから、また帰って来なさいって・・・」
「何故君だけなんだ? 俺は放置しても平気だって思われているのか?」
とシオドア。
「貴方は大丈夫でしょう。シショカも寄り付かない。」
と少佐がぶっきらぼうに言った。なんで? とシオドアが問いかけるのを無視して、彼女はアリアナの手を取った。
「半年の我慢なのですね? 電話やネットでお話しするのは構わないでしょう?」
「ええ!」
アリアナが頷くと、デネロスも尋ねた。
「私達が出張で訪ねても良いんですよね?」
「その筈・・・」
出張? と少佐がデネロスを睨んだので、アリアナは思わず笑いそうになった。
シオドアはアスルが静かなのに気がついた。アスルは黙ってアリアナを見ていた。
コイツ、本当にアリアナのことが好きなのか?
アリアナがシオドアの視線の先に気がついた。ちょっと躊躇ってから、アスルに目を合わせた。
「もし、機会があれば遊びに来て・・・一緒にメキシコの遺跡巡りとか出来れば良いわね。」
するとアスルは精一杯無愛想に言った。
「俺と一緒に歩くなら、サッカー場巡りになりますよ。」
ロホが彼の後頭部をペンっと叩いた。しかしアリアナは笑ってアスルに言った。
「サッカー場の方が私の性に合っているかもね。」
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