2021/08/14

星の鯨  12

  シオドア達がいなくなると、メナクはシャベス軍曹を連れて神殿へ入った。神殿は汚れていなかったが、血の匂いで満ちていた。それはケツァル少佐が決して万全の体調でないことを彼に伝えた。彼等は遠くへ行けない。そう踏んだメナクが神殿で休んでいると、声が壁の向こうから聞こえてきた。驚いた。シオドア達は、禁断の聖地を発見した様子だった。神殿の仕組みがどの様になっているのかわからなかった。もっとよく聞こうと壁に近づいて歩いていると、”入り口”を見つけた。巧妙に隠された様な狭い”入り口”だったが、メナクはシャベス軍曹を連れて通った。
 ”出口”から出たメナクはその場所のあまりの美しさと異様さに暫く動けなかった。その場所が何なのか理解出来なかった。キラキラ光る小さな点、金色に輝く湖、光に包まれた巨大な鯨型の島・・・正に、太陽の野に星の鯨が眠っている・・・風景だった。
 湖の畔でシオドアとケツァル少佐が何かをしていた。ステファン大尉の姿は見えなかった。やがてシオドアと少佐が荷物を置いた場所に戻った。”出口”の近くだ。動くものを見つけたシャベス軍曹が、地面に置かれたアサルトライフルを拾い上げた。女が先に気がついて動きを止めた。メナクの期待に反して彼女は声を出さずにシオドアに警告を発した。気を発して気温を下げたのだ。そしてシオドアは異変に気付いて振り返り、シャベスを見つけた。
 シオドア・ハーストはメナクの思惑に反して、シャベスの名を呼ばなかった。”操心”にかけられたシャベス軍曹を動かすキーワードは何かと考えたのだ。フリーズした様に見えた彼は、その時必死で難局打開を考えていた。先にケツァル少佐が行動を起こした。シャベス軍曹の目がシオドアを捉えていると判断すると、荷物の中から掴み取った使い捨てカイロを軍曹に投げつけた。シャベスがそれを撃った瞬間、シオドアが飛びかかった。シャベスは仰向けに倒れ頭部を岩盤に打ちつけてしまった。
 シャベス軍曹が動かなくなったので、メナクは軍曹は死んだと思った。手駒が無くなった彼は、自ら敵の前へ出て行った。相手は”ヴェルデ・ティエラ”の白人学者と手負の女だ。純血のグラダは油断禁物だが、彼女は白人の背後に隠れてしまった。”ヴェルデ・ティエラ”に守ってもらわなければならない状態だ。勝てるとメナクは確信した。
 ケツァルを渡せと言うメナクの要求を、シオドアが拒絶した。彼はメナクとスワレが同じ肉体を共有していたと知ると、シュカワラスキ・マナとエルネンツォ・スワレの死の真相を察した。誰が本当の殺人犯か分かったのだ。メナクはシオドアの喉を締め上げ、シュカワラスキと同じ方法で殺そうと試みた。
 突然、彼の背後から黒いジャガーが襲いかかってきた。湖の探索に一人で出かけたカルロ・ステファンのナワルだった。ステファンは島の反対側から戻ろうとした時に、岸辺でシオドアと少佐が何者かに襲われていることを知った。彼は咄嗟に水の流れに乗って下流へ流れ、岩伝いに水に入った場所へ戻った。変身は速やかに終了した。泳ぐために裸になっていたのでスムーズに出来た。メナクの背後から忍び寄って行くとシオドアが気がついたが、知らぬ顔をしてくれた。メナクがシオドアの首を締めにかかった時に、彼は襲いかかった。
 メナクは完全にパニックに陥った。彼が知っている黒いジャガーはシュカワラスキ・マナだった。彼は死者の魂が集まっている聖地に現れたカルロ・ステファンのナワルをシュカワラスキ・マナだと勘違いしたのだ。抵抗する気力が一瞬で消え失せ、噛みつこうとする牙から頭部を守ることで精一杯だった。シオドアと少佐がジャガーを制止しなければ、腕を噛み砕かれ、喉を裂かれて殺されていただろう。
 ジャガーは少佐の命令で動きを止めた。そして現れた長老会の命令でやっとメナクから離れた。メナクは恐怖で動けなかった。ジャガーの唸り声が続いており、シュカワラスキ・マナが怒っていると思うと、顔を上げる勇気もなかった。長老達と少佐とシオドアが話しているのが聞こえたが、彼の頭は理解する余裕がなかった。やがて女の手で縛り上げられ、長老の一人が薄刃のナイフで彼の目の下を切った。目を封じて技を使えなくしたのだ。
 メナクはグラダ・シティに連行され、ピラミッドの神殿で長老会の裁判にかけられた。”ヴェルデ・シエロ”の裁判は欧米的なものではない。弁護人はつかない。長老達が”心話”で被告人の罪状に対する情報を交換し合う沈黙の裁判だ。弁護は被告人が口頭で行うだけだ。メナクは多くを語らなかった。ただこう言った。

「お前達が儂の親兄弟を殺したから、こう言うことになった。」

 誰も同情しなかった。メナクにはその場で酒が与えられた。彼の親兄弟を死に至らしめた遅効性の毒が入った酒だった。

***********

「それで、イェンテ・グラダ村で生まれた人々は全てこの世から去りました。」

とケツァル少佐が締めくくった。
 アリアナが尋ねた。

「シャベス軍曹は助かったの?」
「スィ。」

 少佐がちょっとだけ笑って見せた。

「少し記憶障害が残っていますが、手術を受けて意識を取り戻しました。生命の危機を脱したので、来週には一般病棟に移れるそうです。」
「良かった・・・」

とシオドアが真っ先に言った。

「俺は人殺しになるところだった。」
「正当防衛でしょ。」

とデネロス少尉が言った。

「素手でアサルトライフル持った軍人に立ち向かったんですよ。罪になんか問われません。」
「法律じゃなくて、気持ちの問題だよ、マハルダ。」

 そうかなぁと言うデネロスはまだ若いのだ。生きるか死ぬかの体験をしたことがない。その証拠に、話題をすぐに変えた。

「太陽の野は死者の場所なんですね? 少佐と大尉はお父さんとお母さんに会えたんですか?」
「ノ。」

と少佐と大尉が同時に答えた。一瞬目を合わせてから、少佐が言った。

「多分、あの場所は英雄だけが休むことを許される場所だと思うのです。だからとても美しく心休まる空間です。」
「グリュイエがいたんですね。」

とアスルが言った。彼はまだ松葉杖を使っている。その気になれば少佐の心臓の様にスピード回復させられるのだが、司令官から普通の人間並の回復を求められているので、ギプスが取れないのだ。大尉が頷いた。

「いた。何だかのんびり空中を漂っていた。」
「そうですか・・・」

 アスルはちょっぴり感慨深そうな表情を見せた。若くして非業の死を遂げた後輩が、美しい地下の世界でのんびり漂っている。想像しただけで涙が出そうになった。デネロスがグリュイエって誰?と訊きたそうな顔をしたが、アスルの表情を見て質問を呑み込んだ。きっと尋ねてはいけないことなのだと彼女なりに理解したのだ。

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