2021/08/23

番外編 1 雨の日 1

  小雨が降っていた。国内線の到着フロアの窓から外を眺めているカルロ・ステファン大尉は落ち着かなかった。雨は穏やかで風も吹いていない。セルバ航空の国内線旅客機がどんなにオンボロでも飛行に支障はない。彼が落ち着かないのは、フライト状況が心配なのではなく、これからやって来る人々と近くの売店でお菓子を物色している上官との対面の方が無事に済むか否か不安だったからだ。正直なところ、彼女を連れて来たのが正しい判断だったのか、彼は今迷っていた。
 この日、彼の母親カタリナと妹のグラシエラがグラダ・シティにやって来る。彼が貯金をはたいて購入した小さな家に引っ越して来るのだ。彼と友人達で考え抜いて選んだ家だ。きっと気に入ってもらえると自信はあった。オルガ・グランデの貧しい家から持ち出して来る物は殆どなくて、母も妹もそれぞれ鞄一つずつに詰め込めるだけ詰め込んだ衣料品だけが、引っ越し荷物なのだ。家具は購入した中古物件に付いている。もし気に入らなければ少しずつ買い替えていけば良い。交通費はステファンが出した。母親は旅費が安く済むバスで行くと言ったが、彼は飛行機の方が安全だと主張して、航空券を送ったのだ。セルバ航空は定刻に飛んだ試しがなかったが、今のところ無事故なのだ。パイロットが”ヴェルデ・シエロ”の守護を受けているのだと言う都市伝説があるが、多分それは真実なのだろうとカルロは思った。
 グラダ・シティに家を買ったから引っ越して来いと言ったら、母親は躊躇った。都会で暮らしたことがないと電話口で尻込みした。オルガ・グランデだってセルバ第二の都市だ、貧民街だって田舎の農村より垢抜けしていると言って説得した。妹に大学教育を受けさせたい、母を一人にしたくない、だからグラダ・シティに越して来て欲しいと訴えたのだ。結局、グラシエラが兄と同じ家に住んで大学へ行きたいと言ったので、母親は折れた。そして、カタリナは息子をドキリとさせることを言った。

「お前の上官に会わせてくれるのよね?」

 そうだ、大統領警護隊にスカウトされ、文化保護担当部に配属された時、カルロは嬉しくて母に電話で伝えた。新しい上官の名前はシータ・ケツァルだと。女性の少佐なんだよ、と。無邪気に電話の向こうで喋る息子の言葉を、母親はどんな気持ちで聞いていたのだろう、とカルロは今思っていた。母は父の正妻だ。しかし父には母と出会う前に愛した女性がいた。母はそれを父から聞いた。”心話”は嘘をつけないから、全て教えられた筈だ。父を夫として選ばなかったにも関わらず、父の子だけを望んだウナガン・ケツァルが、命と引き換えにこの世に残した娘の名がシータなのだと。あの時カルロはまだ父の本当の人生を知らなかった。父がどう言う生まれでどんな育ち方をして母とどうやって知り合って、どうして死んだのか。
 カルロは電話口で、母にやっとの思いで言った。

「彼女も最近迄何も知らなかったんだ。」

 母はそれ以上何も言わなかった。
 母と妹が引っ越して来るので空港へ向かえに行きたいと休暇を願い出ると、ケツァル少佐は平素の顔で許可をくれた。カルロは、母と妹が新居で落ち着いてから対面させようと思った。ところが、前日の夜になって雨が降り出したので、少佐が言ったのだ。

「天候が良くないので、私も空港へ行きましょう。パイロットの腕を疑う訳ではありませんが、着陸を見たいのです。」

 つまり、飛行機を守護したいと言ったのだ。少佐にとっては、最近迄名前すら知らなかった父親の、正妻と異母妹がやって来るのだ。それとも、ドライに部下の家族を出迎えてくれるだけのつもりなのか? 
 カルロは売店を振り返った。ケツァル少佐はアーモンドのチョコレートとマカデミアナッツのチョコレートを手に取って迷っていた。
 彼女は食べ物以外に悩むことがあるのだろうか・・・?


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第11部  紅い水晶     14

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