2021/08/22

星の鯨  16

  翌朝、シオドアはケツァル少佐の「起床!」と言う声で起こされた。バスルームへ行くと、彼の服は乾燥機の中で皺だらけになっていた。仕方がないので、少佐が豆を煮込んだり果物を切ったりしている間にアイロン掛けをした。そしてロホを虜にした煮豆をたっぷり食べて、少佐のベンツで大学迄送ってもらった。
 午前中の授業が終わり、彼が研究室に戻ると、客がいた。ステファン大尉だ。彼と大学で会うのは初めてだったので、ちょっと驚いた。

「いつ来たんだい?」
「8分前です。」
「生物学に興味でもあるのかな? それとも任務?」

 ステファンは躊躇した。シオドアはコーヒーを淹れる準備を始めた。客の為と言うより己の為だ。砂糖壺とミルクを先に机の上に置いた。ステファンはTシャツの上にジャケット、下はジーンズだ。多分、いつも通り拳銃を装備している。シオドアは彼が昨晩アリアナを病院職員寮へ送って行ったことを思い出した。彼女と何かあったのだろうか? と思った時、ステファンがやっと言った。

「昨日、アリアナから言われたのです。その・・・少佐との・・・ことを応援すると・・・」

 ひどく言いにくそうに打ち明けた。シオドアは黙ってカップにコーヒーを注ぎ、彼の前に置いた。ステファンがハッとして彼を見上げた。

「昨晩、少佐のアパートに泊まったのですか?」

 後ろめたいことは何もしていないので、シオドアは素直に認めた。

「スィ。帰ろうにも足がなかったし、少佐は運転する気分じゃなかったから、泊まって行けと言ってくれた。」
「それだけ?」
「それだけじゃないな・・・客間でぐっすり寝かせてもらった。朝飯をご馳走になった。車で大学迄送ってもらった。」

 シオドアはステファンの嫉妬を感じて、ちょっぴり愉快な気分になった。だけど、どうしてバレたんだ? 彼は後学の為に質問した。

「どうしてわかった? 新しい能力を開発したのか?」

 ステファンがぶすっとした顔で答えた。

「貴方から少佐と同じ石鹸の香りがします。」

 シオドアは思わず声を立てて笑ってしまった。

「彼女に石鹸のブランドを訊いておこう。寮でも使ってみる。」
「揶揄わないで下さい。」

 ステファンが拗ねた顔でコーヒーに砂糖を入れてやや乱暴にかき混ぜた。

「私は貴方に宣戦布告に来たのです。」
「宣戦布告?」
「スィ。私は、まだ彼女を諦めていません。」

 シオドアは溜め息をついた。彼は前日考古学のケサダ教授に同父異母兄弟姉妹の婚姻について質問したばかりだった。ケサダは、セルバ共和国の法律では全血半血に限らず兄弟姉妹間の婚姻は禁止だと答えた。但し、と彼は言った。

「先住民に限り、同父異母兄弟姉妹間の婚姻は認められています。この場合の先住民は”ティエラ”も”シエロ”も一緒です。法律を作った人間が何者か考えれば、不思議ではありませんがね。」

 カルロ・ステファンは純血種ではないし、白人の血が入っているが、メスティーソが先住民でないとは言い切れない。父親は正真正銘の純血の先住民だったのだ。

「法律がどうあれ、俺は遺伝子学者として君の主張を認めたくないな。」

とシオドアは言った。

「それに、俺も彼女が好きだ。」

 遂に言ってしまった。勿論、大統領警護隊文化保護担当部の隊員達は全員承知のことだろうけど。
 ステファン大尉は彼をじっと見つめた。しかし怒っていない、とシオドアは気がついた。

「俺と闘うつもりかい?」
「貴方が望むなら・・・」

 ステファンが微かに微笑んだ。

「我々はハンデがあります。私は彼女の”出来損ない”の弟だし、貴方は白人だ。双方とも一族の頭の硬い連中には、彼女に相応しくないと断じられるでしょう。」
「そうだな。ロホやアスルの方が遥かに彼女に相応しいだろうし。」
「ロホは最強のライバルですが、アスルは考えなくて良いです。アイツは彼女を慕っていますが、我々とは少しレベルが違います。」
「姉さんの様に慕っている?」
「スィ。」

 シオドアは吹き出した。

「昨夜、少佐が言ったんだ。複数の女性達が、君と俺を取り合っていると。」
「え?」
「争奪戦の参加者を訊いたが教えてくれなかった。彼女は恋人争奪戦のゲームだと言った。」
「アリアナは私に恋愛ゲームを仕掛けないと言いました。」
「それは君を忘れたいと言う意味だ。」

 シオドアはコーヒーを飲んだ。

「君達の恋愛観はよくわからない。と言うより、俺自身がまともな恋愛の経験がないだけで、大人の恋愛がどんなものかわかっていないのかも知れないな。本当に好きなら、血の濃さも関係なくなるのかも知れない。」

 その時、ステファンの携帯電話が鳴った。彼がポケットから出して見ると、かけてきたのはケツァル少佐だった。彼が出るなり、不機嫌な声が聞こえた。

ーー何処をほっつき歩いているのです? 4階から2階へ行くのに1時間もかかるのですか?

 ステファン大尉が情けない顔をした。

「申し訳ありません、ちょっと野暮用で外出しています・・・」
ーー早く戻って来なさい! さっさと報告書を上げる!

 シオドアは声を立てずに笑うと言う困難な技を習得する必要がある、と思った。


1 件のコメント:

Jun Tacci aka ねこまんま さんのコメント...

これで第1部は終わり。

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