2021/08/12

星の鯨  4

  光の点達が騒ぎ始めた。サワサワザワザワと音が大きくなってきた。シオドアは銃口を見つめた。洞窟内の光が増した様な気がした。暗闇が薄くなり、男の姿がぼんやりと見えてきた。ヨレヨレのシャツと泥だらけのパンツ姿のエウセビーオ・シャベス軍曹が、アサルトライフルを手に立っているのだった。ライフルはケツァル少佐の物だ。軍曹はじっとシオドアに照準を定めていた。シオドアは頭の中で周囲の風景を展開させてみた。身を隠せる岩がそばにない。体を地面に投げ出してもライフルの銃弾を避けられない。
 ケツァル少佐はじっとしていた。荷物を取ろうとしてライフルがないことに気がついたのだろう。そしてシャベス軍曹の存在を知って、武器から目を離してしまった己のミスを悟ったのだ。彼女の目は軍曹を見ていなかった。前方の暗闇を向いていたが、多分全神経はシャベス軍曹の指の動きに集中させている筈だ。シャベス軍曹はトゥパル・スワレの”操心”に掛けられているから、そこに更なる”操心”を上書きすることは至難の業だ。シオドアは彼女がアリアナの”操心”に”幻視”を上書きした時のことを思い出した。アリアナに少佐自身をステファン大尉だと思わせることは成功したが、トゥパル・スワレの”操心”を解くことは心臓を刺される迄不可能だった。
 少佐は今どうしようかと考えている、とシオドアは思った。下手に動いて軍曹に引き金を引かせてしまったら、シオドアは確実に撃たれる。ここは”連結”とか言う技しかないのでは? しかし今の少佐にそれを使う力が残っているだろうか。
 その時、湖の何処かでパシャッと水音が響いた。シャベス軍曹の注意が一瞬そっちへ飛んだ。少佐がリュックの中で掴んでいた何かの小袋をシャベス軍曹に投げつけた。軍曹が小袋に銃口を向けた。シオドアは夢中で軍曹に突進した。軍曹が銃を構え直す前にタックルした。
 アサルトライフルが火を吹いた。天井の岩に向かって数発の銃弾が撃ち込まれ、岩の破片が落ちてきた。シオドアとシャベス軍曹は岩の上に倒れた。軍曹の頭の下でゴツッと嫌な音がした。シオドアは必死で彼の手からライフルを奪い取った。シャベス軍曹は頭を上げかけ、また落とした。頭上でザーザーと音がした。光の点が乱舞していた。銃弾に驚いたのか?
 
「テオ!」

と少佐が呼んだ。シオドアは彼女を振り返った。ケツァル少佐がシャベス軍曹が立っていたその奥の暗闇を指差した。真っ暗だったが、何か白い物が近づいて来るのが見えた。シオドアは立ち上がり、アサルトライフルをそちらへ向けた。

「少佐、俺の後ろに来い!」

 多分、ケツァル少佐は今迄他人の後ろに隠れるなんてしたことがなかっただろう。しかし彼女は素直に彼の後ろに来た。

「スワレか?」
「スィ。」
「丸腰か、何か持っているか?」
「杖を持っています。武器はそれだけです。」

 つまり、杖を武器にする可能性はあると言うことか。相手は”ヴェルデ・シエロ”だ。銃火器や刃物を持っていなくても、危険な存在であることに間違いない。

「向こうに坑道があるのか?」
「ノ・・・”出口”から来ました。」

 つまり、空中から湧いて出てきたのだ。
 シオドアはシャベス軍曹に視線を向けた。シャベスは倒れたまま動かなかった。頭の打ちどころが悪かったのか? シオドアは彼に怪我をさせたのではないかと不安になったが、確かめる余裕がなかった。
 天井の点が動き、見える範囲が広がった気がした。近づいて来る人物がシオドアの目にも見える様になった。白い貫頭衣を着た男だ。身長が高く、頭髪は薄い。残っている髪の毛は真っ白だった。シオドアは骸骨が歩いているのかと思った。それ程に男は痩せこけてシワだらけだった。目は”ヴェルデ・シエロ”らしく暗闇の中で金色に光っていた。シオドアは彼に声を掛けた。

「貴方がトゥパル・スワレか?」

 男が足を止めた。微かに驚いている気配を感じられた。シオドアは相手が何に驚いたのかわかった。

「俺に”操心”を掛けているつもりだったか? 生憎、俺は特異体質なんでね、あなた方の常識に当てはまらないことが多いんだ。もっとも、俺の立場から言わせて貰えば、あなた方”ヴェルデ・シエロ”の方が人間の常識から外れているがな。」

 男が嗄れ声で言った。

「お前に用はない、その女を渡せ。儂のものだ。」

 シオドアの後ろでケツァル少佐が「はぁ?」と声を出した。シオドアは相手を挑発してみた。

「馬鹿か、貴方は? 彼女が貴方みたいな爺さんのものになる筈がない。」

 男が杖でシオドアを、と言うより彼の後ろにいるケツァル少佐を指した。

「その女は儂の妻を殺した。儂等の計画を潰した。だから、その報いを受けさせる。」

 支離滅裂だ、とシオドアは思った。ケツァル少佐がいつブーカ族の長老の妻を殺したのだ? ところが、後ろで少佐が呟いた。

「アイツ、誰?」

 

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第11部  紅い水晶     18

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