白い貫頭衣の男がジリジリと下流の岩壁の方へ回り込みながら近づいて来た。
「その女は、母親の腹の中にいる時に、母親を死に追いやったのだ。儂の妻が惨めに牢獄で死んでいったにも関わらず、己はのうのうと生きておる。許し難い存在だ。」
その話を何処かで聞いたことがある。シオドアは相手を見つめた。
「貴方は、ニシト・メナクか?」
「アイツはブーカです。」
と少佐が囁いた。
「グラダではない。でも・・・」
彼女は戸惑っていた。
「時々気の大きさが変化します。」
「どう言うこと?」
「時々グラダで時々ブーカ・・・」
シオドアは相手の動きに合わせて体の向きを変えた。少佐を常に後ろへ隠す形になろうと務めた。男が声を張り上げた。
「こっちへ来い、ケツァル! お前は儂の娘になる筈だった女だ!」
「やっぱり、ニシト・メナクだ。」
とシオドアは言った。
「貴方、自殺したんじゃなかったのか? ウナガン・ケツァルがママコナの暗殺に失敗して捕らえられた時に、彼女を救出することもしないで、ただ返せと訴えただけだろ? ウナガンがシュカワラスキ・マナの子供を身籠ることを黙認したくせに、生まれた子供を引き取ることを拒否したんだろ? ウナガンが死んでマナが逃げ出したら、絶望して自分で死を選んだんじゃないのか? 勝手な男だよな。イェンテ・グラダ村の殺戮の時、ウナガンもシュカワラスキもまだ赤ん坊で何も覚えちゃいなかった。貴方が彼等に教えて、親の敵討ちに誘い込んだんだ。それなのに仲間が失敗したら、自分だけ逃げた。死んだふりをしたのかい? 今までブーカ族のふりをして、一族を騙していたんだな?」
喋りながら、彼は岩に結えつけていた命綱が弛んでいることに気がついた。ステファン大尉は何処へ行った?
男がフッと笑った。皺だらけでよくわからないが、笑ったのだ。
「儂はブーカ族のふりなどしておらぬ。元々半分ブーカだった。そしてこの体は完全にブーカだ。」
少佐がシオドアの後ろから顔を出した。
「貴方はトゥパル・スワレの体を乗っ取ったのか、メナク?」
「乗っ取った? 憑依したってことか?」
シオドアは目の前に立っているのが化け物に思えてきた。こいつを倒せるのだろうか?
「憑依か・・・」
と男が言った。
「確かに。儂とトゥパルは契約したのだ。トゥパルは儂のグラダの力を欲しがった。儂は一族に君臨する力が欲しかった。スワレの家長になればそれは夢ではない。だから儂はニシト・メナクであることを捨てたのだ。」
それは何時のことだ? シオドアは疑問を感じた。ニシト・メナクが自殺したことになっているのは、シュカワラスキ・マナがグラダ・シティから逃げて半年後だ。その時にメナクとトゥパル・スワレの間で契約が成立していたとなれば、スワレ家の人々はずっと彼等に騙されていたことになる。兄のエルネンツォも・・・。
突然、シオドアはある考えに至った。彼は男に尋ねた。
「エルネンツォ・スワレを殺したのは、シュカワラスキ・マナではなく、貴方じゃないのか?」
男は答えなかった。否定しないのだから、沈黙は肯定だ、とシオドアは確信した。
「エルネンツォは貴方が弟とメナクの二重の人格を同居させている人間だと知ってしまったんだ。だから、貴方は兄を殺害して、シュカワラスキ・マナに罪をなすりつけた。そして4人の”砂の民”も貴方が殺したんだ!」
彼は暗闇をライフルで指した。
「スワレはブーカだから、空間通路を自在に使える。シュカワラスキ・マナが作った結界も貴方には意味がなかった。この坑道の中にいくつか”入り口”と”出口”を持っていたんだろ? だから鯨の文句が書かれた神殿も知っていたし、ここへも出て来られたんだ。」
男が低い声で笑った。
「トゥパルは本気でシュカワラスキ・マナが兄を殺したと思い込んでいたぞ。己の手で殺しておきながら、記憶がなかったのだ。儂がグラダの力を使う時は意識がなかったからな。だからシュカワラスキの倅が成長してグラダ・シティにいると知ると、儂に消してくれと頼んだ。己の力でグラダに挑むことは不可能だと怖気付いたのだ。儂はまだ正体を誰にも知られたくなかった。だからややこしい技で”ティエラ”の兵隊どもを操らねばならなかった。儂にはまだやるべきことがあったからな。」
「何をやるつもりなんだ?」
シオドアは男の背後の岩陰から真っ黒な影が出て来るのを視野の片隅に捉えた。
「トゥパルの体は老いた。」
と男が言った。
「この体はもう使い物にならぬ。トゥパルもいなくなった。」
「え?」
とシオドアと少佐が同時に声を出した。トゥパルがいなくなったと言うことは?
「アイツは消えたのだ。白人の女がシュカワラスキ・マナの倅を殺した時にな。」
「つまり、貴方の宿主は寿命が尽きて死んだのか。」
シオドアは目の前の男が屍人なのだと悟った。自殺した男の魂が動かしている死体だ。
男の背後から黒い影が近づいて来た。緑色の二つの目が輝いていた。
シオドアは叫んだ。
「それじゃ、貴方も潔くあの世に行ったらどうなんだ?」
「儂はまだ行かん。その女を寄越せ。グラダの体が必要だ。」
「何を世迷言を言ってるんだ? 狂っているのか?」
いきなり喉が詰まった。締め付けられた。彼はライフルを落とした。何かに首を絞められる・・・少佐が彼の体に縋り付いてきた。
「テオ! アイツを振り払いなさい!」
その時、 野獣の咆哮が洞窟内に轟いた。
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