2021/08/29

第2部 節穴  11

  ギャラガは野宿することに抵抗を感じなかったが、ステファン大尉は屋根がある場所を希望した。実のところグラダ・シティの市街地は野宿が法律で禁止されていた。公園は特に警察が夜間巡回して旅行者を摘発する。ホームレスは市街地で寝泊まりしない。スラム街へ行けばいくらでも寝グラを提供してくれる親切な人がいるからだ。大尉が屋根がある場所を希望したのは、彼がオルガ・グランデ出身だったからだ。セルバ共和国の西部高地は夏でも夜間になると冷え込む。うっかり路上で寝てしまうと風邪をひくし、悪くすると命取りになる。大尉は子供時代の経験が身に染み付いていて、大人になっても防寒対策は怠らなかった。例えそれがジャングルでの野宿であっても。
 屋台の温かい食べ物で満腹になると、ステファン大尉は携帯電話を出した。少し考えてから、何処かに電話をかけた。

「ステファンだ。」

と彼は名乗った。ギャラガは彼の顔が和むのを見逃さなかった。親しい人にかけたらしい。博物館でムリリョ博士が言っていた実家にかけたのだろうか、と思っていると、大尉は

「仕事を増やして済まないな。」

と言った。相手の言葉を聞いて苦笑してから、要件に入った。

「悪いが今夜泊めてくれないか? 部下と私の2人だ。床の上で構わないから、朝までいさせて欲しい。夜が明けたら出て行く。」

 相手の言葉を聞いて、「歩いて行くから、先に寝ていてくれ」と言い、彼は電話を切った。

「お友達ですか?」

とギャラガは尋ねた。大尉が頷いた。

「文化保護担当部の中尉だ。私の同期。」

 ギャラガは漠然と心当たりがあったので言ってみた。

「ロホ・・・ですか?」
「スィ。」
「昨年、1、2ヶ月ですが訓練のインストラクターをして頂いたことがあります。」
「ああ・・・」

 大尉がちょっと遠くを見る目をした。

「アイツが肩の怪我をした時だな。」
「スィ。反政府ゲリラを相手にしてミスったと・・・自分と同じ過ちを犯すなと言う講義でした。」
「司令部も意地悪だろう? 失敗すると後輩の前で曝し者にするんだ。私たちも気をつけないとな。」

 2人は通りを歩いて行った。少しずつ人通りが減って行ったが、それは繁華街から住宅街へ入ったからだ。住宅街の夜中の道は安全と言えなかった。路地が多く、街灯も少ない。警察の巡回も高級住宅街から低所得者層の居住地へ行く程回数が減る。
 半時間歩いて、古いアパートに到着した。階段を歩いて3階迄上ると、ステファン大尉はあるドアのノブを掴んだ。施錠されていたが”ヴェルデ・シエロ”にはないも同じだ。チェーンが掛けられていなかったので、ドアを開いて中に入り、ギャラガを手招きした。ギャラガが入ると大尉はドアを閉じて鍵を掛けた。
 ギャラガは室内を見回した。照明は消されていた。彼が”ヴェルデ・シエロ”である証明が唯一存在する。闇でも目が見えるのだ。
 質素なアパートだった。必要最低限の調度品しか置かれていない。まるで大統領警護隊の官舎の部屋に台所が付いているだけ、と言えそうだ。ダイニング兼リビング、キッチン、バスルーム、そして寝室だけの狭いアパートだった。窓枠に男が一人腰掛けてビールの瓶を片手に持って、客を見て、「よう!」と言った。ステファン大尉も「よう!」と応え、窓際へ行った。

「起こしてしまったか?」
「寝るにはまだ早いさ。」

 ロホがギャラガに視線を向けたので、ステファン大尉が紹介した。

「警備第4班のアンドレ・ギャラガ少尉だ。副司令の命令で、今日から私とある任務に就いている。」
「よろしく、少尉。」

 ロホはいつでも誰にでも優しい。ギャラガも知っていた。この人は後輩達にとても人気があるのだ。昨年迄官舎に住んでいたことも、彼がこの中尉に親しみを感じた理由だった。普通、殆どの隊員は外郭団体に配属されたら官舎から出て行ってしまうものだ。
 ギャラガが挨拶を返すと、ロホはキッチンの冷蔵庫を指差した。

「ビールしかないが、好きなだけ飲んでくれて構わない。シャワーも使ってくれ。」

 大尉がそうしろと言うので、ギャラガは礼を言って、浴室に入った。珍しくお湯が出るシャワーだったのでびっくりした。ざっと体を洗って、着替えがないので下だけパンツを身につけて部屋に戻った。ステファン大尉とロホはテーブルの椅子に座って互いの近況報告をしていた。”心話”と声を交えての会話だ。近隣の部屋への配慮なのだろうとギャラガは思った。周囲の人間に自分達が何者か教える訳にいかないのだ。ギャラガが戻ったので、ロホが寝室を示した。

「ベッドを使って良いぞ、少尉。私はもう少しカルロと話したいから。」
「明日は日曜日だしな。」

とステファン大尉も言った。軍隊に所属していれば曜日など関係ないのだが、外の世界にいると日曜日は休みなのだ。ギャラガはなんとなく除け者になりたくないと思ってしまった。

「お邪魔でなければ、私ももう少し起きていたいです。」

 彼は上官達の意見を待たずに窓枠に座った。大尉も中尉も彼の希望を拒否しなかった。
 窓の外は低い住宅の屋根と庭と樹木が広がっていた。夜だし、街中だし、景色が綺麗と言う訳ではなかったし、夜空もいつもと同じだ。違うのは号令や掛け声が聞こえないこと。銃器の手入れの音がしないこと。大統領官邸の緊張感がないこと。
 大尉がロホに質問した。

「その右腕の擦り傷は、今日の軍事訓練のものか?」
「スィ。ユカ海岸で1600迄やっていた。少佐に銃撃されて、かわしたら堤防から滑り落ちたんだ。」
「滑り落ちた? 減点3だな。」
「捕虜のマハルダを取り返せなかったので、減点15さ。」
「一度も取り返せなかったのか?」
「出来なかった。少佐のガードが固過ぎる。アスルも腕を上げてきたしな。」

 軍事訓練って? ギャラガは耳をピンと立てたくなった。文化保護担当部って、文化財の保護をしている部署じゃないのか? 大尉が不満げに意見した。

「マハルダも脱走する努力をしなかったんだろ? 内と外で動かなきゃ、少佐の結界は破れないぞ。」
「だから、その内側でアスルがしっかりマハルダを抑えてしまうんだよ。」

 け・・・結界? ギャラガは胸がときめくのを抑えられなかった。”ヴェルデ・シエロ”が古代神として崇められた一番の理由だ。能力で一つの場所をすっぽり覆って外敵から住民を守る。現代の”ヴェルデ・シエロ”で広範囲の結界を使えるのは純血種のブーカ族だけだ。他の部族はせいぜい大型テント並みのものしか使えない。メスティーソはもっと困難だ。かなりの修行を要する。
 文化保護担当部は結界の使い方を訓練しているのか? 
 興奮したのが上官達に察知された。大尉と中尉がギャラガを振り返った。

「もう寝ろよ。」

と大尉が言った。中尉も言った。

「素直に寝ろ。明日、良いところへ連れて行ってやるから。」



1 件のコメント:

Jun Tacci aka ねこまんま さんのコメント...

ロホは人当たりが良いので、後輩からも敬称なしで「ロホ」と呼ばれている。

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