2021/08/24

第2部 バナナ畑  2

 「多分殺されたんだろうって言うだけさ。死因も名前もわからん。性別だって男物の服を着ていたから男だとわかっただけだ。」
「検死しなかったのかい?」

 テオは時々アメリカのテレビドラマみたいなことを言う。ゴンザレスは早くこの話題を終わらせたかった。

「ドクトル・ウナヴェルトが診てくれた。」
「それでも死因はわからないのかい?」

 ドクトル・アルストはご不満らしい。エル・ティティの町医者がミイラの解剖なんて出来る筈がないじゃないか。ウナヴェルトは外科医で内科医で産科医でもあるが、法医学者ではないし、白骨同然のミイラの解剖をする程暇じゃない。

「興味があるなら、お前が調べるこったな。墓の発掘許可ぐらいなら出してやるぞ。大統領警護隊文化保護担当部に申請しなくても、俺が出してやる。」

 皮肉を言ったのは、流石にそこまでやらないだろうとたかを括ったからだ。テオは意外に繊細な男だ。死体を見るのは好きでない。ゴンザレスはそれを承知していた。果たして、義理の息子はそれ以上死体の話題に突っ込まずに、新学期の大学の話へ方向転換した。親友で大統領警護隊のカルロ・ステファン大尉が文化保護担当部から警護隊本隊へ逆出向になったこと、カルロの妹のグラシエラがグラダ大学の文学部に入学したこと、彼女が美人なので忽ち男子学生達の間で話題になっていること、テオの妹になるアリアナ・オズボーンが出向先のメキシコ、カンクンの病院で新しい研究に取り組んでいること等。それでゴンザレスは死体のことを忘れてしまった。
 翌朝日曜日の礼拝を終えた神父がテオを訪ねて来た。テオはクリスチャンではないので教会の礼拝に行ったことがない。ゴンザレスも妻子を亡くしてから教会から足が遠のいていたので、神父がゴンザレス家の分厚い木製のドアをノックした時、義理の父子はやっと起きて遅い朝食をとっているところだった。缶詰の煮豆と乾いた硬いパンとホットチョコレートの朝食だ。
 扉を開ければいきなり居間兼食堂だ。出迎えたゴンザレスと挨拶を交わし、神父がテオに少し話があるのだがと切り出した。テオは立ち上がって神父を席へ案内した。ゴンザレスが食べ終わった食器を片付け、神父にコーヒーは如何ですかと尋ねた。神父が喜んで戴きますと言った。
 テオはまだ煮豆を食べていた。缶詰の煮豆はそれなりに美味しいが、彼はもっと美味しく豆を煮込める人を知っていた。また彼女のアパートに泊まりに行きたいなぁと思った。それも寝るのは客間ではなく・・・。
 神父は暫くゴンザレスと世間話をしていた。テオの食事が終わるのを待ってくれていたのだ。喋りながら神父は室内を見回した。飾り気のなかった男鰥のゴンザレスの家が少しだけ華やいで見えた。花を飾っているとか、絵画を壁にかけているとか、そんなことではない。テオドール・アルストと言う若者が華やいだ美形の容姿を持っているのだ。下手をすると初老の男が若い同性の愛人を家に置いていると思われそうだが、ゴンザレスの人柄を知っている街の住人達はそんな失礼な想像をしたことがなかった。テオが例え若い娘であっても、絶対にそんな想像はしないだろう。それに住人達はテオが異性愛者であることも知っていた。街の若い娘達に誘われるとそれなりに鼻の下を伸ばして遊びに行くのだ。彼が現れる前のゴンザレスの寂しい生活を知っていた神父は、テオは神様が警察署長を救うために遣わした天使かも知れないと思った。その天使に、神父は生臭い話題を出した。

「バナナ畑の気の毒な男の話を聞いたかね?」

 テオが頷いた。

「身元不明だそうですね。」
「そうだ。私も彼の為に何か役立とうと、礼拝の時に信者に心当たりはないかと尋ねてみるのだが、未だに反応がない。教区の人々の知らない人間らしい。しかし家族にも会えず見知らぬ土地で葬られた男が私には哀れに思えてならない。彼の身元を探す手がかりが欲しい。」

 神父にじっと見つめられて、テオは相手が何を言わんとしているのか想像がついた。

「死体のDNAを調べろと仰るのですか?」
「スィ。」

 神父がニッコリした。テオは首を振った。

「駄目ですよ、神父さん。DNA鑑定による身元確認は、比較対象が必要です。行方不明者として届出がある人の細胞や、血縁者の細胞が手に入らないと、死体のDNAだけでは誰なのかわからないのです。」

 田舎司祭は最先端技術が決して万能ではないことを知った。がっかりした表情でコーヒーを啜った。

「先ず行方不明者の届出があるか調べなければならないのだね?」
「スィ。お役に立てなくて残念ですが・・・」

 正直なところテオは残念でもなんでもなかった。ミイラを掘り出して解剖するなんてご免だった。そんなことはムリリョ博士でもやらないだろう。
 ・・・ってか、その死体は”ヴェルデ・シエロ”じゃないだろう? ”ティエラ”のメスティーソだろうけど・・・
 確率的に考えれば、古代先住民の子孫である筈がない。”ヴェルデ・シエロ”に何か災難があればグラダ・シティに聳え立つ”曙のピラミッド”におわします偉大な巫女ママコナが察知する。或いは同じ部族の長老達が何かを感じる。そして捜査機関を水面下から動かして調査させるだろう。だが彼等は普通の人間の事件には首を突っ込まない。
 神父がコーヒーの礼を言って帰って行くと、テオはテーブルの上を片付け、食器を洗った。ゴンザレスは着替えて休日の楽しみである近所の雑貨店の親父達とのお喋りクラブに出かける準備をしていた。幼友達のオヤジ達が集まってカード遊びをしたり、ボードゲームをしたりして遊ぶのだ。テオは己も歳を取ったら飲み友達とそうやって日々を過ごすのかなと想像して可笑しくなった。オヤジになった己がちょっと想像つかない。
 バナナ畑で死んでいた男もいつかオヤジになってのんびり過ごしたかったんじゃないのか?
 テオは少しだけ死体の身元を調べて見ようと思った。ゴンザレスに声をかけた。

「ちょっと警察署に行ってくる。例の身元不明者の遺留品はまだ保管されているよね?」

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