2021/08/24

第2部 バナナ畑  3

  エル・ティティ警察署には署長以下4人の巡査がいた。テオには兄貴みたいな連中だ。年下の巡査もここでは先輩なのだ。彼が身元不明の遺体の遺留品を見たいと言うと保管庫に案内してくれた。面倒な手続きはない代わりに、セキュリティ対策は皆無と言って良い程、簡単に保管用箱を見つけることが出来た。段ボール箱に遺体の発見年月日と場所、「身元不明」の文字が書かれているだけだ。テオは保管庫の入り口近くに置かれている机の上に箱を置いて、中身を出して見た。ボロボロの布の切れっ端はかつて白かったのだろう。不快な黄ばんだ色になっていた。服としての原型を留めておらず、死体の体に貼り付いていたので服だろうと考えられている。靴や帽子などはなかった。唯一テオの注意を曳いたのは木製の小さな物体で筒状になっており千切れた紐で死体の首に掛けられていたと言う。テオは箱の側面に「服と笛」と書かれている文字を発見した。ゴンザレス署長の筆跡だ。もう一度木の破片みたいなのを見ると、確かに中がくり抜かれていた。彼は案内役の巡査を振り返った。

「これは笛なのか?」
「笛にしか見えないだろう? この保管庫は身元不明者の遺留品でいっぱいだ。これっきりにして欲しいね。」

 テオはその返答を聞いて、ちょっと複雑な気分になった。2年近く前アメリカに一時帰国していた時期があった。エル・ティティでバス事故に遭って記憶喪失になっていた時期だ。事故から2ヶ月も経ってから身元が判明して、彼は生まれ育った国立遺伝病理学研究所へ連れ戻された。しかし秘密の多い研究所に過去を失った彼はどうしても馴染めず、エル・ティティに帰りたいと強く願うようになっていった。そんな時、一人だけ彼に親切にしてくれた研究員がいた。デイヴィッド・ジョーンズと言うその研究員はテオを励まそうと地元にあった中米の考古学博物館へ連れて行ってくれた。その時ジョーンズは売店で土産物の土笛を購入したのだが、その笛はインディオの呪いがかけられた笛だった。笛を吹いたジョーンズは呪いで精神に異常を来たし、傷害事件を起こしてしまったのだ。テオは大統領警護隊の友人に助けを求め、ジョーンズにかけられた呪いを解いてもらったが、ジョーンズの研究者生命は絶たれてしまった。アメリカを逃げ出してセルバ共和国に亡命した今は、ジョーンズの消息を知る術もない。
 巡査はテオが沈黙してしまったのは、保管庫にある他の遺留品の箱のせいだと誤解した。テオが記憶を失いゴンザレス署長の家で世話になるきっかけとなったバス事故の犠牲者の遺留品だ。山道から深い谷間に転落して焼けたバスの乗員乗客達の引き取り手のない遺留品だ。犠牲者の多くは焼け焦げ、身元の判別が出来ない為に街の共同墓地にまとめて葬られた。遺族が見つからなかった者もまだいたのだ。引き取り手のない焼け焦げた鞄や靴やなんだかわからない物がまとめて箱に仕舞われていた。テオは過去の記憶が戻った今も事故当時のことだけは思い出せない。どうしても思い出せない。だから犠牲者達を思い出してやることも出来ない。

「まだ6人残っているんだ。」

 巡査が言った6人は身元が判明しない犠牲者だ。判明しても遺体がどれだかわからない人の場合は墓標に名前が書かれていたが、その6人は名前すらわからないのだ。恐らく永久にわからないだろうとテオも巡査も予感していた。
 テオはバナナ畑の死体が持っていたと言う笛を手に取った。

「これを借りて行っていいかな?」
「スィ、君なら何を持って行っても良いさ。」

 テオは預かり証に名前を書いた。その笛は呪いの笛と違ってひどく粗末でありふれた物に見えたが、死体の身元を探るにはそれしか手がかりがなかった。
 ゴンザレスはテオが笛を借りたと告げると、物好きだなぁと言いたげな顔をしたが、特にコメントはなかった。テオは笛をビニルバッグに入れて、月曜日の朝一番のバスに乗った。


0 件のコメント:

第11部  紅い水晶     21

  アンドレ・ギャラガ少尉がケツァル少佐からの電話に出たのは、市民病院に到着して患者が院内に運び込まれた直後だった。 「ギャラガです。」 ーーケツァルです。今、どこですか? 「市民病院の救急搬入口です。患者は無事に病院内に入りました。」  すると少佐はそんなことはどうでも良いと言...