2021/08/04

太陽の野  7

  シオドアはキルマ中尉に通報し、メイドの為に救急車を呼ぶ許可をもらった。メイドは怪我をしていないと言ったが、やはり念のために診察を受けさせたかった。2人の兵士は彼等の上官の判断に任せるしかない。

「彼女の寝室をご覧になりました?」

とロホがそっと尋ねた。シオドアは頷いた。

「男女の秘事の跡があったでしょう。」

とロホが控えめな表現で言った。シオドアはアリアナが心配だったが同時に腹が立った。何故彼女は同じ過ちを繰り返すのだ? しかしロホが問題にしたのは、そんなことではなかった。

「男の臭いがしましたが、複数でした。貴方の臭いを除外しても2人はいた様です。」
「2人?」
「スィ。一人は若いです。恐らく護衛のシャベス軍曹でしょう。」

 ロホの鼻はジャガーの鼻だ。

「もう一人がはっきりしません。タバコの臭いで人の臭いが薄まっています。」
「タバコ・・・」
「カルロが吸っているのと同じタバコです。」

 シオドアはロホの目を見つめた。

「”出来損ない”がここに来た? 犯人はそいつか?」

 ロホは首を傾げた。

「果たして”出来損ない”でしょうか? 兵士2人の記憶を”操心”で消しています。メイドも同じ手口で気絶させられたのでしょう。犯人は己の気の強さを誤魔化す為に敢えてタバコで鎮めたのだと思います。」
「それじゃ・・・シャベス軍曹も攫われた?」
「ガレージに車がありません。軍曹は操られてアリアナの拉致に手を貸したと思われます。」

 緊急車両のサイレンの音が近づいて来た。先ず陸軍特殊部隊第17分隊が到着した。それからほぼ同時に救急車と憲兵隊が来た。
 陸軍特殊部隊第17分隊の分隊長アデリナ・キルマ中尉はステファン大尉が呟いた通り胸の大きな女性だった。胸だけでなく体全体が大柄だった。そして純血種の顔をしていた。野太い声で部下を指図して家の周囲を固めた。憲兵隊がアリアナ誘拐事件の現場を捜査し始め、当然ながらシオドアとロホは事情聴取を受けた。メイドと2人の兵士も同様だ。
 メイドが救急車で運ばれる頃に、高級乗用車が門の前に停車した。車から場違いなタキシードとイブニングドレスで正装した男女のペアが降りて来た。当然ながら捜査員達や遠巻きに眺めている近所の野次馬の注目を集めた。そのペアが純血の先住民でありながら板にハマった着こなしをしていたのは、その服装に慣れていたからだろう。
 ロホが彼等を見て、手で己の額をピシャリと打った。

「しまった、今夜は大統領の誕生日祝賀会だった。」

 シオドアはドレス姿のケツァル少佐からロホに視線を移した。

「彼等はパーティーに出ていたのか?」
「スィ。任務です。大統領警護隊ですから。」
「ああ・・・大統領を警護していたんだな、文字通りに・・・」

 少佐がツカツカとハイヒールの音を響かせて家の中に入って来た。捜査の邪魔になりそうだが、憲兵隊は黙認した。彼女はロホの前に立つと一言命令した。

「報告!」

 報告は目と目で行われた。シオドアは一瞬で全てが伝わる”心話”が羨ましかった。言葉も映像も音も全部伝わるのだから。それにしても、今夜の彼女は実に美しい・・・。

「パーティーを抜け出させてごめんよ、少佐。」

 シオドアが謝ると、ケツァル少佐が彼をジロリと見た。

「アリアナを一人にしたのですね?」
「彼女には悪いことをした。友人の相談に乗ってやる為に、先に帰したんだ。だけど、彼女が狙われるなんて予想していなかった。」
「貴方は夜間に外出したのですか?」

 タキシードを着込んだシーロ・ロペス少佐が厳しい声で質問してきた。亡命審査官だ。1年間の観察期間中、シオドアとアリアナが毎日同じスケジュールで生活することを奨励していた男だ。
 シオドアは仕方なく夜間外出を認めた。

「友達の相談に乗るために、出かけていたんだ。アリアナは護衛のシャベス軍曹の車で帰った。夜間警護は2人いるし、大丈夫だと思ったんだ。」
「貴方は護衛も付けずに?」

 ロホが黙っていられなくなって、口を出した。

「今夜のドクトルの護衛は私です。」

 ロペス少佐が彼をジロリと見た。

「マレンカの御曹司、君をドクトルの護衛に任命した覚えはないが?」
「マレンカ?」

とシオドアが呟いたが、誰も説明してくれなかった。ロホは頬を赤らめたが、言い返した。

「特殊部隊が10人いるより私1人の方がドクトルを護衛する能力は上だと思います。」
「マルティネス中尉!」

とケツァル少佐が、上級将校に口答えした部下の口を閉じさせる為にきつい調子で名を呼んだ。ロホは仕方なくと言った表情で口を閉じた。
 ロペス少佐は腹立たしげにキルマ中尉の方へ歩き去った。特殊部隊と憲兵隊に捜査の指示を出すつもりだろう。
 シオドアはもう一度ケツァル少佐を見た。胸元が大きく開いたセクシーなドレスだ。ただ脇はしっかり隠してある。多分胸の傷跡を見せない配慮だろう。スカート部分に深いスリットがあり、チラリと太腿に装備した小型拳銃が見えた。本当に大統領を警護していたんだ。

「大統領警護隊がここへ来る理由はないよな? 君が来たのは、ロホが事件の通報者だったからだろう?」
「当然です。」

 ケツァル少佐はアリアナの寝室やキッチンで指紋採取をしている憲兵隊を見ながら言った。

「友達が攫われたのに、厳重な警備で固められている大統領府でのんびりしていられないでしょう。」

 それって、アリアナの身を心配して来てくれたってことか。シオドアは素直になることにした。

「彼女から目を離してごめん。ロホから報告があったと思うが、犯人はセルバ人だ。遺伝病理学研究所じゃない。」

 キルマ中尉が近づいて来た。ケツァル少佐の前に立って敬礼した。少佐も敬礼を返した。2人の女性が目で情報を交わしたので、シオドアはキルマ中尉も”ヴェルデ・シエロ”だとわかった。大統領警護隊にはスカウトされずに陸軍に残った人だ。だが特殊部隊の分隊長を務めているのだから、決して能力が劣っている訳ではない筈だ。
 中尉は一言も声を使って喋らなかった。多分、この場に来ている憲兵隊に一族はいないのかも知れない。
 キルマ中尉はもう一度少佐に敬礼し、ロホにも敬礼した。そしてくるりと向きを変え、部下達の方へ歩き去った。
 ロホが少佐に囁いた。

「彼女、相当怒っていますね?」
「部下が1人姿を消して、2人は不甲斐なくやられましたからね。」

 ケツァル少佐が冷たく言った。

「憲兵隊と仲は良いんですか?」
「どうでしょう。」

 少佐が他人事の様に言った。

「捜査権を巡って争うかも知れません。内務省は軍に責任を押し付けるでしょうから。」

 憲兵隊が何やら騒がしくなった。キルマ中尉が憲兵達を押しのけてアリアナの寝室に入っていった。シオドアは不安になった。何か見落としがあったのか? キルマ中尉が戸口から顔を出して怒鳴った。

「少佐!」

 ケツァル少佐とロペス少佐が振り向いたので、彼女は怒鳴り直した。

「ケツァル少佐!」

 ケツァル少佐が寝室に向かったので、シオドアとロホもついて行った。2人の男性がついて来たことにキルマ中尉は苦情を言わなかったが、ロホにはこう言った。

「バスルームを見なかったのか、マルティネス中尉?」
「見たが?」
「では、鏡に気づかなかったのだな?」
「鏡?」

 キルマ中尉は憲兵達を退がらせ、ケツァル少佐とロホ、そしてシオドアにアリアナの寝室にあるバスルームを示した。鏡に鑑識の指紋採取用の粉が振りかけられていた。そこに文字が浮かび上がっていたのだ。

 太陽の野に銀の鯨が眠っている



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第11部  紅い水晶     19

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