2021/08/06

太陽の野  13

  滅多に飛んでいる姿を見たことがない、とセルバ国民から揶揄される程飛ぶ便数が少ないセルバ空軍の物資輸送機がグラダ・シティからオルガ・グランデの政府軍基地に向かって飛び発った。離陸する前から中古の機体はガタガタビシビシと音をたてて、辛そうに唸るエンジンがいっそう乗客達を不安に駆らせた。シオドアは大統領警護隊文化保護担当部の友人3人と一緒に並んでハーネスで機体に体を固定していた。向かいには交代でオルガ・グランデに派遣される陸軍兵が5名並んで固定されている。彼等の視線はシオドアの右隣に座っているケツァル少佐に向けられていた。但し、彼女の目は見ない。セルバ人のマナーだし、相手の胸で光っている緑色の鳥の徽章を見れば、目を合わせるのは絶対に避けたいと言うのが本音だろう。彼等は同様にシオドアの左に座る2人の男性隊員の目も見ない。大統領警護隊と出会うことすら珍しいのに、それが3人も目の前で、同じ機内にいるので、兵士達はちょっと興奮していた。シオドアが白人で民間人であることを忘れている様だ。もっとも、遺跡発掘調査隊の警護に当たれば、彼等は嫌でも大統領警護隊と毎日顔を合わせることになるのだが。

 シオドアは機体の激しい揺れで胃の具合がおかしくなりそうだった。早朝に少佐が朝食として作り置きのお手製煮豆を少しずつ全員に出してくれた。前日の作り立てより味が馴染んで美味しかったのでお代わりを頼むと断られた。ロホもステファンも物足りなそうだったが、彼等は黙っていた。その理由が、この機体の揺れだったのだ。朝食が少量だったので、機内に備え付けられている汚物袋を何とか使わずに済みそうだが、向かいの陸軍兵士達は苦労していた。一度機体がシオドア達の側へ傾いた時、ステファン大尉が思わず彼等に怒鳴った。

「その袋をこっちへ落とすなよ!」

 輸送機には人間の他に食糧や軍が使う備品なども積み込まれていて、果物の甘い匂いが充満していたのだが、それも飛行機酔いの一因だった。ステファン大尉が気の抑制タバコを出して咥えた。火は点けない。酔わないために咥えたのだ。ロホが珍しく1本分けてくれと頼んだので、シオドアももらった。
 タバコは死ぬほど不味かった・・・。
 ケツァル少佐は終始目を閉じて微動だにしなかった。もしかすると気絶しているのかも知れない、とシオドアは心配した。しかしどんなに機体が激しく揺れても彼女は彼に倒れかかってこなかった。ロホが彼女を見て、何か呟いたが、騒音で聞こえなかった。ステファン大尉には聞こえたらしく、大尉が笑った。シオドアが「何だい?」と訊くと、大尉は彼の耳に顔を寄せて囁いた。

「彼女は今この飛行機を必死で守護しているに違いない、とロホは言ったのです。」

 少佐が守護すると言うことは、飛行がやばいと言うことだ。ロホは縁起でもない冗談を言った訳だ。酔い止めの意味で、2人の男性隊員は冗談を飛ばし合った。

「アスルがいなくて良かったな。アイツがここにいたら、目を開けたまま気絶していたぞ。」
「この前飛行機に乗せた時は、搭乗締め切り寸前迄ゲイトで駄々をこねていたからな。」
「アイツが搭乗を嫌がると、その飛行機に良くないことが起きるんじゃないかと、こっちが不安になるぜ。」
「マハルダもそろそろ飛行機を体験させてやらないとな。」
「彼女は相当煩いぞ。離陸から着陸までずっと悲鳴をあげているさ。」
「エンジン音にかき消されるから大丈夫だ。」

 後輩の悪口のオンパレードだ。しかしどれも愛情が篭っていた。兄貴分としてロホもステファンも若い2人の少尉の性格を把握しているのだ。
 やがて輸送機が高度を下げて行くのがわかった。気圧が変化して行く。ロホが大声を出した。

「口を閉じていろよ、着陸するぞ!」

 輸送機としてはかなり乱暴なアプローチで急降下に近い角度で飛行機はオルガ・グランデ陸軍基地へ降り立った。激しい揺れと振動でシオドアは口を閉じていても舌を噛みそうになった。短い滑走路を走って、輸送機は止まった。
 ケツァル少佐が両腕を伸ばして、うーんと声を上げた。

「よく寝た・・・」

 彼女は唖然として見つめている男達に気づかないふりをして、ハーネスを外した。

「先ず、基地司令に挨拶、それから食事、その後でアンゲルス鉱石の本社へ行く。」

 シオドアはハーネスを外しながら彼女にそっと尋ねた。

「カルロのお母さんの様子を見に行かないのか?」

 トゥパル・スワレがステファン大尉の命を狙うなら、母親と妹も危険なのではないか、と彼は案じたのだ。しかし少佐は「不要」と一言で片付けた。荷物を持ってすぐに出口へ歩いて行く彼女を見て、シオドアはステファン大尉を振り返った。大尉は生まれ故郷に戻って来たにも関わらず、懐かしそうに見えなかった。生きるために、家族を養うために窃盗や掏摸や詐欺紛いのことをして少年時代を過ごした街だ。そして父親が一族を相手に一人で戦った土地だ。きっと複雑な気分なのだろう。ロホが荷物を背負うのを見届けて、シオドアは機外に出た。
 基地の中を歩くと、当然ながら出会う人々が大統領警護隊に敬礼して迎えた。迎えられる方は一々返礼するので疲れそうだ。途中、一人の男とすれ違った。消毒薬の匂いがすると思ったら、彼はロホを見て声をかけた。

「マルティネス中尉、もう肩の具合はよろしいのかな?」

 軍医だ。シオドアは思い出した。反政府ゲリラのディエゴ・カンパロに肩をナイフで刺されたロホはここで診察と再手術を受けたのだ。ロホがニッコリ笑って軍医に礼を言った。

「グラシャス、ドクトル。もう以前と変わりなく動けます。」

 彼は腕を回して見せた。軍医も笑顔で彼の肩を軽く叩いて歩き去った。ステファン大尉がちょっぴり不満げに囁いた。

「君の回復が上手くいったのは、少佐が手術してくれたからだ。」
「わかっている。だけど、軍医の顔を立てないとね。」

 ロホはケツァル少佐の手術の手伝いをしたシオドアを見て微笑んだ。するとずっと先に進んでいた少佐が怒鳴った。

「早く来なさい、置いて行きますよ!」





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第11部  紅い水晶     19

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