2021/08/26

第2部 節穴  2

  アンドレ・ギャラガは勤務を終え、官舎に戻った。まだ少尉だから大部屋だ。20人が広い大きな部屋で寝起きしている。所属班がバラバラなので常時半数は不在だ。ギャラガは冷たい水のシャワーを浴びて、食堂へ行った。決まった時間に一斉に食べるのではなく、勤務が終わる順番に食べるのだ。煮豆にトーストに野菜スープ、コーヒーのシンプルな食事だ。肉が出るのは勤務の途中の中食だけだ。食事は階級に関係なく同じだ。だからたまに食堂で少佐や中佐級の偉いさんを見かけるが、その日上級将校はいなかった。質素だが量だけはしっかりある食事を終えると、大部屋に戻って寝るだけだ。
 ギャラガは友人がいないので、仲間が集まってカード遊びをしたり、運動施設へ出かけたりするのに加わらなかった。個人のスペースはベッドだけだ。そこに座って棚からラジオを出した。私物は少なく、置けるスペースも狭いので、彼の全財産はそこにある物だけだった。故郷もないし、実家もない。兵士としての自信はあるが、”ヴェルデ・シエロ”ではない落ちこぼれがこのままここにいて良いのだろうか。
 イヤフォンを付けようとして、隣のベッドの男が目に入った。警備2班の大尉だ。向こうは東館の担当で、2時間前に勤務が終わった。寛いでいるらしい。大尉は読書中だった。ギャラガは彼と話をしたことがない。勤務時間が微妙にずれているので、彼が戻ると大概向こうは寝てしまっていた。彼が起きれば既に勤務に就いていた。この日は珍しく起きていて読書をしていたのだ。
 普通中尉になれば大部屋を出て5人部屋へ移る。大尉は2人部屋の筈だ。しかし半年前に転属して来たその大尉は何故か大部屋で寝起きしていた。ってか、転属って何処からだ? 大統領警護隊は必ず少尉から始めるのだ。将校の中途採用はない。階級が高いので、他の少尉達は遠慮して彼に話しかけない。彼も別に誰かと仲良くしようと言う気はないらしい。
 ギャラガがその大尉の存在を気にしたのは、向こうも白人の血を引いていたからだ。明らかにヨーロッパ系の血が入った顔立ちで、ゲバラ髭を生やしている。軍人は髭を剃るのが決まりだが司令部は彼に対して何も言わないようだ。抑制タバコを火を点けずに咥えて、彼はセルバ考古学の論文集を読んでいた。山賊の様なワイルドな雰囲気の風貌なのに、インテリジェントな趣味を持っている様だ。
 ギャラガが考古学の本が珍しくて表紙を眺めていると、視線を感じて大尉が目線を上げた。

「何かな、少尉?」
「あ、いや・・・何もないです。」

 上官に絡まれると碌なことがない。ギャラガは慌てた。大尉は彼をジロジロ眺め、不思議なことを言った。

「私を監視するなら、もう少し上手くやれよ。」
「?」

 ギャラガが彼の言葉の意味を理解できずに見返すと、大尉は目線を再び本に戻した。どう言うことだ? 売られた喧嘩は買う主義だった子供時代の気分が蘇った。ギャラガはベッドを降りて相手のそばへ行った。

「私が貴方を監視しているなんて、どうして思われるのです、大尉?」

 大尉が本を見たまま答えた。

「私を見ていたからさ。」
「私は貴方の本を見ていたのです。貴方を見たのではありません。」

 すると大尉はパタンと本を閉じた。そしてギャラガに差し出した。

「貸してやろう。読んだら必ず返してくれ。安くないんだから。」

 ギャラガは本を見つめた。これは新手の嫌がらせだろうか? 自分がこの大尉に何をしたと言うのだ? 彼は言った。

「考古学が珍しくて本の表紙を見ていたのです。読みたい訳ではありません。読んでも私には難しくて理解出来ないでしょう。」
「考古学は難しい学問じゃない。私にだって少しはわかるんだから。」

 そう言って大尉が微笑した。意外に人懐っこい笑顔だった。ギャラガも釣られて笑ってしまった。

「私は学がないので読み書きが苦手なんです。」
「私だってまともな教育を受けていない。警護隊に入って初めて教育らしい教育を受けた。」

 大尉は本をベッドの枕元の小さな棚に置いた。

「白人の血が入っている様だな。部族は何だい?」
「ブーカです。4分の1だけですが・・・警護隊に入隊して初めて自分が何族なのか知りました。」

 大尉が小さく頷いた。”ヴェルデ・シエロ”の多くがブーカ族の血筋だ。”ヴェルデ・シエロ”に分類される先住民は7部族あるが、ブーカ族はその中で最多の人口を持っている。そして大統領警護隊の徽章をもらえる能力を持っているのもブーカ族が殆どだ。他の部族は人口が極端に少ないか、能力が長い時間の中で弱まってしまった。しかし”出来損ない”で落ちこぼれのギャラガは胸を張ってブーカだと言えなかった。

「ブーカですが、ナワルを使えません。”心話”も出来ません。」

 彼は大尉が驚くのがわかった。”心話”が出来ない”ヴェルデ・シエロ”なんて存在しない。ギャラガは大尉に目を覗かれたが、何も伝えられなかった。大尉が呟いた。

「まだ目覚めていないだけだろう。」

 ギャラガは同意することが出来なかった。大尉はタバコをゴミ箱に投げ入れた。

「私だって1年前に目覚めたばかりだ。」

 しかし大尉の髪は真っ黒で肌もメスティーソらしく浅黒い。”ヴェルデ・シエロ”の血が優っている様だ。”心話”は生まれつき使えただろう。

「貴方もブーカですか、大尉?」

 何となく相手の気に違和感を覚えて、ギャラガは訊いてみた。この大尉から漂ってくる気配は他の隊員達と違う。大尉が寝るために姿勢を変えながら答えた。

「ブーカの血も流れているが、半分はグラダだ。」

 
 

1 件のコメント:

Jun Tacci aka ねこまんま さんのコメント...

原作では、カルロ・ステファンは自ら進んで本隊復帰しているが、こちらでは司令官の命令で戻されている。
また、原作で彼は大神官になるための修行をさせられているが、ここではそれはない。

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