2021/08/26

第2部 節穴  1

  セルバ共和国大統領警護隊、通称ロス・パハロス・ヴェルデス(緑の鳥)は一般市民にとって憧れと畏怖の対象だが、実は”ヴェルデ・シエロ”だけで構成されている軍隊であることは全く知られていない。そもそもこの種族の名前を知っているのは考古学者と人類学者、そして政府の要職についている一部の人々だけだ。5千年以上昔に絶滅したと言われている古代の神様の名前で、その後に台頭した部族が残した遺跡の彫刻や壁画で知られる伝説の部族と考えられている。「頭に翼を持つ神」として知られ、半身がジャガーの彫像もある。しかし、”ヴェルデ・シエロ”は実在した。そして今も実在する。セルバ人はその名を知っているが口に出さないだけなのだ。うっかり噂話などして神様の耳に入りご機嫌を損なうと大変だから。ロス・パハロス・ヴェルデスが畏怖の対象となっているのは、彼等が神様と会話出来ると信じられているからだ。神様そのものだなんて市民は誰も想像していない。警護隊のご機嫌を損ねて神様に告げ口されてはたまらない、と思っているのだ。
 大統領警護隊が警護するのは大統領と政府高官、国賓、セルバ共和国の精神的シンボル”曙のピラミッド”に座す巫女ママコナだ。そして市民は知らないが、国全体を彼等は守っている。小さな貧しいセルバ共和国が、飢えもせず大規模な飢饉に遭いもせず、疫病とも縁が薄いのは、彼等が守っているからだ。
 アンドレ・ギャラガは半分白人の血が流れている。他のメスティーソより肌が白く髪も赤い。”ヴェルデ・シエロ”の血は4分の1だけだ。だから”曙のピラミッド”から語りかけるママコナの声を聞けない。頭の奥で蜂がブンブン唸っている様に感じるだけだ。アメリカ人だった父親は彼が5歳の時に病死して、彼は貧しい生活の中で育った。母親も半分だけの”ヴェルデ・シエロ”で超能力をうまく使えなかった。彼女は街で体を売り、病気で彼が10歳になる前に亡くなった。ギャラガは食べる為に年齢を偽って軍隊に入った。15歳の時に陸軍の特殊部隊に入れられた。荒くれた兵士の中で揉まれて一人前に喧嘩の上手い男になった。そして1年後に大統領警護隊に採用された。
 正直なところ、何故己がそんなエリート部隊に採用されたのか、ギャラガは理解出来なかった。周囲は、”ヴェルデ・シエロ”ばかりだったのだ。彼等は目と目を見合わせるだけで一瞬にして情報交換や会話が出来る”心話”を使う。だがギャラガはそれが出来なかった。”心話”が出来ることが”ヴェルデ・シエロ”の条件である筈なのに、出来ないギャラガが大統領警護隊にいる。ギャラガ自身、己が”ヴェルデ・シエロ”だと言う自覚がなかったので、大いに当惑した。僚友達は皆”心話”を使える。”ヴェルデ・シエロ”と”ヴェルデ・ティエラ”のミックス達だ。見た目は純血先住民で白人の血が混じるギャラガとは外観が異なる。勿論、白人とのミックスであるメスティーソもいる。彼等は”出来損ない”と侮蔑の呼称を与えられているが、それでも”心話”を使えるし、ある程度の超能力を使う。そしてナワルも使えるのだ。
 ナワルはジャガーに変身する能力だ。能力の弱い者はジャガーより小さめのマーゲイやオセロットに変身する。しかしギャラガは当然それも出来ない。それより僚友がナワルを使うのを見て、仰天して気絶してしまったのだ。”出来損ない”の”落ちこぼれ”のアンドレ。気がつくと友人は出来ず、誰もが彼と組んで警備についたり訓練するのを敬遠していた。能力のない者と組めば危険だ。それが彼等の考え方だった。

 ギャラガが配置されている大統領警護隊警備第4班は、大統領府西館の夜間警備と”曙のピラミッド”の日中警備を担当していた。火曜日の夜、ギャラガは西館の大統領夫人の部屋の外で立ち番をしていた。一人だ。”ヴェルデ・シエロ”は能力をもっているので、基本的に単独行動する。一人になると彼はホッとした。他人を気にせずにいられる。軍隊はプライバシーのない世界だし、”ヴェルデ・シエロ”同士では秘密を持つことが難しい。この立ち番の時間だけが、彼の心が自由になれる時だった。
 乾季の夕刻。短いスコールが過ぎ去って涼しい風が彼の頬を撫でた。まもなく満天の星空になるだろう。工業があまり盛んでない貧しい国だからこそ、空気が澄んでいる。ギャラガは壁にもたれかかり、抑制タバコを咥えた。強い能力を持つ純血種や気の制御が下手なミックスに軍から支給される、特殊な薬効を持つ植物から作られるタバコだ。ギャラガは能力がないので支給対象外だが、官舎の仲間がたまに分けてくれた。好意より厚意だ。ギャラガは遠慮せずにもらうことにしていた。国民の税金で作られるタバコだ。もらって何が悪い?
 安物のライターでタバコに火を点けた時、正面のハイビスカスの茂みで人の気配があった。彼はタバコを投げ捨て、アサルトライフルを構えた。

「誰だ?!」

 返事はなかった。しかし確かに誰かいる。彼は何者かの視線を浴びている感触を拭えなかった。冷たい視線がこちらを向いている。彼の能力の大きさを測るような酷く冷静な目。彼は姿が見えない相手を睨みつけた。下手に動くと攻撃されそうな気がした。侵入者なのか? 彼はもう一度声をかけてみた。

「出て来い! ここは立ち入り禁止区域だぞ!」

 やはり返事はなく、誰も出て来ない。彼は意を決して一歩前に出た。向こうは動かない。彼はもう一歩前に踏み出した。それでも反応なし。彼の胸中に疑問が湧いた。本当に茂みの中に誰かいるのだろうか。
 彼はタバコを踏み消して、隙を作って見せた。それでも相手は動かなかった。誰もいないのだ。彼は確認の為に茂みに近づいた。銃口を向けたまま茂みを覗いた。
 誰もいなかった。彼は周囲を見回した。気配は確かにあったのに、実体がなかった。

1 件のコメント:

Jun Tacci aka ねこまんま さんのコメント...

アンドレ・ギャラガ登場!

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