2021/08/12

星の鯨  2

  透明な湖が目の前にあった。天井や奥行きがどの程度の距離なのかわからないが、水の上の空間はかなり広い様だ。そこにキラキラ光る小さな物体が無数に見えた。岩に付着しているのか、空中に浮かんでいるのかわからない。土蛍なのだろうか。しかしシオドア一行の目を捉えたのはもう一つの光る物体だった。それは湖の中央辺りに横たわっていた。兎に角大きな物体だった。長さは100メートル以上あるだろうか、幅もかなりありそうだった。緩やかな流線形で半分水面下にあった。水上に出ている部分は光っていた。さまざまな色彩が絶えず波打つように変化して、表面はすべすべの様に見え、次の瞬間には粉を吹いている様にも見えた。表面から時々光る小さな物体が飛び立ったり、集まってきたりしている様にも見えた。透明な水の底は金色だった。金鉱石でもあんなに金色ではないだろう、とシオドアは思った。空中の光る小さな物体は、湖底の金色の光を受けて光っている様にも見えた。
 ケツァル少佐が呟いた。

「太陽の野に星の鯨が眠っている・・・」

 ステファン大尉が記憶を探る表情をした。

「祖父の昔話のイメージより明るいですが、ほぼ同じです。」
「それじゃ、君のお祖父さんはここ迄来たことがあるんだな?」
「祖父に見せてもらったイメージはもっと暗かったのですが、ここは予想以上に明るいです。」

  シオドアは星の鯨をもっと良く見ようと水辺に近づいた。滝の方を見ると、綺麗な岩壁が水を堰き止めているのが見えた。あれは人工物じゃないのか? シオドアは湖を見回した。壁が綺麗に滑らかな曲線を描いている。巨大な水盤の様に見えた。底が平に見えるのは目の錯覚ではなさそうだ。天井も凸凹していなかった。キラキラ輝くものに覆われているが、プラネタリウムの様にも思える。そして、時々横へ動く点もあった。
 彼は鯨を見た。表面を覆っている光る物も動いているのだ。あれは生き物だろうか。光る生物なのか? 
 突然空気がぴっと冷えた様な気がして、シオドアはびくりとした。後ろを振り返ると、ケツァル少佐が空中の一点を見つめていた。彼女の目の前を小さな光の点がゆっくりと移動していた。少佐はそれを見つめていたのだ。シオドアはステファン大尉の反応を伺った。大尉もやはり少佐と同じ物を見つめていた。
 光る点が湖の方向へ動き、少佐と大尉がそれを目で追った。シオドアも点を見たが、虫の様な羽根は見えなかった。兎に角小さい。小さいが光っているので見える、そんな大きさだ。光はゆっくりと飛んでいたが、水上に出ると急に速度を得てスッと中央の鯨の形の島へ去って行った。
 ステファン大尉が息を吐き出した。そして島を見たまま、少佐に話しかけた。

「グリュイエでしたね?」
「スィ。」

 少佐が夢見心地の表情で答えた。シオドアは「グリュイエって?」と尋ねた。大尉が少佐を見た。少佐が我に帰った。そしてシオドアを見上げて答えた。

「大統領警護隊文化保護担当部に配属される予定だった少尉です。」
「予定だった?」
「配属の打診を受けて本人も喜んで承諾した日の夕方に亡くなったのです。」

 シオドアは鯨の島を見た。もうさっきの光の点が何処へ行ったのかわからなかった。

「その人が、さっきの光だったのか?」
「わかりません。彼の顔が光のそばに見えたのです。」
「幽霊か?」

 少佐は首を傾げただけだった。シオドアはステファンを見た。ステファンが彼に向き直って説明した。

「グリュイエは陽気で優しい若者でした。アスルの後輩でアスルに憧れて彼と同じ部署を希望したのです。」
「希望が通って嬉しかっただろうな・・・」
「スィ。彼は上官に配属の承諾をした日の夕方、アスルにその報告をするつもりだったのでしょう、バスで文化・教育省へ向かったのです。そのバスが事故を起こした・・・信号無視のトラックと衝突したのです。6人の死者が出ました。」
「グリュイエもその一人だったんだ・・・」
「アスルは彼の死を受け入れられなくて、事故の瞬間に飛んだのです。」

 アスルことキナ・クワコ少尉は時間跳躍を自在に出来るとシオドアも聞いたことがあった。但し、それには厳しい掟があって、未来に飛んだり、過去の歴史を変えることは絶対に許されない。アスルは後輩のグリュイエを助けたかったのだろうが・・・。

「グリュイエは脚を曲がったバスの車体に挟まれていたそうです。それでも近くにいた妊婦を助けようと、気で彼女を外へ弾き飛ばした。その直後にバスは火に包まれてしまったのです。一瞬のことだったそうです。」

 少佐が言った。

「私は彼に会ったことがありません。配属希望者がいると副司令から推薦状を受け取っただけでした。彼に会うのを楽しみにしていたのに突然の悲報でショックでした。彼は、大統領警護隊の”名誉の殉職者”に列せられて写真が礼拝堂に飾られています。ですから、彼の顔は知っているのです。」

 そう言えば、マハルダ・デネロス少尉が大統領警護隊文化保護担当部に配属された時、「空きがある」と上官に勧められたと言っていた。その「空き」がグリュイエ少尉の死去だったのだ、とシオドアは悟った。恐らく、グリュイエ少尉が文化保護担当部を希望していたと言う事実をデネロス少尉は教えられていないのだ。ケツァル少佐もステファン大尉もロホもアスルも彼女にそんな悲しい事情を教えない。デネロス少尉は将来の進むべき道をなかなか見つけられなくて、偶々空きが出来た場所にやって来た。そして楽しく働いている。だから、それで良いのだ、と彼女の上官達は考えている。

「事情はわかった。だけど、どうしてその夭逝した英雄が、こんな所に現れたんだ?」
「わかりません。カルロも私も彼と直接の接点がありませんでしたし、さっき彼を見る迄彼のことを思い出したこともありませんでした。ですから、いきなり彼が目の前に現れて、私は仰天してしまいました。」
「でも君達は、すぐに彼だとわかったんだ?」
「スィ・・・本当に、すぐわかりました。」
「私もです。」

 ステファン大尉は光る点達を見上げた。シオドアはふと思ったので、言葉に出してみた。

「普段もこんなに輝いて動いていたら、鉱夫達にもっと知られていたよな?」

 ステファンが振り返った。

「どう言うことです?」
「この光の点は普段はじっとして余り輝いていないんじゃないかな。だけど、今日は俺達が来た。強力な力を持ったグラダ族が2人と白人だ。だから、彼等は騒いでいる。」
「しかし、何故グリュイエが・・・」
「テオがいるからでは?」

と少佐が言って、シオドアを驚かせた。

「俺が?」
「貴方はバス事故の生き残りでしょう?」

 ああ、とシオドアは声を立てた。

「グラダ族とブーカ族の強い力が神殿から発せられたのを感じて、彼等は目覚めたんだ。そして、大統領警護隊文化保護担当部の指揮官と副官がやって来た。同行している白人がバス事故で生き残ったヤツだ。だからグリュイエ少尉は興味を持って挨拶に近づいた・・・」

 彼は湖を指差した。

「あの湖は死者の魂の場所か?」
「それも英雄の・・・」

とステファンは呟き、彼はリュックを背中から下ろした。岩に座っている少佐の横に荷物を置き、アサルトライフルも置いた。

「あの島を見てきます。」
「はぁ?」

 シオドアは彼の前に立った。

「いきなり何を言い出すんだ? あれが何かもわかっていないのに、そばへ行くのか?」
「何かわからないから調べに行くのです。」

 ステファンは既に服を脱ぎ始めていた。少佐が言った。

「許可していません。」
「今やらなくて、何時やるのです?」

 大尉は好奇心と言うより、することをさっさと済ませて帰ろうと言う気分だ、とシオドアは感じた。トゥパル・スワレと戦ったら、もう鯨を調べる余力は残らないだろうと思っているのかも知れない。後日またここへ来ることは考えていない。きっとここにまた来たいなんて思っていないのだ。
 ステファン大尉は見事な筋肉をシオドアの前に曝し、軍靴も脱いだ。ボクサーパンツ1枚になると、少佐がリュックのサイドに装備されていたロープを掴んで彼に投げた。

「水の流れは見た目より疾いですよ。しっかり固定させて体に結えて行きなさい。風邪をひいたら承知しません。国防省病院に叩き込みますからね。」



 



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