2021/08/10

太陽の野  25

  ケツァル少佐は自らの休憩も兼ねて、ロホを好きなだけ眠らせてやった。ロホは物陰で休むジャガーの様に体を列柱の間に横たえて静かに眠っていた。手はアサルトライフルを抱えていた。ジャガーの姿の時も、人間の姿でいても美しい若者だ。Tシャツを着た少佐は、彼に借りていた上着をそっと彼に掛けてやった。上官というより母親か姉の表情で彼の額に軽く唇で触れた。恐らくロホはその光栄な処遇に気が付かないだろう。
 彼女は柱を支えにして立ち上がると、ゆっくりと自分が寝ていた場所へ戻った。そこでは彼女の義弟がまだ拗ねた顔をして装備の点検をしていた。ロホに持ち帰らせる物と、自分たちが持って行く物を仕分けているのだった。アリアナが目を覚まして彼の作業を眺め、何をしているのかと尋ねた。ステファン大尉は黙って少佐を見上げた。それでアリアナは少佐が起きて立っていることに気がついた。

「立って大丈夫なの?」
「スィ。グラシャス。」

 少佐は慎重に腰を下ろそうとした。ステファン大尉は無視しようとしたが、アリアナが立ち上がって彼女に手を貸したので、仕方なく質問に答えた。

「二手に分かれます。貴女とロホは地上へ戻って下さい。我々はシャベス軍曹を探します。」

 アリアナが少佐を振り返った。少佐は気怠そうに岩の床の上に座り込んだところだった。

「貴女も上に戻るべきよ、少佐。」

 ノ、と少佐が首を振った。

「私はまだ坑道を上る体力がありません。ここで座っていれば、シャベス軍曹かトゥパル・スワレがやって来るかも知れません。」
「でも、ここは薬も食料もないわ。」
「だから、貴女とロホが地上へ出て基地へ通報してくれると助かります。」

 勿論それがロホを地上へ戻す一番の理由だった。大統領警護隊本部に少佐とステファン大尉とシオドアが地下でトゥパル・スワレと対決しようとしていることを報告してもらいたかった。自分たちが敗北しても、上の人々に何が起きたか知らせておかなければならない。そして虚しい検問を行なっている憲兵隊と陸軍特殊部隊にも、誘拐されたアリアナ・オズボーンが無事に救助されたことを伝えなければならない。シャベス軍曹は未発見だが・・・。
 アリアナはステファン大尉を見た。彼はまた仕分け作業に戻っていた。彼女はシオドアを探した。暗がりの中で、シオドアがヘッドライトの頼りない光を頼りに警備に当たっているのが見えた。

「カルロだけでなく、テオも連れて行くの?」

とアリアナが咎める様に言った。

「欲張りね、少佐。」

 彼女は屈んだ姿勢で少佐ににじり寄って、用心深く少佐をハグした。

「約束して、必ず全員無事に帰って来るって。」
「貴女も無事に地上へ帰ると約束して下さるなら、約束します。」

 少佐はいつも通り素直ではない。その代償に、アリアナにギュッと抱き締められた。

「約束するわ!」
「・・・約束します・・・」

 ステファン大尉がアリアナに小声で注意した。

「少佐の心臓が・・・」
「あっ!」

 アリアナは慌てて少佐から離れた。一瞬、少佐とステファンの目が合った。殺されかけた、と少佐の目が言ったので、ステファンはもう少しで吹き出すところで堪えた。
 1時間後にロホが目覚めた。彼は少佐が起きて動き回っているのを見て、己が予定より長く眠っていたことを知って慌てた。少佐が彼を見て不気味な笑を浮かべた。

「十分な休息を取れましたか、中尉?」
「スィ・・・すみません、寝過ごしました。」

 ロホはステファン大尉がアリアナの素足を布で包んでやっているのを見た。少佐が説明した。

「彼女の靴の代わりに布を巻いています。これから貴方は彼女を護衛して地上へ戻りなさい。」
「え? しかし・・・」
「しかし?」

 ロホは口を閉じた。上官に向かって「しかし」はない。少佐が続けた。

「地上へ出たら、直ちに本部へ連絡を取り、司令にここで貴方が見たこと聞いたこと全てを報告なさい。後は司令の指示に従うのです。」

 ロホは直ぐに返答出来なかった。ステファン大尉は既に荷物の仕分けを終え、二手に分かれる準備を済ませていた。アリアナの足が傷つかないよう、しっかりと布を巻き、血行を妨げないよう、脚を少しマッサージしてやった。アリアナは彼の逞しい手の感触を肌に記憶させようと目を閉じていた。シオドアはまだ階段の上で警備に余念がない。ロホは尋ねた。

「テオはあなた方と一緒に行動するのですか?」
「スィ。彼は貴方の足手まといになることを心配して、ここに残ります。」
「私の足手まとい?」
「貴方は一人でアリアナを守って歩かなければなりません。だから十分な休息を取ってもらいました。絶対に2人で無事に本部へ戻るのですよ。」

 ああ、とやっとロホは納得の声を漏らした。彼はブーカ族の名家マレンカの息子だ。敵となったトゥパル・スワレもブーカ族の名家の家長だ。この地下の迷宮でブーカ族同士が戦えば、マナと一族の戦いだったものが、ブーカ族の内乱になってしまう。また新たな遺恨が生まれる。ケツァル少佐は、マナの子供達とトゥパル・スワレ個人の戦いでことを収めようと考えているのだ。そこにロホがいては拙いのだ。スワレ本人が現れる前に、ロホだけを撤収させる真の理由がそこにあった。

「承知しました。アリアナ・オズボーンを地上迄護衛し、大統領警護隊本部にここで起きたことを私の知る範囲で全て報告します。」

 ピシッと直立して命令を復唱したロホを、アリアナが眩しそうに見た。ステファン大尉が彼女にそっと囁いた。

「彼に惚れ直しましたか?」

 彼女は真っ赤になった。

「意地悪ね、カルロ・・・ロホを弄んだりしないわ。」
「そんなつもりで言ったんじゃありません。私はちょっと心配なだけです。アスルが貴女に恋心を抱いているのでね。彼とロホが喧嘩になっても困る。」

 きっとカルロは私をリラックスさせようとして揶揄ったんだ、とアリアナは思うことにした。アスルはまだ子供じゃないの・・・。

「アスルはまだ子供よね?」
「セルバでは15になれば大人扱いです。アスルは19歳です。デネロスは18、ロホと私は21歳です。少佐はもっと年寄りですよ。」

 地獄耳の上官がチラリとこちらを見たので、ステファン大尉は急いで「マッサージは終わりました」と報告した。 
 少佐は頷くと、ロホの顔のそばに自分の顔を寄せた。

「”入り口”を見つけたら、使いなさい。真面目に歩く必要はありません。」
「承知しました。」
「シャベスかスワレを見つけても追わないように。」
「承知しました。」
「アリアナに手を出さない。」
「承知しました。」

 ロホの正面に立った少佐は一言「行け」と言った。ロホは敬礼すると、アリアナを振り返った。アリアナはステファン大尉をハグしたい衝動に駆られたが、我慢した。「またね」と言い、少佐には「必ず帰って来て」と言った。少佐は2人に向かって敬礼で応えた。
 アリアナはロホについて神殿の出口へ行った。シオドアが振り返った。

「素直に帰るんだな。もっと駄々をこねるかと思った。」

と揶揄った。ロホが真面目な顔で応えた。

「帰ることが任務ですから。」

 シオドアは彼をハグした。

「気をつけて行けよ。」
「貴方もお気をつけて。」

 アリアナは黙ってシオドアの頬にキスをした。そして2人は暗闇の中へ消えて行った。



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第11部  紅い水晶     19

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