2021/08/10

太陽の野  24

  ケツァル少佐の存在は部下達を安心させるのだろうか、胃の中に食べ物を入れるとロホは眠たくなった様だ。ステファン大尉が見張りを交替すると言ったので、彼は柱の陰に入って休息の体勢になった。
 シオドアは少佐がご飯を残らず食べてしまったので安心した。再び地面に横になった彼女のそばに座って、アリアナにも横になるようにと言った。

「それじゃ、少佐の隣で。」

とアリアナは言い、少し距離を取って地面に寝た。するとステファン大尉が自分の上着を脱いで彼女に掛けてやった。

「汗臭いですが、我慢して下さい。」
「もう慣れっこよ。グラシャス、おやすみなさい。」

 アリアナは目を閉じた。日向ぼっこしている猫の毛皮の匂いに包まれて彼女は眠りに落ちた。
 シオドアは銃を持って神殿の階段に座ったステファン大尉の隣に行った。

「また攻撃してくるかな?」
「ここまで誘き出したのですから、我々を無事に帰すつもりはないでしょう。」

 シオドアは岩の天井を見た。真っ暗だが、ライトの光でなんとなく見えた。あれを落とされたらお終いだ、と思った。

「親の代の私怨のせいで皆んなを巻き込んでしまうヤツを許せません。」

とステファン大尉が呟いた。

「命を狙う相手は私一人で十分な筈です。それなのに、無関係な”ヴェルデ・ティエラ”を巻き込んで、カメル軍曹は不名誉な死に方をしてしまった。シャベス軍曹も無事ではないでしょう。アリアナだって同じです。もしあの時少佐が死んでいたら、私は彼女を撃ってしまっていた。」
「それなんだが・・・どうして今なんだろ? 君がもっと若い頃に襲う方が簡単だったと思うのに、大人になって相応の力を持って来た頃合いに襲って来るなんて・・・何か理由があると思うんだ。」

 ステファンは肩をすくめた。彼にとっては如何なる理由も許し難いのだ。彼はただ彼自身と愛する者達を守るだけだ。その愛する者はいくつかの範疇に分かれるだろうが、恋愛対象にアリアナが入っていないことは確実だ、とシオドアはわかっていた。

「カルロ、君もわかっていると思うが、アリアナは君のことが好きだ。シャベス軍曹を誘惑したのは、ただ欲求不満を解消しようとしただけだと思う。彼女は出来るだけ友人でいようと頑張っているが、いつか折れるんじゃないかと俺は心配なんだ。」
「冷たい様ですが・・・」

とステファン大尉は暗闇を見つめながら言った。

「私には何も出来ません。半世紀前だったら一族の間で一夫多妻や一妻多夫の風習が残っていましたが、今そんなことをしたら、却って女性を侮辱するだけです。彼女に強くなっていただくしかありません。私は彼女は友人として好きです。」
「そう言うだろうと思った。」

 君の心にはやっぱりケツァル少佐しかいないんだ、とシオドアは心の中で呟いた。同じ父親を持つ異母姉弟だとわかっても、彼は彼女を慕い続けているのだ。しかしシオドアの倫理観ではそれが納得出来なかった。アリアナの件を横に置いても、姉弟が結ばれてはいけない。ロホやアスルなら許せるが、カルロは駄目だ、と彼は思った。
 だからワザと言った。

「それにしても、君の姉さんは本当に凄いよな。銃弾を右胸に受けてまだ日が経っていない。今度は心臓に刃物を突き立てられてまだ半日も経たないうちに、もう起き上がって飯を食った。」

 姉さん と力を入れて言ったが、ステファン大尉は苦笑しただけだった。

「純血種のグラダがあんなにタフとは、私も想像したことすらありませんでした。これからは、もう少し厳しく扱ってやらないと・・・」
「否、そう言う話じゃなくて・・・」

 グラダ・シティの長老会や大統領警護隊の司令官は、ケツァル少佐のこのタフな体質を知っているのだろうか。もし知らなくて、そしてこれから知るとなったら、彼女や彼女の子孫にどんな影響が出るのだろう。少なくてもイェンテ・グラダ村で起きた悲劇を繰り返すことは避けなければいけない。
 テオ、とステファンが言った。

「私は、今回の犯人は本当にトゥパル・スワレなのかと疑っています。」

 シオドアは彼の顔を見た。ステファンはまだ暗闇を見ていた。

「カメル軍曹にしても、アリアナにしても、掛けられた”操心”が複雑過ぎます。ブーカ族も”操心”は得意ですが、あんなややこしい掛け方はしない。出来てもしないと思うのです。スワレ家は”ヴェルデ・シエロ”の中では一二を争う実力者の家系です。高度な技を用いれば、疑われるのは位の高い長老です。地位や名誉を傷つけることは、名家が一番恐れることではありませんか? ましてやスワレ家は、私の様な”出来損ない”がどんなに父親の死の疑惑を訴えても簡単に揉み消せる力を持っているのです。ややこしい技を使って私を派手に殺す必要はないのです。寧ろ軍務で私に失敗させて除隊させてしまえば、私をまたスラム街に追い払えて、そこで喧嘩でも何でもさせて死なせることが出来ます。」
「だがアリアナを操ったヤツは、シュカワラスキ・マナの息子を殺したと言ったぞ?」
「シュカワラスキ・マナを恨んでいたのは、スワレだけでしょうか?」

 ステファンはポツンと呟いた。

「父はエルネンツォ・スワレ以外にも4人殺しているんですよ・・・」

 シオドアはムリリョ博士がイェンテ・グラダ村の殺戮から救い出された3人の子供達の身の上を語った時のことを思い出そうと努めた。

「殺された4人は”砂の民”だったな。”砂の民”って言うのは、家族にも身分を明かさないんじゃないのか? トゥパルがエルネンツォが殺されたことを知っていたのは、長老会にシュカワラスキ・マナの護送を命じられたからだ。他の4人の家族は、彼等が何処でどんな亡くなり方をしたのか真相を知らないと思う。多分、今も知らない筈だ。ムリリョ博士が俺達に語ってくれたのは、聞き手がケツァル少佐だったからだ。他の人なら・・・多分君一人だったら、或いは俺だけだったら、あの爺様は何も教えてくれなかっただろう。
 ムリリョ博士も、後から殺害された4人の遺族を君を狙う犯人から除外して考えている。だから、トゥパル・スワレを疑うのは筋が通っていると俺は思う。わからないのは、何故今なのか、と言うことだ。」
「それはですね・・・」

 いきなり後ろで声がして、シオドアとステファン大尉は同時に弾かれた様に立ち上がった。拳銃とアサルトライフルを向けられて、ケツァル少佐が両手を肩まで挙げた。

「勘弁して下さい、今は2発同時に避けられません。」

 ステファン大尉がへなへなとその場にしゃがみ込んだ。シオドアは拳銃を構えたままフリーズしてしまった。目の前に眩しい2つの・・・ガーゼを貼り付けた乳房が・・・

「何か着て下さい、少佐・・・」

とステファン大尉は地面を睨みつけて要求した。

「貴女はいつもそうやって私を苦しめる・・・」

 シオドアはまだ固まっていた。できればもっと長く鑑賞していたい。少佐が片手に掴んでいたTシャツをヒラヒラさせた。

「着るのを手伝って、と言うつもりでした。」

 シオドアはやっと首を動かして、ステファン大尉を見た。ステファンも彼を見て、それから両者共に武器を地面に置いて彼女に飛びついた。彼女の胸の筋肉に負担を掛けないように、協力しあってTシャツを着せた。
 服を着ると、いつものシャキッとした少佐の姿があった。重傷者に見えないが、心臓を刃物で貫通されていた人に違いない。階段に座るのにシオドアの支えがまだ必要だった。

「君は部下達が若い男だってことを忘れている様だから、言っておく。」

とシオドアは彼女に説教を試みた。

「慎み深いロホも、英雄のアスルも、忠実なカルロも、みんな雄のジャガーなんだ。目の前で君が魅力的な胸を披露したら、絶対に興奮してしまう。不用意に露わな姿で彼等の前に出るな。」

 すると少佐が想定外の質問で返してきた。

「貴方は? 貴方は私を見て何も感じないのですか、テオ?」
「俺は・・・さっきフリーズしちまっただろ!」

 シオドアの返答に、彼女はフフンと言った。

「カルロはすぐに銃口を下へ向けましたが、貴方は遅れたので、フィンガーオフの状態でフリーズさせました。危ないですからね。」
「その状態で”連結”を使わないで下さい。」

 ステファンが本気で怒鳴った。

「せめて後2時間、大人しく寝ていられないのですか、貴女は!」
「静かに! ロホが起きてしまいます。」

 少佐はいつも通りにワンテンポ相手からずらして応対した。ステファン大尉はもう相手にするのも嫌だ、と言いたげにアリアナの方へ歩いて行った。

「彼は怒ったぞ。」

とシオドアは心配になった。こんな危険な場所で姉弟喧嘩などして欲しくなかった。少佐は「ほっときなさい」と言った。

「怒りましたが、気を放っていません。上手く制御出来ています。」

 シオドアは彼女を振り返った。ワザとステファンを怒らせたと言うのか?
 しかし少佐は既に先刻の話題に戻っていた。

「今更ながらトゥパル・スワレがカルロを狙い始めた訳は、それ迄技を使えなかったからだと思います。」
「使えなかった? だって、彼はブーカ族の長老なんだろう?」
「理由はわかりませんが、何か制約があって、使いたくても使えない技があったのでしょう。それがあのややこしい”操心”です。単純なものなら、誰にも怪しまれずに普通に使えますが、ややこしい技は、使える者が限られますから、操者が誰か見破られないように使わなければなりません。何らかの縛りがあったのが、突然なくなったのだと思います。」

 そして少佐はシオドアに囁いた。

「カルロと私はこれからトゥパル・スワレを誘き出そうと思います。大変危険な賭けです。ですから、ロホとアリアナを地上へ帰しておきたいのです。貴方も帰りますか?」
「ノ!」

とシオドアは断言した。

「俺は君達と一緒に行く。ロホとアリアナを帰すことは反対しない。アリアナは足手まといになるし、これ以上彼女を危険に巻き込めない。ロホは疲れているし、アリアナの護衛に彼は必要だ。俺じゃ、この坑道の中で敵と戦えない。2人を説得するなら、君の味方をするよ。」



1 件のコメント:

Jun Tacci aka ねこまんま さんのコメント...

ケツァル少佐はシオドアを初めて「テオ」と呼んでいるのだが、誰も気がついていない・・・

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