2021/08/25

第2部 バナナ畑  4

  テオはグラダ・シティ郊外の平均的な庶民の住宅街に家を持っていた。亡命した当初はセルバ共和国政府が用意した高級住宅地の戸建て住宅にアリアナと2人で住んでいたが、アリアナが”ヴェルデ・シエロ”の内紛に巻き込まれて誘拐されたり、警備に人件費がかかったりで、結局彼は独り身になったのを機会に内務省に頼んで小さい家に引っ越すことを承諾してもらった。6軒の家族が長方形の建物を分割して住んでいる形で、真ん中に共有スペースとして小さな庭がある。テオは昼間働いているので、夜しかいないのだが、近所の人々は皆気さくで人懐っこい。庭にどの家族かが小さい畑を作っており、テオが月曜日の夜遅くにエル・ティティから帰宅すると中庭に面した掃き出し窓の外に瓜が1個置かれていた。テオは窓を開けて瓜を拾い上げ、大きな声で「グラシャス!」と言った。どこからか、「いいってことよ!」と返事が来た。
 テオは窓を開けたまま網戸だけ閉めた。暑くて空気を入れ替える必要があった。エアコンは昼間しか使わない。玄関も網戸だけにしておけば夜間は風が通るので、エアコンは必要なかった。近所の家々から話し声やテレビの音が聞こえてくるが、セルバでは騒音問題で諍いが起きることは滅多にない。静かな場所が必要な人は、近所が煩ければすぐ引っ越してしまう。都会の住人はそう言う文化を築いていた。農村へ行けば逆になる。五月蝿い人間は近所の住人達から放逐されてしまう。実力行使されるのだ。「出て行け」と言う通告を受けたら、即刻退去しないと、家財道具一切合切と共に村の外へ放り出されてしまう。テオはエル・ティティでその現場を見たし、学生達から話も聞いた。騒音に悩んで銃をぶっ放すどこかの国とは大違いだ、と思った。
 荷物を寝室に置いて、彼は狭いリビングの長椅子に座った。携帯電話を取り出し、ケツァル少佐のアパートに電話を掛けた。携帯には掛けない。彼は一応仕事のつもりだったから。少佐は今週オフィスにいる予定だ。発掘現場の監視はスケジュールに入っていないと言っていた。だから夜は自宅にいる筈だ。
 呼び出し音5回の後で彼女の声が聞こえた。

「ミゲール・・・」

 成熟した大人の女性らしい低い声を聞いて、テオはゾクゾクした。今夜彼女は一人だろうか? 

「ブエナス・ノチェス、テオドール・アルストだ。」

 彼が名乗ると彼女は特に喜んだ様子もなく、

「何か御用ですか?」

と尋ねた。愛想がないのは相変わらずだ。無駄な世間話は絶対にしない。常に他人と距離を置きたがる様に見えるが、突然人懐っこくなったりする気まぐれな女性だ。ツンデレ度100パーセント。誇り高い性格は猫科の動物そのもの、彼女は密林の女王ジャガーだった。
 テオはいきなり死体の話を持ち出すのを避けた。そんなことをすれば、彼女は即行で電話を切ってしまう。それでなくても彼女は常に山のような業務上の難問を抱えているのだ。テオは目的を隠して話しかけた。

「久しぶりに2人で食事でもしないか?」
「そちらの奢りですか?」

 彼女は倹約家だ。実家は富豪だし、少佐の給料はそれなりに高給だが、高級アパートの家賃やメイドの給金を自腹で払っているので贅沢はそれ以上しない。養父母の財産を食い潰す親不孝もしない。彼女自身から食事しようと言い出す場合以外は自腹を切らない。
 テオは苦笑した。

「大学のカフェテリアでランチしないか?」

 テオだって高級取りと言えない。大学職員の給料は高くない。彼は教授ではないのだ。准教授だ。しかも正規職員となってまだ半年だ。

「結構。では、割り勘にしましょう。」

 めっちゃドライな女だ。時間を決めた。セルバ人は一般に時間にルーズだが、軍人は別だ。彼女は厳格に時間を守る。テオの方が時間通りに講義を終えられるか心配だった。

「要件はそれだけですか?」

 就寝時間を守りたい軍人が質問した。暗に電話を切れと催促している。テオはもっと話したかったが楽しみは明日にとっておこうと我慢した。それにあまり喋ると近所に相手の正体がバレてしまう恐れもあった。庶民は大統領警護隊を尊敬し頼りにしているが、同時に恐れてもいる。古代の神様”ヴェルデ・シエロ”と会話出来る人々、と言う認識だ。ご機嫌を損なうと神様に告げ口されると信じている。大統領警護隊そのものが”ヴェルデ・シエロ”の軍隊だとは知らないのだ。大統領警護隊と友達だと知られると、近所の人々との親密な近所付き合いに支障が出る恐れがあった。

「それだけだよ。明日が楽しみだ。アスタ・ラ・ヴィスタ。」
「ブエナス・ノチェス。」

 少佐はテオが切る前に電話を切った。

1 件のコメント:

Jun Tacci aka ねこまんま さんのコメント...

原作ではテオは内務省から亡命時にあてがわれた家にそのまま住み続けている。
だがこちらの方が現実的でないかい?

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