2021/08/14

星の鯨  11

  スワレ=メナクはブーカ族の名家の家長として、また長老会の重鎮として権力を欲しいままにしていたが、1人の体に2人の魂は時に厄介でもあった。スワレはブーカ族だから、己の一族が可愛い。しかしメナクにとっては親を殺した人々の身内だ。2人はしばしば対立することがあった。陰の気だ。それは肉体を蝕むことになった。スワレはメナクの消滅を願うようになったが、メナクに知られた。同じ体にいるのだから当然だ。メナクはスワレの肉体を己一人のものにしたかったが、もしスワレを消したら肉体も死ぬのではないかと心配だった。
 そのうちに、大統領警護隊のカルロ・ステファンが大尉に昇進した。敵が近づいて来ると彼等は焦った。もう一度手を結び、彼等は陸軍兵士カメル軍曹に”操心”をかけた。北米の博物館から中南米の古美術品を盗み出す任務に彼を参加させたのは、陸軍に顔が利くスワレだった。盗むべき美術品のリストを手に入れ、メルカトル博物館のオパールの仮面に目を付けた。ステファンが仮面を手に取った時、背後から心臓を刺して殺す。それが命令だった。心臓を汚して甦るのを妨げる古代の呪法だ。
 しかし、カメルは失敗した。彼は非業の死を遂げ、ステファンは思いがけず”ヴェルデ・シエロ”の能力を目覚めさせてしまったのだ。無事にセルバ共和国に帰国したステファンをスワレ=メナクは脅威と看做すしかなかった。しかし打つ手が見つからず、2人の魂は再び肉体の中で諍いを持つようになった。そんな時に思いがけない事件が起きた。美術品密売人ロザナ・ロハスの要塞を政府軍が攻撃した際、大統領警護隊文化保護担当部に反政府ゲリラだった従兄弟を殺された憲兵が逆恨みでステファンを狙い、それを庇ったケツァル少佐を撃ってしまったのだ。少佐はそれをステファン暗殺未遂事件と結びつけて考えてしまった。そしてその考えを打ち明けられたシオドア・ハーストがムリリョ博士に純血至上主義者の犯行ではないかと果敢に詰め寄り、ムリリョの古い記憶を呼び覚ましてしまった。正に寝た子を起こしてしまったのだ。
 ムリリョはシュカワラスキ・マナが空間通路での移送で死んだことを疑っていた。強大な力を持つ純血種のグラダが移送事故で死ぬ筈がないと考えた。そして兄をマナに殺されたトゥパルが事故を装って殺害したに違いないと推測したのだ。実際、そうだった。メナクは己の計画を蹴って逃げた裏切り者のマナを憎んでいたが、同じグラダだ、殺すつもりはその時まだなかったのだ。マナから空気を奪い殺害したのはスワレだった。スワレはムリリョに疑われていることに気づかず、ステファン暗殺だけに執着した。
 一方、メナクはスワレの肉体が老齢で体調も良くないことが気になっていた。新しい肉体が必要だと感じていたが、スワレにそれを告げることは出来なかった。メナクが欲したのは、限りなく純血種に近いグラダ系の体だった。但し、白人の血が混ざった体はごめんだった。彼の身近で一番条件に当てはまったのが、ケツァル少佐だった。女性だが我慢するしかない、と彼は思った。
 シュカワラスキ・マナの2人の子供を同時に誘い出し、1人を殺し1人の肉体を盗む。但し、肉体強奪はメナク一人の企みでスワレには内緒だった。彼等はケツァル少佐とステファン大尉の親しい友人となったシオドア・ハーストとアリアナ・オズボーンの家を襲撃した。高齢者と言えども”ヴェルデ・シエロ”だ。普通の人間の特殊部隊など赤子と同じだった。警護のシャベス軍曹はあっさり”操心”にかかった。シオドアが留守だったので、アリアナを攫った。
バスルームの鏡に暗がりの神殿の呪い文を書いたのは、地下の神殿がマナの子供を殺す絶好の場所だと思ったからだ。メナクもスワレも、その神殿の奥にある本当の聖地をその時点で知らなかった。
 オルガ・グランデの鉱山へは空間通路を使った。スワレがブーカ族だったので、これは簡単だった。だが高齢のスワレの体は、”ヴェルデ・ティエラ”を2人運ぶことでかなり消耗してしまった。暗闇の空間で彼等は獲物が来るのを待ち続けた。そのうちに彼等は面白いことを知った。”操心”にかけられていても人間は日常の会話や生活が出来る。攫われてきた2人の男女は暗闇の恐怖の中でも励まし合っていた。その内容からスワレはアリアナがステファンを好いていることを知った。だから”操心”をかけた。カルロ・ステファンに出会ったら彼の心臓を刺す、と言うものだった。そして遂にシュカワラスキ・マナの子供達が坑道へやって来た。
 スワレはアリアナを解放した。彼女は夢見心地で暗闇を歩いて行った。やがて彼等はロホの叫び声を耳にした。

「カルロ・ステファンが死んだ! シュカワラスキ・マナの息子が殺されたぞ!」

 長年の怨念が晴らされた。スワレは感激した。感激して、興奮して、彼の魂は消えて行った。
 メナクはスワレの死を感じ、慌てた。しかし幸いなことにメナク自身は消えなかった。スワレの肉体が遂に彼一人のものになったのだ。但し、老いさらばえ、ポンコツになった肉体だった。メナクはケツァル少佐の肉体を手に入れるべく、神殿に近づいたが、様子が変だと気がついた。
 神殿はロホの結界で守られており、近づくことすら出来なかった。そして殺された筈のカルロ・ステファンが生きて動き回っていた。倒れていたのは、ケツァル少佐の方だった。ステファンと白人のシオドアが彼女の手当てに奔走していた。
 スワレは失敗したのだ。ブーカの若造に欺かれ、メナクの大事な新しい肉体を傷つけられたのだ。怒りに駆られたが、メナクはそこで純血のグラダの恐るべき能力を目の当たりにすることとなった。心臓を刺されたシータ・ケツァルは死んでおらず、自らの力で治療に専念していた。そして半分グラダの腹違いの弟が姉の心臓から刃物を少しずつ引き抜く繊細な技に挑戦していた。メナクは彼等の能力に賭けることにした。新しい肉体を手に入れる為に、しかもそれは彼が愛したウナガンとよく似た女だった。
 メナクは一旦隠れていた坑道に戻った。シャベス軍曹に新しい”操心”をかけた。誰かがシャベスの名を呼んだら、そいつを撃つ、と言う簡単なものだ。”操心”の上の”操心”の上書きだ。それが限界だった。
 敵が疲弊するのを待っていると、かなり長い時間が経った。大統領警護隊は優秀な軍人達だ。疲れても一度に全員が休憩することはなかったし、結界は張られたままだった。最初にブーカの若造を始末するべきかと迷っていると、ケツァル少佐が復活してしまった。手負であるにも関わらず、彼女はロホを休ませ、仲間にも気づかれぬうちに結界を張った。
 メナクは自分達がとんでもない者を相手にしているのだと気が付き始めた。純血種のグラダは彼の様な混血には決して追いつけない途方もなく大きな力を持っているのだ。メナクは作戦を変えるべきか、続行すべきかと迷った。迷っているうちに、大統領警護隊は2手に分かれた。ロホと”操心”が解けて少佐の手当てに活躍したアリアナが救援要請と報告の為に神殿から出た。メナクには、彼等をもう一度襲って捕虜を得る余力も、ブーカ族の若者と戦って勝つ気力もあまり残っていなかった。メナクは彼等を見逃した。長老会がこの場所へ来る迄に、女を手に入れることが先決だと思ったのだ。
 ケツァル少佐はステファン大尉とシオドアを連れて神殿の奥へと歩き始めた。何処へ行くのか、メナクには見当がつかなかった。

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第11部  紅い水晶     19

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