2021/08/08

太陽の野  21

 それは世にも恐ろしい光景だった。シオドアは己の目が信じられなかった。ロホに支えられたケツァル少佐の左胸にナイフが突き刺さっていた。ステファン大尉がアリアナに銃口を向けた理由がわかった。それでも・・・

「カルロ、銃を下せ! 頼む!」

 その時、アリアナが両手を地面に突いて上体を起こした。彼女の唇が動き言葉を発したが、その声はその場の人間全員を戦慄させた。

「俺はやったか? シュカワラスキ、貴様の息子を俺は殺せたか?」

 男の声だった。聞いたこともない男性の声だった。シオドアは彼女の両肩を掴んで激しく揺すった。

「アリアナ、目を覚ませ! 戻って来い!」

 その時、少佐を支えているロホが叫んだ。

「カルロ・ステファンが死んだ! シュカワラスキ・マナの息子が殺されたぞ!」

 シオドアとステファンは彼を振り返った。シオドアの腕の中で急にアリアナの全身から力が抜け、ぐにゃりとなった。シオドアは慌てて彼女を抱き寄せた。幸いアリアナは息をしていた。
 ロホが彼に怒鳴った。

「ドクトラを神殿に入れて!」

 彼はステファンにも怒鳴った。

「カルロ、少佐の脚を持て! 神殿に運ぶ。」

 シオドアはアリアナを抱き上げ、神殿に向かった。膝が震えたが、頭の中は真っ白だった。ロホとステファン大尉はケツァル少佐の体を慎重に運んだ。2人の女性を、少々距離を開けて寝かせた。少佐が目を開いたままだったので、ロホが彼女の耳元で囁いた。

「目を閉じて下さい。」

 少佐が瞼を閉じたので、シオドアとステファンはほんの少しホッと息を吐いた。ロホがステファンに声をかけた。

「指示を頼む、大尉。」

 シオドアはステファンが一瞬たじろぐのを感じた。この緊急事態に、大事な女性の災難に、怖気付くのか? シオドアはロホに加勢した。

「俺たちは君の命令に従うよ、エル・ジャガー・ネグロ。」

 ステファン大尉はロホとシオドアを交互に見比べ、それから少佐を見た。彼女の胸にナイフが突き立ったままの姿は恐ろしかった。
 ステファン大尉はちょっと全身をブルっと震わせた。そしてロホに言った。

「少佐の傷がどんな状態か報告出来るか?」

 ロホがじっと少佐を見つめた。

「ナイフの刃が心臓を貫いている。しかし・・・」

 彼は顔を上げてステファンを見た。

「出血はない。」

 後は”心話”での報告だった。恐らく、ロホは透視した内容を伝えたのだ。ステファンが首を振った。

「私に出来るとは思えない。」
「君は出来る。」

 ロホはもう一度言った。

「君はグラダだ。出来る。私には無理だ。」

 何を話し合っているのか、シオドアにはわからない。だが時間が経てば少佐の命が危ないことはわかっていた。
 その時、アリアナが動いた。体を起こしかけ、シオドアが声を掛ける間もなく、彼女は隣に寝ている人の状態に気がついた。胸にナイフが刺さっているのを見たのだ。
 いきなり金切声を上げられて、2人の”ヴェルデ・シエロ”の男達が仰天した。彼等がライフルを掴んだので、シオドアはアリアナの口を塞いだ。

「大丈夫だ、アリアナ、落ち着け・・・」

 ロホが「アリアナ!」と名前を呼んだ。彼女が顔を向けると素早く目を合わせた。アリアナがまたシオドアの腕の中でぐったりとなった。ロホがシオドアに説明した。

「眠らせただけです。安心して下さい。」
「グラシャス、ロホ。アリアナは俺が見張っているから、早く少佐を助けてやってくれ。」

 ロホは頷き、ステファンに向き直った。ステファン大尉はライフルを地面に置いた。

「わかった、やってみる。否、やってみせる。」

 彼は神殿の外にさっと視線を走らせ、それからロホに命令を下した。

「神殿の周囲に結界を張れ、中尉。私には出来ないから、君にやってもらうしかない。外で動く者がいたら、躊躇なく撃て。」
「承知した。」

 ロホはアサルトライフルを掴んで神殿の出入り口へ行った。
 ステファンは次にシオドアを見た。シオドアは己に何が出来るだろうと考えていたところだった。テオ、とステファンが言った。

「これから私は少佐の体からナイフを抜きます。」

え? とシオドアは驚いた。心臓を貫いている刃物をここで抜くと言うのか? ステファンはそれ以上の説明はせずにシオドアがすべきことを言った。

「皆んなのサポートをお願います。水分補給や体を温める工夫や・・・照明は我々のヘッドライトを使って下さい。予備の電池も遠慮なく使って、それから、ナイフが抜けたら傷口を縫合するので、タイミングを見計らって固形燃料に点火して下さい。難しければロホの力を借りて・・・」
「手術の手伝いはロホが怪我をした時に経験している。少佐の体を押さえて欲しい時は声をかけてくれ。」
「グラシャス。」

 シオドアがリュックの中から医療キットを出そうとゴソゴソしていると、ステファンがまた「テオ」と呼んだ。振り返ると、大尉が言った。

「さっきはアリアナに銃を向けて申し訳ありませんでした。」
「ああ・・・いや、気にするな。」
「気にします。もし少佐と私の立場が逆なら彼女は絶対にあんなことをしない。」
「そうかな? 彼女だって、愛する者を傷つけられたらブチ切れるさ。」

 ケツァル少佐はロホを刺した反政府ゲリラのカンパロに銃弾を山ほど撃ち込んだのだ。
 シオドアは医療キットを出し、大判の保温シートを出して少佐の下半身に被せた。彼が少佐から離れると、ステファンが少佐の腰の部分に跨る様に乗った。彼女に体重をかけない様に腰を浮かせた。その不安定な姿勢で彼は少佐の胸に突き立っているナイフに両手をかざした。但しナイフそのものには触れなかった。ナイフを見つめてじっとしている彼を見て、シオドアは何をしているのだろうと思った。だが声をかけて彼の精神集中を邪魔したくなかった。
 シオドアは水筒を持って神殿の出口で座っているロホのそばへ行った。ロホは結界を張った様だが、シオドアには何も見えなかった。もっとも結界と言うものがどんなものか、彼は知らなかった。ロホはアサルトライフルを抱えて外を眺めていた。余裕がありそうに見えたので、シオドアは水筒を持ってきた、と声をかけてみた。ロホが外を見たまま、「グラシャス」と応えた。シオドアは彼の斜め後ろに腰を下ろした。

「話せるかな?」
「構いませんよ。」
「少佐の傷だけど・・・」
「両刃のナイフで心臓を一突きされています。」
「普通の人間だったら死んでいる。」
「我々も不用意にナイフを引き抜かれたら死にます。アリアナは少佐を刺した後すぐナイフから手を離しました。ナイフを動かさなかったので、少佐は助かったのです。」
「それじゃ、本当に危なかった・・・」
「今も危険なことに変わりありませんが・・・」

 ロホはチラリと背後のステファン達を見て、また前方へ向き直った。

「少佐は刺されて固まったでしょう? 自分で体の中の傷を抑えたんです。」
「それは・・・ええっと?」
「テオ、貴方は普通の人より怪我の治りが早いですよね。」
「スィ。」
「我々も同じです。怪我をしたら細胞がすぐに自己修復を始めるんです。カンパロに刺された時、私はずっと気絶していましたが、その間に神経組織や腱や血管を修復していました。だから少佐は手術の時、傷口の縫合だけして下さった。後で軍医がまた傷を広げて余計なことをしてくれましたがね。」
「それじゃ、少佐は今自分で怪我の治療中なのか?」
「ナイフを抜く必要があります。心臓ですから流石に自分では無理です。だから、今カルロが気で少しずつナイフを少佐の体の外へ引き出しているところです。刃が1ミリ動いたら少佐が1ミリ修復する、その繰り返しをしているのです。一度に抜くと少佐が追いつけないので、カルロは彼女の反応を見ながら慎重に抜いています。大変消耗する作業です。」
「交代で出来ないのか?」
「ブーカの力では無理です。半分も抜かないうちに私がばててしまいます。そうなると結界を守れなくなります。」
「カルロはまだ結界を張れないんだな。」
「張り方を学習していませんから。」
「体内の透視や、操られている人間を目覚めさせるのも、彼には無理なんだな?」
「無理と言うより、未学習なのです。最近迄気を抑制出来なかった男ですから。ですが、今彼は物凄い集中力で気をコントロールしているでしょう? あれなら他の技もどんどん上達していきますよ。」

 ロホはシオドアが置いた水筒を目で見ずに掴み取り、喉を潤した。シオドアは彼に言うべきことがあったと思い出した。

「アリアナにかけられた”操心”を解いてくれて有り難う。」
「あれは・・・」

 ロホが苦笑した。

「トゥパル・スワレが自ら解き方を教えてくれたから出来たのです。」
「スワレは少佐がかけた”幻視”に惑わされたんだな。」
「”操心”をかけられている人に”幻視”をかけるなんて、普通は不可能なのですが・・・」

 ロホが溜め息をついた。

「グラダ族の力は本当に凄いです。少佐は”操心”の目的を探ろうと”幻視”をかけたのです。成功しましたが、我が身を犠牲にしてしまうところでした。」


1 件のコメント:

Jun Tacci aka ねこまんま さんのコメント...

少佐は出血を自分で止めています。
でも全身に血液を循環させないといけないので、静かに心臓を動かしています。
普通に動かすと死んでしまうので、精神集中がものすごいです。

第11部  紅い水晶     19

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