2021/09/18

第3部 夜の闇  4

  テオは文化・教育省の駐車場に車を置いた。本当は職員専用なので来庁者は徒歩5分の距離にある市営駐車場に車を置かねばならないのだが、常に空いているスペースがあって、そこは頻繁に来る人だけが知っている秘密の場所だった。その日も幸い空いていたので、テオはそこに駐車した。ケツァル少佐のベンツとロホのビートルが駐車しているのを確認した。
 どんなに顔馴染みになっても絶対に妥協しない入り口の番をしている陸軍の女性軍曹に身分証を提示し、リストに記名して入庁パスをもらった。
 階段を上って4階に到達すると、賑やかな声が聞こえた。文化財・遺跡担当課の前で数人の若者達が並んでいた。雨季が終わる後に始まるどこかの遺跡発掘に参加する学生やアルバイトの人々だ。文化財・遺跡担当課でパスを発行してもらわないと発掘隊のバスに乗せてもらえないので、パスの申請に来ているのだ。窓口の職員が申請書と身分証を見比べ、不備な点がないかチェックしていた。テオが大学で偶に見かける顔が数人いたが、知り合いではないので無視して、彼はカウンターの中に入った。職員ではないので勝手に入ってはいけない筈だが、そこはセルバ共和国だ、顔パスで自由に出入り出来る。中にいた職員と挨拶を交わし、彼は奥の大統領警護隊文化保護担当部に向かった。
 カウンターの前に座っている赤毛で色白の男は、アンドレ・ギャラガ少尉だ。数ヶ月前迄大統領警護隊本隊で警備兵として勤務していたのだが、ケツァル少佐に引き抜かれて、今は事務仕事をしている。高等教育どころか義務教育も満足に受けていなかったギャラガ少尉が、外国から提出された申請書をチェックして、提出者に記入漏れを指摘しているところだった。短期間で彼をそこ迄仕込んだ指導者のマハルダ・デネロス少尉は大したものだ。そのデネロス少尉は申請が通った書類を見ながら、陸軍の警備担当者に警備兵の派遣指示を電話で出しているところだ。彼女もこの仕事を任されてまだ日が浅い。しかし書類通りに指示を出すだけなので、強気で年嵩の陸軍少将相手に熱弁を振るっていた。
 テオは2人の少尉に目で挨拶して、ケツァル少佐の机に行った。少佐はいつもの様に書類を読んで署名をする承認業務に取り組んでいた。遺跡の規模と調査隊の規模、それに当たる警備兵の人数と兵力、その警備に係る予算が適当か否か判断して発掘調査計画を承認するか却下するか、彼女が決めるのだ。彼女が署名しなければ、警備隊の規模と予算を算定した副官のロホが再検討する。そして彼がどうしてもそれ以下の変更を見込めないと判断すると、その発掘申請は「却下」されるのだ。

「ブエノス・タルデス、少佐。」

と挨拶すると、ケツァル少佐は書類を眺めたまま、返事をしてくれた。顔を上げないのは、忙しいから話しかけてくれるなと言うメッセージだ。
 テオは彼女の机の前に2つ並んでいる机の一つに移動した。ロホがパソコンと書類を眺めながら、挨拶してくれた。

「お呼びだてして済みません。」

 彼は作業途中の書類を保存して閉じた。情報を画面に出したまま別のことに取り掛かったりしない。テオに空いている席の椅子を勧めた。テオが座ると、彼は机の引き出しからビニル袋を取り出した。

「アスルが送って来たのですが、何の毛だかわかりますか?」

 テオは袋を受け取った。茶色と灰色が混ざった様な動物の体毛らしいものが10数本入っていた。長さは1本3、4センチメートルか? テオは動物学者ではない。遺伝子分析の研究者だ。
 毛を眺め、それから空いている机を見た。

「アスルは発掘隊の護衛かい?」
「スィ。南部のミーヤ遺跡に行っています。そこでちょっと厄介事が起きているらしくて。」

 ロホは立ち上がり、テオに場所を移動しましょうと言った。少佐に断りを入れて、カウンターの向こうに出ようとしたので、テオは忘れないうちに彼女に質問しておくことにした。ロホにちょっと待ってと断ってから、少佐の机の前に戻った。

「ここへ来る途中の東サン・ペドロ通りで、ロス・パハロス・ヴェルデスと出会ったんだ。」

 少佐は聞こえていないふりをして、書類をめくった。テオは伝言を告げた。

「ステファン大尉から君に聞いておいてくれと頼まれた。昨夜は夜歩きしてないよな?」

 奇妙な質問に聞こえたのだろう、ロホが立ち止まって振り返った。デネロス少尉も電話を切ったばかりで、テオを見たし、ギャラガ少尉もカウンターの上の書類から顔を上げて後ろを振り返った。ケツァル少佐が最後に顔を上げてテオを見上げた。

「質問の意図が不明です。」

 テオは苦笑した。文化財・遺跡担当課の職員に聞かれても支障のない程度で説明した。

「今朝早く住民から警察にネコ科の大きな動物を目撃したと言う通報があって、警察が大統領警護隊に連絡したそうだ。それでステファン大尉が部下を連れて住宅街を捜査している。もし夜中に散歩して獣に出会したら危険だから、当分夜間は出歩かないように。」

 彼は一般職員達にも微笑みながら言った。カウンターの前で並んでいた発掘隊のアルバイト希望者達がざわついた。東サン・ペドロ通りから西サン・ペドロ通り迄の間に住んでいそうな富裕層の子供達には見えないが、その周辺に住んでいる人はいるだろう。
 ジャガーが誰かのナワルなら人を襲う可能性は低い、と思いたい。しかし用心するに越したことはない。
 ケツァル少佐が猫を被った顔で言った。

「夜間は出歩かないよう、気をつけます。」


1 件のコメント:

Jun Tacci aka ねこまんま さんのコメント...

どんなに顔馴染みになっても絶対に妥協しない入り口の番をしている陸軍の女性軍曹

この人の名前は今もって不明である。

第11部  紅い水晶     19

  2台目の大統領警護隊のロゴ入りジープがトーレス邸の前に到着した時、既に救急車が1台門前に停まっていた。クレト・リベロ少尉とアブリル・サフラ少尉がジープから降り立った。2人は遊撃班の隊員で、勿論大統領警護隊のエリートだ。サフラ少尉が一般にガイガーカウンターと呼ばれる放射線計測器...