2021/09/12

第2部 雨の神  2

  ケツァル少佐の高級コンドミニアムの玄関チャイムが鳴った時、テオとデネロス少尉は大急ぎで戸口に向かった。ドアを開けると、いきなり白塗りの奇妙な化粧をした男が3人、先を争うように雪崩れ込んできた。1人がカルロ・ステファンの声で怒鳴った。

「少佐! バスルームを使わせて頂きます!」

 3人はテオの手に次々と鞄を押し付け、再び先を争って浴室へ走って行った。テオは呆然とその後ろ姿を見送り、それからデネロスを見た。彼女がクスリっと笑った。

「ナワルが解けると眠くなるので、必死でぶっ倒れないうちに帰って来たんですね!」

 キッチンでは、家政婦のカーラの手伝いをしていたアスルが、彼女に囁いた。

「今何か見たか?」
「何も見てませんよ。」

 カーラは大鍋の中を大きな杓子でかき混ぜながら言った。

「私はこの家の中で聞いたり見たりしたことは、何もなかったと思うことにしていますから。」
「俺は貴女が好きだよ。」

 アスルはカーラのふくよかな頬にキスをした。カーラが微笑んだ。

「ここで働いていると、退屈しませんからね。」

 テオが居間に3個の鞄を抱えて戻ると、ケツァル少佐はソファに座ってテレビを見たまま尋ねた。

「3人共無事にナワルを使って人間に戻った様ですね?」
「スィ。アンドレもフラフラだったから、恐らく生まれて初めて変身したんじゃないか。」

 彼女が時計を見た。

「出発して3時間で戻って来ましたから、ジャガーでいた時間は正味1時間足らずでしょう。すぐに寝込んだりしません。夕ご飯を食べさせてから、マハルダと一緒に本隊に送り届けます。」
「それじゃ、今夜も君はアルコール抜きなんだな?」
「官舎組もお酒は抜きですよ。」

 えーっとデネロス少尉がわざとがっかりした声を出した。彼女は砂漠から戻ってきた男達が砂を廊下に落としたので、掃除機を持ち出したところだった。

「ビール1本ぐらいは許可下さい、少佐!」
「2本まで許可します。」
「グラシャス!」

 浴室の方から賑やかな男達の声が聞こえてきた。少佐が「子供の水浴びか!」と呟いた。
テオは”出口”が出現したと思われるピラミッド近くにロホの中古のビートルをデポしてやったのだが、ロホ達は誰にも見咎められずに乗り込めただろうか、と思った。恐らくラス・ラグナスで服を着てから”入り口”に入った筈だが、顔が白塗りのままだった。あの顔で緑の鳥の徽章を提示するのは気後するだろう。いくらセルバ共和国が古代の信仰を残す国だからと言って、平日の夜に都会の真ん中を雨乞いの儀式の格好で歩く人はいない。
 軍隊の入浴に慣れている男達は素早く体から砂と埃を落として、まだ埃っぽい服を身につけて居間に入って来た。最初にロホが少佐の前に立ち、”心話”で首尾を報告して、敬礼した。少佐が頷くと、彼は退がり、ステファン大尉と入れ替わった。大尉も”心話”で報告し、それから改まった口調で挨拶した。

「この度は多大なるご尽力をいただき、誠に感謝しております。」

 それに対する少佐の返答はテオの耳には冷たく聞こえた。

「私も司令部に報告することがありますから、全て語りますよ。」

 失敗も成功も隠すことなく上層部に報告すると言うことだ。しかしステファン大尉の顔に不満を表す色はなかった。彼は穏やかな表情で、グラシャスと応え、敬礼した。少佐は敬礼で応え、ギャラガを見た。大尉が退がって、少尉を前へ押し出した。ギャラガも”心話”で遺跡で見たままのことを報告した。自分が2頭の美しいジャガーを目の当たりにしてどんなに興奮してしまったかも伝えてしまったので、彼は恥ずかしくなって最後はうっかり目を伏せてしまった。少佐が指摘した。

「その目を伏せる癖はどうにかしなさい。」

 叱られて彼は顔を上げ、承知と応えた。少佐が言った。

「日曜日の朝、ここへ来た貴方はほとんど何も出来ない自信のないただの若造でした。今、水曜日の夜の貴方は基本をマスターして胸を張って仲間の元へ帰ることが出来るのです。短い日数でよく学習しました。これからも任務に励んで修練に努めなさい。努力は必ず報われます。」
「お言葉を胸に留めておきます。有り難うございました。」

 ギャラガは敬礼した。少佐が敬礼を返してくれた。
 アスルとカーラが料理の器を運んで来た。大勢で食事する時は居間で宴会状態になる。”ティエラ”のテオは少佐にお願いをしてみた。

「カーラも一緒に食べて良いかな?」

 家政婦が、とんでもない、と手を振ってキッチンへ戻った。しかし少佐は彼を見て微笑んだ。

「貴方が望むなら、喜んで。」

 どうして少佐はテオの「お願い」をいつも受け入れるのだろう? ちょっと嫉妬しながら見ているステファンに、ロホが囁きかけた。

「私の報告に少佐は驚かなかった。君も報告しただろ?」
「スィ。」

 我に帰ったステファンは生返事したことに気がつき、慌てて友人に問いかけた。

「何の報告?」

 ロホが目で窓際の席を指した。そこではデネロスとアスルがギャラガにセビーチェの食べ方を指導していた。ただの魚の料理なのだから、そんな必要はないのだが。
 ロホが声を落とした。

「アンドレのナワルだ。」
「ああ・・・」

 ステファンは微かに身震いした。

「なんだか良い意味で悪い予感がする。」
「なんだ、それ?」



 

 

1 件のコメント:

Jun Tacci aka ねこまんま さんのコメント...

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見に行かねば!

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