2021/09/20

第3部 夜の闇  7

  分析結果が出たら電話で教えると約束して、テオはステファン大尉を研究室から送り出した。学生達はアルスト先生が大統領警護隊の隊員と親交を持っていることを知っているので、別れの挨拶をしている2人を尊敬と羨望の眼差しで眺めていた。ステファン大尉はあまり学校が好きでないので、通信制の受講時代も殆どキャンパスを訪れたことがない。スクーリングの日に少佐やロホにせっつかれて渋々出席したぐらいだ。周囲にいる若者達が己と同世代だと言う意識があまりなかった。何処か別世界の人々、そんな感覚で彼は学生達の間を歩いて駐車場へ向かっていた。

「大尉!」

 誰かが呼んだ。周囲に軍人らしき人間が見当たらなかったので、彼は立ち止まった。女子学生が1人、彼に近づいて来た。片手に本を数冊抱えていた。

「大統領警護隊の大尉ですね?」

 ステファンは頷いた。

「スィ。大統領警護隊のステファン大尉です。」
「私は文学部のビアンカ・オルティスと言います。あの・・・もしかして、昨夜のジャガーをお探しですか?」

 ステファンは驚いた。ジャガーの出没は公表していない。目撃者には世間を脅かすといけないからと口止めした。しかし、全ての目撃者を当たった訳でもないので、情報が既に拡散している可能性はあった。彼は用心深く尋ねた。

「サン・ペドロ教会の近くにお住まいですか?」
「スィ、西サン・ペドロ通りの一番南のブロックに住んでいます。」

 南と言うことは、その界隈では家賃が安い地域だ。学生達が好んで住みたがる新しいアパートなどが建ち並んでいた。

「何かご覧になったのですね?」
「ジャガーを・・・」

 ビアンカ・オルティスはそっと周囲を見回した。ステファン大尉は他の学生達が好奇心でこちらを見ているのに気がついた。それで彼女に丁寧に声をかけた。

「もしよろしければ、何処で何を目撃したのかお聞きしたいのですが、そこのカフェで話しませんか? お友達がいるならご一緒にどうぞ。」

 彼女は承諾し、2人はカフェの屋外席にテーブルを確保した。オルティスは連れはいないと言い、コーヒーも断った。ステファン大尉は実際には使用しないが、スマホを置いて録音すると断った。彼女はそれを了承した。

「昨日は西サン・ペドロ通り1丁目のお宅へ家庭教師の仕事で出かけていました。」

と彼女は始めた。

「自宅アパートから坂道をまっすぐ上るだけなので、行きは自転車を押して行き、帰りはそれに乗って一気に下るので、夜でも安全だと思ってました。仕事は19時から21時頃迄で、家に帰ってから晩御飯を食べます。だから寄り道はしません。昨日は少し早く終わったので、自転車に乗って・・・犬が吠え始めたのです。それも1匹や2匹ではなくて、そのブロックから西の犬が全部って感じで吠えて・・・。」

 彼女は肩をすくめた。

「犬は好きなんですけど、物凄く切羽詰まった吠え方なので怖くなって、坂道の途中で自転車を降りて立ち止まってしまいました。」
「どうしてです? 一気に家迄下った方が安心出来るでしょう?」

 ステファンが突っ込むと、彼女は首を振った。

「分かりません、どうしてそうしたのか・・・兎に角怖かったんです。自転車を下りてすぐに、坂道の1本下の交差を大きな動物が横切るのが見えました。」
「大きな動物ですか。」
「昨日は満月が近くて月が明るかったでしょう? 頭から尻尾まで見えました。虎かジャガーだと思いました。犬じゃありません。歩き方が動物園で見たジャガーそっくりでした。」

 ステファン大尉は成る程と頷いた。

「斑模様は見えましたか?」
「月明かりで、背中が光っていましたから・・・あったと思います。」
「黄色いジャガー?」
「多分・・・黒くはなかったです。縞模様でもありませんでした。」
「そのジャガーはどっちの方向からどっちの方向へ行きました?」
「ええっと・・・左から右へ・・・東から西へ・・・」
「路面を歩いていたんですね?」
「あの時はそうでした。」
「目撃した場所の正確な住所は分かりますか?」
「西サン・ペドロ通り3丁目と第7筋の交差点です。」
「貴女はその時、第7筋の2丁目あたりにいた?」
「スィ。もしあのまま立ち止まらずに下っていたら、ジャガーと鉢合わせしたかも知れません。」

 ビアンカは身震いした。ステファン大尉はグラシャスと言って、スマホを仕舞った。

「その話はお友達に話しましたか?」
「スィ。そしたら、エル・パハロ・ヴェルデが生物学部の先生のところに来ているから、話すべきだと言われました。」

 と言ってから、彼女は慌てて「失礼しました」と謝った。大統領警護隊の隊員本人に面と向かって「緑の鳥」と呼び掛けるのは失礼に当たるのだ。しかしステファン大尉は気にしなくて結構です、と微笑して見せた。そして胸の内ではジャガーの出没情報がかなり拡散されているな、と毒づいた。


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