2021/09/20

第3部 夜の闇  8

 午後6時過ぎ、テオドール・アルストは文化・教育省が入居している雑居ビルの前の歩道で退庁して出て来る職員達を眺めていた。誰とも約束していないが、1人ぐらいは夕食に付き合ってくれるだろうと期待しつつ立っていると、マハルダ・デネロス少尉がいつもの如く他部署の女性職員達とお喋りしながら出て来た。彼女は友人達と夕食を取ってから大統領警護隊の官舎に帰るのが毎日のルーティンだった。テオを見かけても手を振るだけで立ち止まってくれない。声を掛ければ来てくれるだろうが、その時はその他大勢の女性達も一緒だ。テオは彼女達の分までは払えなかった。だからデネロスはパスだ。
 少し遅れてアンドレ・ギャラガ少尉が小難しい顔をしながら現れた。彼は勉強があるので、夕食を何処か近くで簡単に済ませて官舎へ帰ってしまう。真面目な男だ。引き抜いてくれたケツァル少佐の為にも早く一人前の文化保護担当部隊員として働きたいのだ。だからテオは邪魔しない。ギャラガも彼に気づくと、片手を挙げて「さようなら」と挨拶をしてくれただけだった。ロホとケツァル少佐が間に2人置いて出てきた。ロホがテオに気がついて向きを変えてやって来た。

「ドクトル、何か分かりましたか?」

 仕事関連の時はテオではなくドクトルと呼ぶのが彼の習慣だった。彼の声を耳にして、少佐もやって来た。

「アスルの毛のことですか?」

 まるでアスル自身の体毛の話みたいに聞こえる。テオは苦笑した。

「晩飯に付き合ってくれるなら、結果を教えるよ。」

 少佐とロホがほぼ同時に「スィ」と答えた。
 店はいつもと同様に少佐が選んだ。高い店も安い店も少佐が選べば間違いなく美味しい物が食べられる。その晩は賑やかな方が内緒話にふさわしいと言うことで、立食バルから始まった。

「まず結果から言えば、あれはコヨーテの毛だった。」

とテオは報告した。

「ただ、伝染性の病気を持っている。狂犬病でなかったのが不幸中の幸いだ。被害が広がらないうちにコヨーテを捕まえた方が良い。周囲の村の家畜や犬、健康なコヨーテに病気が広がると面倒なことになる。」

 少佐が頷いた。

「内務省に勧告します。病気のコヨーテは1頭だけだと思いますか?」
「もらったサンプルだけでは複数か単数かわからない。だが発掘調査隊は十分用心しないといけないな。」
「チュパカブラの噂が出てから作業は停滞しているそうですから、作業員を分散させないようアスルに見張らせましょう。」
「問題はアスルが作業員達を納得させられるかどうか、ですね。」

とロホがビールの泡を鼻の下にくっつけて言った。少佐が紙ナプキンで拭き取ってやったので、彼はちょっと赤面した。それを誤魔化すために彼は言葉を続けた。

「彼は最初っからコヨーテだと言い張っていたのに、作業員達がチュパカブラだと騒いでいました。」
「発掘作業の妨害じゃないか?」

とテオが言ったので、少佐とロホが彼を見た。

「何故そう思うのです?」
「だって、そのミーヤ遺跡周辺で今までチュパカブラが出たって話があったのかい? 何もなかった土地でいきなり吸血鬼の話が出てくるなんて、おかしいぞ。」
「発掘を妨害して誰かが得をするのですか?」
「それは・・・」

 テオは言い淀んだ。 

「日当はどうなるんだ? 掘らなきゃもらえないのか?」
「それは調査隊サイドの問題で、当局は関知しません。」
「国はどうなんだ? 許可が下りた日程が過ぎてしまえば、国は発掘作業があろうがなかろうが、発掘を打ち切らせるんだろ?」
「スィ。」
「調査隊が収めた費用は国がそのままもらっちまう・・・」
「協力金は勿論返金しません。だからと言って、国が得をする訳ではありません。寧ろマイナスイメージになります。」

 そこで考えが尽きて、3人は暫く黙ってお酒とつまみを楽しんだ。2杯目のビールのグラスを手にして、テオは言った。

「兎に角、明日検査結果の報告書を作成する。アスルに直接送った方が良いか? それともそっちのオフィスに持って行こうか?」
「郵便では何時届くか分かりません。」

 少佐が赤ワインを飲みながら言った。

「アンドレを遣いに出しましょう。一度彼を出張させてみたかったのです。あまりグラダ・シティから出た経験がないので、他所の地方へ出かけることに慣れさせないといけません。」
「それじゃ、報告書はオフィスに持って行く。多分、お昼迄には提出出来る。」

 ロホがふと手に持ったビールのグラスを見た。

「今日は3人共車で来たのに、3人共飲んでますね。」
「歩いて帰れば良いさ。」

 テオはまだ酔っていなかった。これからディナーだ。少佐が携帯を出した。食事をする店に電話をして席を確保すると、男達を促した。

「食事に行きますよ。早く飲んで!」


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