2021/09/13

第2部 雨の神  4

  大統領警護隊本部の正門を守る警備兵は、たまにしか現れないベンツを覚えていた。それでも規則に従い、運転しているケツァル少佐のI Dと緑の鳥の徽章を検め、確認すると敬礼して中へ通した。
 少佐は官舎にぎりぎり近い場所まで車を進め、そこで3人の部下を降ろした。

「私は車を所定の場所に置いてから司令部に行きます。それでは、ご機嫌よう。ブエナス・ノチェス。」

 敬礼して見送る部下達を置いて、彼女は駐車場へ走り去った。
 少佐が去ると、マハルダ・デネロス少尉も男達に向かって挨拶した。

「それでは、私も官舎へ戻ります。お役目お疲れ様でした。ブエナス・ノチェス!」

 ステファン大尉が優しく挨拶した。

「君の応援は頼もしかった。それにかなり成長したな、少尉。また早いうちに一緒に働けることを祈っている。ブエナス・ノチェス!」

 ギャラガ少尉は黙って敬礼した。思えば、女性と気後なく会話していた日々だった。彼が所属している警備班には偶々女性隊員がいないので、入隊以来長い間女性との「世間話」はしていなかったのだ。
 敬礼を交わして、デネロス少尉は官舎へ走り去った。門限まで半時間だった。

「良い子ですね。」

 ギャラガが呟くと、ステファン大尉が頷いた。

「可愛いだろ? 下手に手を出すと承知しないからな。」

 ギャラガはびっくりして大尉を見た。大尉は既に司令部に向かって歩き出していた。少尉は慌てて追いかけた。
 大統領警護隊司令部は24時間稼働中だ。入口で再び身分証の確認が行われ、中に入ると出会う人は皆上級将校ばかりだ。大尉以下はいない。だから誰かが来ると立ち止まって敬礼し、通り過ぎるのを待つ。副司令官の部屋へ辿り着くのに時間がかかった。
 ブーカ族とマスケゴ族のハーフのトーコ中佐は夜間の当番に就いたところだった。その日の昼間の副司令を務めたエルドラン中佐が南のグワマナ族の居住地で起きた事件の収拾に手間取り、引き継ぎが遅れたのだ。その昼間の事件の詳細を読もうとパソコンの報告書を開いたところへ、ステファン大尉とギャラガ少尉の帰還が告げられた。トーコは普通なら部下を待たせて先に報告書を読む主義だったが、官舎の消灯時間を考え、部下を優先させた。
 埃と石鹸の香りを漂わせたステファン大尉とギャラガ少尉が入って来た。敬礼して、大尉が任務終了を告げた。トーコ中佐は頷き、報告せよと言った。
 ステファン大尉がギャラガ少尉を振り返り、命じた。

「少尉、君から行え。」
「失礼します。」

 ギャラガが前に出たので、トーコ中佐は顔にこそ出さなかったが、驚いた。土曜日の朝迄は”心話”を使えず、どこかオドオドした感があった若者だ。だが今彼の目の前に立った少尉は堂々としていた。トーコの目を見て、土曜日から水曜日の夜までの出来事を伝えた。「一瞬」と呼ぶには1秒ほど長かったが、それでも完璧に彼自身が体験し、見聞きしたことが伝えられた。トーコ中佐は大統領官邸西館庭園の「視線」の謎が解明され、解決されたことを知った。それの原因を作ったグワマナ族の漁師ゲンテデマに起きた不幸、北部のサン・ホアン村で事件に巻き込まれた不運な”ヴェルデ・ティエラ”の占い師の不幸も知った。そして、エルドラン中佐の引き継ぎ報告書を読まなくても事態を理解した。
 トーコ中佐はギャラガ少尉を見た。もう君を誰にも”落ちこぼれ”と呼ばせずに済むな、と彼は”心話”で言った。ギャラガは頬を赤くして、「グラシャス」と答えた。
 ギャラガが退がったので、次はステファン大尉が前に出た。失礼しますと言って、報告の”心話”を行った。文化保護担当部、ムリリョ博士、ウリベ教授などの協力を得たことや、隙を作って敵の捕虜になったことも全て語った。協力を求めることは恥ではない。ただ捕虜にされたことは、中佐のお気に召さなかったことは確かだ。

「ケツァルとドクトル・アルストがいなければ、君は殺されていたかも知れない、と言うことだな。」

と指摘されて、彼は素直に認めた。

「またドクトルに助けられました。私が彼を守るべき立場であるのに・・・」

 ふふっとトーコが笑った。その笑みの意味を理解出来ずにステファン大尉が彼を見返すと、副司令官は言った。

「あの”ティエラ”の学者は、君の護り刀なのだろうな。きっとこれからも君と良きコンビになるだろう。」

 その言葉の意味を測りかねてステファンは上官を見つめたが、トーコ中佐は既に次の事案に取り掛かった。

「コンドルの怒りを鎮めたのは良かったが、君達がその荒地に雨を降らせる義務はなかっただろう。」
「そうですが、殺された占い師の霊を慰める為にも、少しだけでもあの地に潤いを与えたかったのです。」
「井戸の枯渇は地下水流の変化なのだな?」
「地揺れが頻発していることを考えると、それ意外に思いつきません。」

 トーコは少し考え込んだ。

「地質学院が群発地震に気がついていながら建設省に何も勧告しないのは由々しきことだ。 場所はオルガ・グランデに近い。あの都市に地震が起きないとも限らない。建設省に一言声をかけておかねばなるまい。」

 そして、2人の部下に視線を戻した。

「簡単に済むと思った事案が思いがけず深いところに原因があった。2人共、よくやった。特別任務を解く。本来の持ち場に戻ってよろしい。」
「失礼します。」

 ステファン大尉とギャラガ少尉は敬礼して副司令室を出た。ケツァル少佐はまだ来ていなかった。2人は官舎に向かって歩き出した。

「警備の時間割を思い出した。」

 大尉が溜め息をついた。

「睡眠時間が2時間しかない。これはきついな。」

 ギャラガは己の時間サイクルが大尉の2時間遅れであることを思い出した。

「私は4時間眠れます。」
「そう考えるのは甘いぞ。」
「え?」
「班は私達が抜けた人数で当番を回している。レギュラーの時間で考えるなよ。」

 ああ・・・とギャラガは天井を見上げて呻いた。計算すると大統領官邸の館内勤務の当番が回って来そうだ。絶対に居眠り出来ない任務だった。


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