2021/09/09

第2部 ゲンテデマ  3

  テオは自宅のベッドで心地良い昼寝から覚めた。体を起こそうとすると体に掛けた薄手のブランケットが重たくて動けなかった。このパターンは何時ぞやも・・・一瞬期待して首を曲げて見ると、若い男がベッドの縁に座っていた。ちょっとがっかりして、少し驚いた。

「アスル! 何故ここに? 少佐の遣いか?」

 アスルが立ち上がったので、起きることが出来た。アスルは迷彩柄のパンツにベージュのTシャツ、いつもの勤務中の服装だった。

「雨が降って来たので、雨宿りしていた。」

と何時も愛想のない男が呟いた。それなら居間で良いだろうと思った。客間でも良いのだ。アスルは時々ふらりとやって来て、勝手に泊まって行く。テオを嫌っている様に見えて、本当は愛しているのだと以前ロホにからかわれたことがあった。恋愛感情はないだろうが、憎まれていないとテオは思っている。アスルは「通い猫」のジャガーなのだ。定住する家を持たないので、住所不定では昇級させられないと大統領警護隊の本部から再三注意を受けているのだが、本人は気にしていない。

「君の部屋で休めば良いのに。」

 テオが言う「君の部屋」はアスルが普段勝手に宿泊する時に使用する客間だ。しかしアスルは顔を顰めて言った。

「カベサ・ロハ(赤い頭)がいる。」

 そう言えばアンドレ・ギャラガを客間に入れてやったのだ。ギャラガはアスルの1年下の少尉仲間だが、仲が良いと言えなかった。どちらかと言えば、ギャラガは虐められっ子で、アスルは虐める方だ。対マンで闘えば勝つ自信があっても、喧嘩する理由がなければ衝突を避ける。アスルのルールだ。
 テオがコーヒーを淹れると言うと、彼は素直に彼について居間に入った。

「もう少佐への報告は終わったのかい?」
「ノ。」

 テオがキッチンで作業する間、彼は手脚を伸ばしてストレッチしていた。

「今日は大学へ行って、内務省へ行って、建設省へ行って、地質学院へ行った。」
「遺跡の調査じゃなかったのか?」
「初めは遺跡の調査だった。」

 コーヒーの芳しい香りが漂うと、彼の表情が緩んだ。

「俺の好きなグアテマラだ!」
「俺も好きだから、最近はこれしか買わないんだ。」

 物音がして、2人が振り返ると、客間の戸口にギャラガが立っていた。コーヒーの香りで目覚めたのだ。アスルが「チッ」と舌打ちして、テオは微笑んで手招きした。

「君もコーヒーを飲めよ。これからアスルが調査報告をしてくれる。」
「そんなことを言った覚えはない。」

 と言いつつも、アスルはギャラガが席に着くのを待っている間、コーヒーに手を付けなかった。2人の少尉は挨拶も敬礼もしなかった。それぞれ砂糖やミルクで好みの味にコーヒーを調整して、それからテオがアスルを見た。

「ラス・ラグナス遺跡とは、どんな処なんだ?」
「考古学部にも史学部にも資料がなかった。全くのノーマークの遺跡だ。」
「しかし、セルバ国立民族博物館の地図には記載されている。」

 ギャラガはうっかり先輩が話している最中に口を挟んでしまった。アスルは彼を無視した。

「宗教学部へ行って、あの地方の伝承や神話に何か手がかりがないか調べた。何もなかった。」

 ウリベ教授の研究室に行ったのだろう。

「内務省へ行って、近くのサン・ホアン村の登録を調べた。あの村は植民地支配が始まった16世紀の記録にはなかった。最初の記載は17世紀中盤だ。税金を取る為に国土調査が行われたんだ。当時の地図を見ると、今より少し北寄りにあった。沼の辺りにあったんだ。」
「ラス・ラグナスは、サン・ホアン村だったのか?」
「そう考えて良さそうだ。村の移転の記録は資料整理が滅茶苦茶で、独立当時の物は田舎の村が大概同じことをしたが、植民地の支配者側が資料を焼いてしまって損失している。兎に角、19世紀の独立以降は今の位置に村がある。」
「村が移転したのは、沼が干上がったせいだろうか?」
「建設省へ行ってみたが、村の引っ越しに関する資料はなかった。そこで働いている知人が地質学院へ行けと言ってくれたので、行った。」

 セルバ国立地質学院は、ティティオワ山の火山活動の監視と西部海岸地方の砂漠化の調査、国土の地質調査、地図作成などをしている。地図作成は本来建設省が受け持っていそうなのだが、セルバ共和国では地質学院の仕事だった。

「オルガ・グランデから北は人口が極端に少ない。金の埋蔵量も期待出来ないので、白人は興味を持たなかった。それに、あの周辺は地揺れが多い。」
「地揺れ? 地震か?」
「スィ。昔のサン・ホアン村があった沼は17世紀から18世紀初頭にかけて頻発した小規模の地震で消滅したと考えられている。水源が絶えたのだろう。」
「現代のサン・ホアン村の井戸は涸れ掛けている。」

 ギャラガはつい再度口を挟んでしまった。アスルが初めて彼をジロリと見た。

「井戸を見たか?」

 ギャラガは彼の目を見た。”心話”で覗き見した井戸のビジョンを伝えた。アスルが微かに眉を上げた。なんだ、”心話”を使えるじゃん、と言う表情だ。彼は視線をテオに戻した。

「あの付近は、最近また小規模な群発地震が発生している。人が感じるか感じないかの微細な揺れらしいが、地質学院が設置した地震計にははっきり揺れが計測されているそうだ。恐らく地下の水流が変わってしまい、村の井戸に水が届かないのだ。」

 それはどんなに神様に祈っても効き目がない筈だ。村を救おうと遺跡の神像へ祈りに行き、遺跡荒らしを知って、オルガ・グランデに救いの手を求めて出て行ったフェリペ・ラモスの不運を、テオは哀れに思った。神と頼んだ”ヴェルデ・シエロ”が当の遺跡荒らしで、彼は殺されてしまったのだ。
 アスルがコーヒーを飲み干して立ち上がった。

「雨が止んだから、オフィスへ帰る。」
「少佐にさっきと同じことを報告するんだろ? 二度手間をかけさせて済まなかった。」
「どうせ、先に少佐に報告しても後であんたに教えなきゃならない。後先の違いだ。」

 彼はさよならも言わずに出て行った。ギャラガはぽかんとして彼の後ろ姿を見送った。
 テオが時計を見た。

「まだ夕食には早いが、俺達もゆっくり文化・教育省へ行こう。また歩く気力はあるか?」
「大丈夫です。」

 

 

1 件のコメント:

Jun Tacci aka ねこまんま さんのコメント...

原作ではアスルはほとんどテオを相手にしていないが、ブログ版ではツンデレ君として、テオに協力的と言うか、それなりに懐いている。

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