2021/10/03

第3部 潜む者  4

 夕方、テオは研究室を片付け、施錠した。鍵を事務局に預けて駐車場に向かうと、数人の学生達に声をかけられた。大学ではテオが大統領警護隊文化保護担当部の隊員達と親しいことが知られている。声をかけて来た学生達は、例のジャガー出没事件を知っており、大統領警護隊遊撃班がジャガーの捜索をしている噂も耳にしていた。だから、テオに何か進展がありましたかと尋ねてきた。テオは何も聞いていないと答えた。

「俺の友人は文化保護担当部の人々だ。遊撃班は知り合いが1人いると言うだけだから、情報は入って来ない。第一、彼等は友人だからと言って気安く情報を外に流したりしないさ。」

 がっかりした様子の学生達に、彼は警察に訊いた方が早いぞと言っておいた。
 車に乗って走り、メルカドで食材を購入して帰宅した。家の中に灯りが点いていた。時計を見ると午後7時過ぎだった。なんとなく誰が家の中にいるのかわかった。彼は鞄と食材が入った紙袋を持ち、車を施錠して家の玄関のドアを開けた。鍵は開いていた。リビングでテレビが点いており、ソファに大統領警護隊遊撃班のデルガド少尉が座っていた。彼はテオが家の中に入って来ると立ち上がり、敬礼して迎えた。

「大統領警護隊遊撃班、エミリオ・デルガド少尉であります。」
「テオドール・アルストだ。テオと呼んでくれて良い。」

 テオは無断で他人の家に入って来る”ヴェルデ・シエロ”に慣れっこになっている己が少し可笑しく思えた。普通のセルバ人は絶対に慣れていない筈だ。だって、勝手に家に入って来られたら、それは泥棒じゃないか。果たして、デルガド少尉が荷物をテーブルに置いて食品を袋から出し始めたテオを不思議そうに眺めた。

「私がここにいることに驚かれないのですね?」
「君達の図々しさには慣れているから。」

と言ってから、彼はデルガドを振り返って笑いかけた。

「失礼なことを言ってごめんよ。だけど、この家にはステファンもアスルもアンドレも平気で出入りしているからね。」

 デルガド少尉は頭を掻いた。警護隊の制服を着ているが、武器は体から外してソファに置いてあった。この家は安全圏だとステファン大尉に言われたのだろう。純粋な先住民の顔つきをした若者だ。恐らくステファンより年下で20歳前後だろう。身長はあるが全体的にほっそりしていた。いかにもマーゲイに変身しそうだ。

「ステファンは何処かへ行ったのか?」
「食糧の調達に行かれました。貴方に負担をおかけする訳にいきませんので。」
「気にしなくても良いのに。」

 恐らくステファン大尉は近所の屋台かメルカドで買い物をして来るのだろう。部下に買い物をさせないのは、恐らくデルガド少尉が最近ナワルを使って疲れているからだ。テオはデルガド少尉に座ってテレビを見ているようにと言い、キッチンに入った。野菜とチキンの煮込みが出来上がる頃に、ステファン大尉が帰って来た。無断で家に入ったことを詫び、彼は買ってきたソーセージやタコスを食卓に提供した。
 1人で食事するより3人で食べた方が楽しいに決まっている。テオは彼等の捜査の進展が気になったが、向こうから言い出さないうちは黙っていた。代わりに、先日の尻尾を切られたらどうなるかの話の続きを話した。お尻の怪我の話を聞いて、デルガド少尉がいかにも痛そうな顔をしたのが愉快だった。そう言えばマーゲイは尻尾が長いんだ、とテオは思い出した。

「ナワルを使う儀式は多分広い場所で行うから心配ないと思うけど、外で捜査や戦闘で変身する時は気をつけた方が良いぞ。尻尾はピンと立てて歩けよ。」
「敵に忍び寄る時は立てられませんよ。」

とステファンが笑った。  デルガドも少し遠慮がちに会話に加わってきた。

「尻尾を立てて歩くと、出くわす相手に偉ぶっていると見なされます。」
「相手が上官だとマズイか?」
「上官ならまだマシです。長老だったらそれこそ尻尾を咬まれます。」
「俺は尻尾がなくて良かったよ。よく教授達に意見して睨まれるから。」

 3人は笑った。それからテオは思い出して鞄からジャガーの毛と血痕の分析結果を出した。

「ジャガーの毛に違いない。だけど血液は擬似ジャガーだ。間違いなく”ヴェルデ・シエロ”だ。」

 分析結果のDNA対批表を眺めたステファン大尉は、人間のゲノムと謎の血液のそれが同じ配列であることを認めた。それをデルガド少尉にも回してやった。デルガドが科学が得意かどうかわからないが、若者もそれをじっと見つめた。そして呟いた。

「やっぱり我々も人間なんですね。」
「当たり前だろ。」

 テオは微笑んで見せた。

「喜怒哀楽があるのは人間の証拠だよ。」



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