2021/09/25

第3部 潜む者  3

  テオはブリーフケースを引っ込めた。真っ昼間、大学でこの老人、ムリリョ博士と出会うのは初めてだ。マスケゴ族の族長で長老で”ヴェルデ・シエロ”の長老会の重鎮で、”砂の民”のリーダー的存在が真の姿だが、表の顔はグラダ大学考古学部の主任教授でセルバ国立民族博物館の館長、考古学者であり、人類学者だ。テオは彼といつも博物館や、少し意外な場所で出会うことが多かったが、職場で会うのは本当に初めてだった。ムリリョ博士は滅多に大学に来ないのだ。ただ現在のところ、セルバ国立民族博物館は老朽化を理由に建て替え工事をしており、所蔵している民具や伝統的芸術品などは各地に分散して保管されている。少しずつ地方で一般公開して、グラダ・シティに来られない国民に自国の宝物を見せて回る巡回展示が行われているが、それは本部の博物館が休館している間の学芸員達の仕事だ。ムリリョ博士は所蔵品の保管所の管理を主に行っていた。
 ムリリョ博士が大学に来る用件は何だろう?とテオは考えた。大学の考古学部と博物館は経営が別物だ。どちらも国の機関だし、文化・教育省の管轄だが、責任者は異なる。博物館の館長は大学では主任教授で、学長でも学部長でもない。それに今日は教授会議の日でもなかった。考えられるのは、ムリリョ博士はケサダ教授に面会に来たのだろうと言うことだ。フィデル・ケサダはマスケゴ族で考古学教授、ムリリョの弟子だ。そして同じく”砂の民”だろう。(テオはまだ確認出来ていない。)
 テオは声を低めて断言した。

「あのジャガーはやっぱり誰かのナワルです。」

 ムリリョが白い眉毛の下の黒い瞳を彼に向けた。テオは続けた。

「大統領警護隊が捜査中です。出来るだけ早く捕まえて正しいルールを教えなければなりません。」

 さもないと、貴方はそいつを殺してしまうだろう、と彼は心の中で言った。それが”砂の民”の仕事なのだ。”ヴェルデ・シエロ”の存在を世間に曝してしまう様な愚行を為す者を、”砂の民”は抹殺して一族を守る。
 ムリリョ博士が不機嫌な声で呟いた。

「お前が心配することではない。」

 そして彼は歩き去った。きっと、黒猫の仕事が遅いと胸中で文句を言っているだろうな、とテオは想像した。ムリリョ博士は、黒いジャガーに変身するカルロ・ステファンを「黒猫」と呼ぶ。以前は蔑みで呼んでいたが、ステファンが気のコントロールを上達させて来ると、今は愛情を込めて呼んでいる様にテオには聞こえた。カルロが生まれる前から彼の母親のカタリナ・ステファンを見守ってきた老人にとって、「黒猫」はきっと「出来が悪いが可愛い孫」みたいな存在なのだろうと容易に想像出来た。
 ステファン大尉とデルガド少尉のコンビは”砂の民”より先にジャガーを見つけなければならない。
 テオはムリリョ博士にもケサダ教授にも同胞の粛清をさせたくなかった。

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第11部  紅い水晶     19

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