2021/10/14

第3部 隠された者  3

 「寝るなら客間を使えば良いのに。」

とテオがコーヒーを淹れながら言った。カルロ・ステファンは狭いソファで寝て背中の筋肉が強張ってしまい、肩をぐるぐる回している。

「ここのベッドは私には上等過ぎて、よく寝付けないんです。」

 彼は腰も回した。テオが缶詰の煮豆とパンと目玉焼きをテーブルに並べた。

「それなら床の上に寝ろよ。毛布を使えば良いさ。」

 テオが待っているので、ステファンはストレッチを終了してテーブルに着いた。休日なのでテオはいつもより1時間遅く起きて、今は朝の7時だ。ステファンにしても寝過ごしたと言える時刻だが、ここは官舎ではないし、部下もまだ来ていない。

「エル・ティティには帰らないのですか?」
「うん、バスに乗り遅れたし、まだ週明けの試験問題を作らなきゃいけない。だから来週まで楽しみは取ってある。 俺は今日1日家にいる。君も遠慮なく寛いでくれ。」
「いや、サイスは今日の午後、コンサートの打ち合わせでシティホールに出かける予定です。監視します。」
「やっぱり、彼がジャガーかい?」
「スィ。」

 ステファンはテオにビアンカ・オルティスと真夜中に出会ったことを告げた。テオが食事の手を止めて考え込んだ。

「サイスがジャガーだと知っていて、しかもサイスがナワルの知識を持っていないと彼女は仄めかしたんだな?」
「スィ。彼女は若いですが、一人前のツィンルと思われます。長老から彼女に関する情報は何もなかったので、正直なところ昨夜は衝撃でした。」
「彼女は地方から大学に来ているらしいから、長老は彼女を知っているのかも知れないが、彼女がグラダ・シティに住んでいることは知らないのかも知れない。」
「地方にいた彼女が何故サイスを知っているのでしょう? サイスはデビューして7年近くなりますが、活動はもっぱら外国で国内ではグラダ・シティとオルガ・グランデぐらいしか演奏しません。アスクラカンでコンサートを開いた話は聞いていません。」

 グラダ・シティとオルガ・グランデにはそれぞれ集客スペースが広くて音響効果の良い劇場がある。闘牛が禁止される前は、闘牛場もあったのだ。現在はスポーツ施設に造り替えられてしまったが、そこでコンサートを開く人気アーティストもいる。しかしアスクラカンはサッカー場があるだけだ。それも世界大会など開けない、野原の中のサッカー場だ。

「音楽ホールがなくても学校などで弾いて子供達に音楽を教えることもあるさ。」

 テオは試験問題を考えるよりビアンカ・オルティスとピアニストの関係を調査する方が面白そうだと言う誘惑と戦いながら、朝食を終えた。
 ステファンの方はデルガド少尉が来るまではぐーたらするつもりなのだろう、食器洗いを手伝った後はまたソファの上に寝転がってしまった。
 静かな土曜日の朝だった。共有スペースの中庭で同じ長屋の奥さん達がお喋りをしながら畑や花壇の世話を始めた。子供の声が聞こえ、タバコの臭いも漂った。しかしテオの気を散らす様な雑音ではなく、彼はリビングのテーブルに書籍や資料を広げ、ラップトップで試験問題を組み立てて行った。問題は3問、一つは先日学生にネタバラシをした簡単な問題だ。残りはちょっと捻って引っかけ問題と、実際に実験に参加していないと解けない問題だ。問題が出来上がると、解答が複数にならないか検証して、それを主任教授にメールで送った。主任教授が月曜日の朝迄に目を通してくれる保証はなかったが、火曜日午前中の試験には間に合うだろう。 実にセルバ的な進行だ。
 そろそろ昼ご飯の支度をしようかと思う頃に、デルガド少尉がジープでやって来た。ステファンは休憩させるために彼を本部へ帰したと言ったが、規律が厳しい官舎で本当に休息出来たのか、テオは疑問に思った。昼食に誘うと、デルガド少尉は上官をチラッと見た。ステファンが微かに苦笑して、テオに頷いて見せた。

「大した物は出せないよ。期待されても困るんだ。」

 テオはスパゲティを茹でて、唐辛子とベーコンのオイルパスタを作った。そこに目玉焼きを載せて出すと、少尉は予想以上に喜んだ。きっと本部の食事はシンプルなんだろう、と想像がついた。
 セルバ人はメソアメリカ人らしく激辛の唐辛子類が好きだ。テオは少ししか唐辛子を入れていなかったので、ハラペーニョソースをテーブルに出しておいたら、ステファンもデルガドもスパゲティにふんだんにかけていた。

「ところで、サイスの尾行にジープを使うんじゃないだろうな?」
「距離を開けて行きます。大統領警護隊の車はグラダ・シティでは珍しくないですから。」
「しかし目立つぞ。」

 テオは彼等の服装を眺めた。

「軍服も目立つと思う・・・」

 ステファンとデルガドが目と目を合わせて会話した。テオは彼等が結論を出す前に提案した。

「俺の車を貸してやるよ。今日は出かけないから。どうしても、って言う用事があれば近所の誰かに頼むし・・・」

 するとステファンが提案した。

「一緒に出かけませんか? 試験問題も出来たようですし、今日はサイスをただ見張るだけになりそうです。」



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