2021/10/15

第3部 隠された者  7

  建物の外に出ると、テオはそっと後ろを振り返った。シショカが後をつけて来る気配はなかった。ステファン大尉が気掛かりな顔で囁いた。

「本当に彼は座席の位置を確認に来ただけでしょうか?」
「君がケツァル少佐の名を出したら、彼は不機嫌そうな顔になった。きっと本当のことを言ったまでだろう。」

 そして大尉を励ました。

「このホールはセルバ共和国自慢の建築物だろう? そんな場所で事故とかで人が死んだりしたらイメージダウンじゃないか。しかも標的は有名人だぜ? 大臣の秘書なら、それはやるべきじゃないってわかるさ。」

 ステファンが苦笑した。

「グラシャス、テオ。さっきは酷いことを言って申し訳ありませんでした。出る幕がなかったのは私の方でした。」
「いや、俺もエミリオからあの男が何者か教えられて、咄嗟に彼がサイスを粛清に来たのかと焦ったんだ。しかも君が近くにいたら却って彼を刺激するんじゃないかと、余計な気遣いをしてしまった。」

 車に戻るとデルガド少尉が安堵の顔で迎えた。大統領警護隊と国務大臣秘書がシティホールで喧嘩などすれば一大事だ。デルガドはステファンが本気で腹を立てた所を生で見たことはない。しかし麻薬シンジケートのロハスの要塞をステファンが1人で吹っ飛ばした動画はテレビやネットで見たことがあった。シティホールを吹っ飛ばされたらどうしよう、と若者は内心ヒヤヒヤものだったのだ。

「建設省の職員をしている旧友に電話で聞いてみたのですが、セニョール・シショカは今日も大臣から無茶振りの指示を出されて怒っていたそうです。」

 シショカは公設秘書ではなく私設秘書なのでイグレシアス大臣の個人的な用件を処理する仕事をしている。大臣がケツァル少佐とのデートを希望すれば、そのお遣いに出されるのがシショカなのだ。ケツァル少佐は大臣や秘書からの電話には出てくれないし、メールを送っても梨の礫なのだ。だからシショカ自ら文化・教育省へ出向いて少佐の説得に抵る。そして十中八九玉砕する。
 シショカの無駄な努力は、どうやらグラダ・シティの若い”ヴェルデ・シエロ”達の間ではよく知られているようだ。文化保護担当部と馴染みがないデルガド少尉さえ知っているのだ。こんなに有名な”砂の民”もいないだろう、とテオは思った。尤もデルガドは大統領警護隊なのでシショカが”砂の民”だと知っているのであって、市井の”ヴェルデ・シエロ”には「お馬鹿な大臣の秘書をしている不運なマスケゴ族の男」と言う程度の認識だろう。
 再び車に乗り込んで、テオはエンジンをかけた。

「シショカを見張らなくて良いのかい?」
「大丈夫でしょう。」

 ステファンが投げ槍気味に言った。

「彼は座席を確認したら少佐のところへ行かねばなりませんから。」



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