2021/10/20

第3部 隠れる者  2

  ロレンシオ・サイスの家のライブラリーは防音仕様になっていた。書斎と言うより音響を楽しむ為の部屋だ。サイスは客を中に入れるとドアを閉じて中から施錠した。
 テオは棚に収録されているレコードやC D、D V Dなどを眺めた。どれもピアノやジャズの媒体だった。サイスはこの部屋で他人の演奏を聴いて勉強しているのだろう。
 ケツァル少佐は興味なさそうだ。そう言えば彼女が何か音楽を聴いているのを見た記憶がないな、とテオは気がついた。彼女はいつも風の音や小鳥や虫の鳴き声を聴いている。聴いて敵が接近して来ないか警戒しているのだ。どんな時でも。
 サイスが客に向き直った。英語で尋ねた。

「ジャガーを追跡されているのですね?」

 と彼が尋ねたので、テオは正直に言った。

「追跡は大統領警護隊遊撃班の仕事で、俺達は遊撃班の手伝いをしている。申し遅れたが、俺はグラダ大学生物学部で遺伝子分析の研究をしている。遊撃班が採取したジャガーの体毛と血痕を分析した。」
「血痕の分析・・・」
「何処か怪我をしたんじゃないか? 有刺鉄線で引っ掛けただろう?」

 サイスが不安でいっぱいの暗い目で彼を見た。

「僕がジャガーだと考えていらっしゃるのですか?」
「違うのかい?」

 テオに見つめ返されて、サイスは目を逸らし、ケツァル少佐を見た。少佐は彼の目を見たが、感じたのは恐怖と不安感と孤独感だけだった。彼女も英語で尋ねた。

「変身したのはあの月曜日の夜が初めてだったのですか?」
「僕は・・・」

 サイスが床の上に座り込んだ。

「何が起こったのか、わからないんです。バンド仲間やファンクラブの人達とパーティーをして、調子に乗ってドラッグに手を出しました。クスリをやったのは初めてです。本当です、信じて下さい。」
「私達は貴方の薬物使用を咎めに来たのではありません。私の質問に答えて下さい。変身を何回経験しましたか?」

 サイスが震える声で答えた。

「1回です。あの時が初めてです。」
「あれから変身していませんね?」
「していません。どうやって変身したのかも覚えていません。本当に変身したのか、自分の記憶も混乱しているんです。でも、家に帰った時、僕は裸で何も身につけていませんでした。脇腹に引っ掻き傷があって、鏡を見たら、僕の目が・・・」
「ジャガーの目だった?」

とテオが声を掛けた。

「金色の目をしていたんだね?」
「はい・・・ドラッグのせいで幻覚を見ているのだと思いました。だけど、家に帰って来る時の身軽さと爽快感は覚えていて・・・」
「ナワルを知っているかい?」

 サイスがこっくり頷いた。

「ファンクラブの人がパーティーの時に話していました。古代の神官や魔法使いが動物に化けるのだと・・・」
「ファンクラブの人がね・・・」

 テオと少佐は顔を見合わせた。ドラッグパーティーにナワルの話など出すか、普通? とテオが心の中で呟くと、少佐がまるで彼と”心話”が通じたかの様に言った。

「不自然な話題の出し方ですね。その話をしたのは女性ですか?」

 サイスがちょっと考えた。そして再び頷いた。

「そうです、生粋のセルバ人で、綺麗な人でした。コンサートの客席で何度か見かけましたが、話をしたのはあの夜が初めてでした。」
「ビアンカ・オルティス、彼女はそう名乗りませんでしたか?」
「名乗ったかも知れませんが、覚えていません。正直なところ、僕は自分の身に起きたことで混乱して、あの夜のパーティーのことは漠然としか思い出せないのです。」
「記憶が曖昧なのはドラッグの影響でしょう。」

 少佐が時計を見た。

「貴方のマネージャーが苛ついています。私達はここで切り上げます。」
「あの・・・」

 サイスが立ち上がってテオの腕に手を掛けた。

「僕に何が起きたのか、ご存知なのでしょう? 助けて下さい。誰にも相談出来ないんです。大統領警護隊がジャガーを探していると言う噂を家政婦から聞いて、捕まるんじゃないかと恐ろしくて堪らないのです。」
「それで昨日まで家に閉じこもっていた?」
「はい・・・」

 勿論、サイスをこのまま放置しておくつもりはないテオと少佐だ。少佐が名刺を出した。

「私の連絡先です。平日は文化・教育省にいます。いつでもいると言う訳ではありませんが、職員に伝言を残して下されば、こちらから接触します。それから、今日のコンサートですが・・・」

 少佐はサイスの目をグッと見つめた。サイスがその眼力にたじろぐのをテオは感じた。少佐が微笑んだ。

「頑張って下さい。成功を祈ります。」



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