部屋の中でコツコツと音がした。そして足音がドアに近づいて来た。
「何方?」
と女性の声が聞こえた。テオが聞いたステファンの携帯に録音された女性の声だった。ステファン大尉が名乗った。
「大統領警護隊のステファンだ。セニョリータ・オルティス?」
「スィ。」
女性が溜め息をついた、とテオの耳には聞こえた。遅かれ早かれアパートを発見されるのはわかっていた、そんな溜め息だ。
鍵を外す音が聞こえた。チェーンを掛けたまま彼女はドアを少し開き、ステファン本人だと確認すると、
「チェーンを外すからドアを閉めるわ。」
と言った。そしてその通りにした。奥の方で別の女性の声がした。
「誰なの、ビアンカ?」
「エル・パハロ・ヴェルデよ。例のジャガーの件。」
ドアが開かれ、ビアンカ・オルティスが現れた。テオは初めて彼女を見た。ロホが「美人だ」と評したが、要するにセルバ美人だ、と彼は思った。少しふっくらした顔をしている。
ステファンだけでなくテオがいたので、驚いた様子だ。ステファンが紹介した。
「グラダ大学生物学部准教授テオドール・アルスト博士だ。 ドクトル、こちらがジャガーを目撃したビアンカ・オルティスです。」
生物学部の准教授と聞いてオルティスが怪訝な顔をした。何故大統領警護隊が白人の学者を連れて来たのだ? と言いたげだ。テオが「よろしく」と挨拶して、それから言葉を続けた。
「先日君が目撃したジャガーについてもう少し詳しく話を聞きたいんだが、お友達は勉強中かな?」
「スィ。」
オルティスは窓の外をチラリと見て、外へ出ましょう、と言った。ルームメイトに外へ出て行くと告げて、彼女は部屋から出て来た。
「屋上で良いかしら?」
「結構。」
3人は階段を上って屋上へ出た。屋上は物干しスペースになっており、階段を上った所にだけ屋根と壁があり、小さなコインランドリーになっていた。大判の洗濯物がロープに吊るされて風に泳いでいたが、そろそろ取り込まなければならない時刻だ。
オルティスはコインランドリーの壁にもたれかかり、2人の男性を見比べた。
「何をお聞きになりたいのです?」
白人のテオには一族の秘密を話せない。”ヴェルデ・シエロ”だから当然の振る舞いだった。だからテオは言った。
「ロレンシオ・サイスは今迄に何回ナワルを使ったんだ?」
オルティスがギョッとなったのをテオもステファンも見逃さなかった。ステファンの目を見たのは、”心話”で何故白人が一族の秘密を知っているのかと尋ねたのだろう。ステファンは彼女が若くて長老会によるトゥパル・スワレの審判の話を知らないのだと確信した。だからテオにもわかるように、言葉で説明した。
「ドクトル・アルストは長老会が認めた”秘密を共有する人”だ。」
テオは改めて右手を左胸に当てて、よろしく、と挨拶した。オルティスが深く息を吐いた。そして大尉に尋ねた。
「タバコ、吸っても良い?」
「スィ。だが先に私が検める。」
オルティスがポケットから出したタバコにステファンが手を差し出したので、彼女は箱ごと渡した。ステファンは中身の匂いを嗅ぎ、それから彼女に返した。テオは大統領警護隊が隊員に支給する紙巻きタバコではない手製の紙巻きタバコを彼女が口に咥えるのを見ていた。ライターで火を点けて、彼女は煙を吐き出した。
「ロレンシオは自分がナワルを使えるなんて知らなかったのよ。」
と彼女は言った。
「それにヤク中でもない。」
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