2021/10/14

第3部 隠された者  5

  デルガドが客席にやって来たのは半時間も経ってからだった。ロレンシオ・サイスはステージの上でピアノを少々弾いて音合わせをしていた。夕方までに本格的なリハーサルを行うのか否か判断がつかなかったので、テオ達は劇場を出た。
 駐車場に出ると、デルガドがマネージャーの男はアメリカ人だと言った。サイスの健康管理に煩い男で、ピアニストに薬物を与えるとは到底思えないと言う。事実デルガドはマネージャーが楽屋裏で劇場側スタッフが用意した軽食の中身が健康的でないと苦情を言い立てていたのを耳にした。彼はファンからの贈り物なども厳しくチェックしており、スタッフさえ気軽に声をかけられないと不評だった。
 
 「ロレンシオ・サイスの経歴ってどんなものなんだ?」

 テオの質問にデルガドが劇場で手に入れたパンフレットを広げた。生年月日は見たまんまの年齢を裏切らないもので、生まれはグラダ・シティではなくマイアミだった。

「ちょっと待て・・・サイスはアメリカ合衆国の市民権を持っているのか?」
「北米生まれですから、そうですね。」
「母子家庭だよな?」
「スィ。母親がアメリカ合衆国の市民権を持っています。あちらの先住民です。」
「すると父親がセルバ人・・・」
「”シエロ”です。純血種か”ティエラ”とのミックスかわかりませんが、長老がツィンルだと言っていました。」

 ステファンは、サイスの出生の秘密を知っているらしい女性の長老が詳細を教えてくれなかったことが悔やまれた。サイスの父親は変身出来たのだ。だが息子の養育に関わらなかったので、ロレンシオは己の能力を何も知らずに成長したのだ。生活の場にアメリカではなくセルバを選んだのは何故だろう。母親と暮らしていたのだからアメリカで育ったのではないのか。己が周囲の人々と何か違うと感じて父親の故国へ来たのか?
 サイスはアメリカの高校を卒業してからセルバ共和国に移住していた。そして現在のマネージャーに「発見」されてピアニストとしての才能を開花させた、とパンフレットに書かれていた。主に活動の場はアメリカだが、メキシコやセルバでも演奏会を開いて大好評だと言う。
 経歴におかしな点はなかった。勿論”ヴェルデ・シエロ”であろうと無かろうとナワルのことなんて書かないだろう。

「父親は彼のことを知っているのかなぁ・・・」

 テオは車に乗り込んだ。ステファンとデルガドも乗ったので、エンジンをかけると一台の黒塗りの乗用車が駐車場に入って来た。突然車内の空気がビリッと帯電した感じに震え、テオはびっくりして思わずサイドブレーキをかけた。

「なんだ?」

 ステファン大尉も驚いた表情で後部席を振り返った。さっきの空気の震動はデルガドか? テオも後ろを見た。デルガド少尉が決まり悪そうな顔をした。

「申し訳ありません。あの黒い車の運転手の顔を見て、思わず緊張してしまいました。」
「運転手?」

  テオとステファンは黒い車の行方を目で追った。黒い車は劇場の入り口近くに駐車した。そこから降りてきた男を見て、ステファン大尉が緊張したのがテオにわかった。あの白い麻のスーツを着た男がどうかしたのか?

 

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