2021/10/08

第3部 潜む者  14

  夜が更けた。テオは往路の車中でたっぷり昼寝してしまったので、明け方前に目が覚めた。枕の下に入れておいた携帯電話の時刻を見ると午前4時前だった。アスルはまだ眠っている様だ。照明を点けて起こしてしまうのも可哀想なので、テオはベッドに横たわったまま試験問題を考え始めた。恐らく半時間も経たないうちに二度寝するだろうと思っていたら、ドアの外で微かにカリカリと音がした。気のせいかと思ったが、音は再び聞こえてきた。ドアノブ辺りから聞こえた。誰かがピッキングしている、と感じた。ケツァル少佐が拳銃を貸してくれたが、アスルがいるからと思って鞄の中に入れてしまっていた。アスルはドアの音が聞こえているだろうか。狭い部屋なので声を立てられなかった。
 カチッと音がして解錠された気配がした。テオはわざとウーンと声をたてて寝返りを打って、入り口の方へ体を向けてみた。外の音が止んだ。アスルは静かだ。そのまま長い時間が経った。恐らく実際は4、5分だ。眠っているふりをしていると、ドアが動く気配がした。空気が僅かに動いた。誰かが室内に入って来た。恐ろしいほどの相手の緊張感をテオは感じた。
 これは「殺気」と言うものか?
 侵入者が体を大きく動かした。いきなり、怒号が聞こえた。

「何ヤツだ?!」

 照明が点き、テオは跳ね起きた。アスルが1人の男を後ろから羽交締めにしていた。男は手に短い槍の様な物を握っていた。槍の先端はフォークの様に2本に分かれており、鋭い刃物が付いていた。
 テオはベッドから飛び降り、男の胴に一発お見舞いした。男が怯んだ隙に槍を取り上げた。男は槍を持ち替えようとしていたが、テオに奪われてアスルを振り払うことに総力を上げることにしたらしい。だがテオが男から奪った槍を喉元に突きつけると大人しくなった。男が脱力した隙にアスルが彼を床に押し付け、膝まづかせた。腕を後ろへ回させ、手錠をかけた。テオは大統領警護隊が手錠を装備しているのを知っていたが、実際に使用するのを見たのは初めてだった。

「こいつ、犬臭い。」

とアスルが囁いた。テオは槍の先端を見た。

「コヨーテの牙みたいに見えるな。」
「こいつがチュパカブラか?」
「きっと君が俺から検査結果を受け取ると誰かから聞いて追って来たんだろう。ここで君と俺を殺害してチュパカブラの仕業に見せかけようとしたんだ。」
「大統領警護隊を何だと思ってやがる!」

 男は黙っていた。アスルが彼の上体を引き起こし、正面に回った。男の服装は普通の労働者風だ。農民かも知れない。人種はその辺にいるメスティーソだ。よく見ると全身を微かに震わせていた。大統領警護隊が恐いのだ。恐いのに、そのすぐそばでチュパカブラ騒動を起こしていたと言うのだろうか。
 アスルは男の服を探り、財布や身分証の類、その他の武器などを所持していないか探った。擦り切れた財布と折り畳みナイフが出てきた。それ以外は持っていなかった。アスルはそれをテオに渡した。
 アスルが男の顔を顎を掴んで持ち上げた。男は目を逸らそうとしたが遅かった。彼はアスルの目から視線を外せなくなった。アスルが尋ねた。

「お前は誰だ?」

 男が小さな声で答えた。

「エド・ゴンボ・・・」

 テオは財布の中から運転免許証を見つけ出した。

「エドアルド・ゴンボ・・・コロンビア人だ。」
「ほう・・・パスポートは?」
「ないなぁ。これだけだろ、ポケットの中は?」
「何処に住んでいる?」

 ゴンボはミーヤ・チウダの町の中の地区名らしき名前を口にした。本人は言いたくないだろうが、アスルの目の力に逆らえない。

「ミーヤ遺跡に出没したチュパカブラはお前の仕業か?」

 ゴンボが「スィ」と答えた。テオは槍を見た。こんな物で刺して相手が死んだらどうするつもりだ、と思った。

「仲間はいるのか?」

 ゴンボが数人の名前を挙げた。アスルの表情が硬くなった。彼はテオに告げた。

「最初の被害者2名の名前が入っている。」
「それじゃ・・・」

 テオもアスルが思ったことに気がついた。

「被害者もやっぱりグルだったんだな?」
「目的は何だ?」

 ゴンボは恐怖で泣きそうになった。アスルから逃れたいのに体が動かない。目すら動かせない。そして口が勝手に動いた。

「お前の目をアンティオワカから逸らしておくことだ。」

 アスルは「けっ」と言ってゴンボから手を離した。そう言えば、とテオは今更ながら疑問を感じた。ミーヤ遺跡は小さいと聞いているが、アスルは大きなアンティオワカ遺跡ではなくミーヤ遺跡の方を見張っている。ミーヤ遺跡はグーグルのストリートビューで見てもアスルが直々に見張るような重要性がある場所に思えなかった。

「わざとアンティオワカから副葬品を盗ませたんだ。あのフランス隊はペルー政府からもチリ政府からも要注意の勧告が出ていたからな。」

 アスルがゴンボにそう言うのを聞いて、テオはケツァル少佐がアンティオワカ遺跡へ行ったのは偶然盗掘品が発見されたからではなかったと悟った。わざと餌を撒いて盗掘者が引っかかったので、早速釣り上げに行ったのだ。そうとは知らない盗掘者達は、チュパカブラ騒動をでっち上げ、アンティオワカの近くにいる大統領警護隊の注意をミーヤ遺跡に向けさせようとしたのだった。アスルはそれに載せられたふりをして、グラダ・シティから専門家を呼ぶと作業員達に伝えた。それで盗掘者達はチュパカブラ騒動を起こしているゴンボを暗殺者として送り込んだ。アスルやテオを殺せなくても大怪我をさせれば、警察も大統領警護隊もミーヤ遺跡に集中するだろうと読んだのだ。しかしアスルはテオを餌にしてゴンボをホテルの狭い部屋に誘い込んだのだった。ゴンボはセルバ人から大統領警護隊の隊員の目を見るなと言われていたが、外国人なのでその意味を深く考えていなかった。捕まった時に目を閉じていれば良かったのだが、アスルの目を見てしまった。
 テオは餌に使われたと知ったが、腹は立たなかった。アスルはちゃんと彼をドアから遠いベッドに寝かせて自分は床で寝た。テオが目を覚ますより先に廊下の足音を聞いて起きていた。ドアの陰になる位置で立って待ち構えていたのだ。

 


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