2021/10/05

第3部 潜む者  7

  大統領警護隊の「官舎の門限」は、官舎で居住する隊員が基地外で活動する場合に設定されている規則で、隊員が無事に一日を過ごしたことを確認するためのものだ。門限を破ると事故か事件に巻き込まれた恐れありと看做されて捜索対象にされるので、隊員達は外で活動する時は必ず門限を守って帰還する。不名誉な脱走疑惑をかけられでもしたら、大変だ。
 門限の他に「消灯時間」と言うものもある。大統領警護隊は24時間稼働の軍隊だから、別に一定の時刻になったら部屋の照明を落としてしまう、と言う訳ではない。そもそも暗闇でも目が見える”ヴェルデ・シエロ”と言う種族の軍隊だから照明の有無は関係ない。世間体で午後11時になると宿舎の照明を落としてしまうだけのことだ。ただ、この照明を落とす時刻に居室にいなければならない当番がいる。規則に従って休憩を取らなければならないのだ。これは規則正しくルーティンに従って勤務する警備班のためのもので、遊撃班や外で仕事をする外郭団体所属の隊員には関係ない。
 ステファン大尉は遺伝子分析結果が入った封筒を持って宿舎から本部棟へ移動した。少し躊躇ってからエレベーターではなく階段を使って地下へ降りた。エレベーターを使うと、たまに扉が開いた時に上層部の人間と鉢合わせする恐れがあった。敬礼だけですれ違ってくれる上官なら良いが、中にはどんな用事があって地下へ来るのかと問い質して来る人もいる。ステファン大尉は直属の上官以外に任務の話をしたくなかった。それに直属の上官はこの時刻に地下にはいない筈だ。
 階段の壁が手掘りの岩盤になった。古代の神殿跡だ。普通の隊員は地下へ来ない。地下と言っても、普通のビルの地下の様な深さではなく、オルガ・グランデの金鉱山の坑道並に深く造られていた。ステファンが地下の通路の道順を知っているのは、以前に来たことがあったからだ。己の兄を殺害し、罪を彼の父になすりつける為に無関係な”砂の民”を4人も殺し、彼の父も殺し、彼自身も殺害しようとした、一族の大罪人を裁く審判の場に証人として召喚された時だ。尉官の隊員が地下に降りることを許されるのは、長老に呼ばれた時だけだった。
 だから、神殿の大扉前の衛兵の前に来た時、彼は緊張していた。背筋を伸ばして衛兵達の前に立つと敬礼した。

「遊撃班所属、カルロ・ステファン大尉です。長老会のお方がいらっしゃれば、御目通りを願いたい。」

 上官をすっ飛ばしての面会を許可されることは滅多にないが、決して隊律違反ではない。勿論、長老が面会理由の適正を承認してくれればの話だ。
 衛兵は2人いたが、1人が彼をじろりと眺めた。

「どの長老に面会を希望するのか?」
「申し訳ありません、私にもわかりません。未承認のナワル使用者についてお尋ねしたき儀があって参りました。」

 すると、もう1人の衛兵が声をかけて来た。

「君はグラダのステファンだな?」
「スィ。グラダの族長の身内の者です。」

 グラダ族長はケツァル少佐だ。この世で生きている唯一人の純血種のグラダ族だ。そして、グラダを名乗ることを許されている人間はあと2人だけ、どちらもメスティーソのカルロ・ステファンとアンドレ・ギャラガだけだった。グラダの男性として認定されると言うことは、ナワルが黒いジャガーであると言うことだ。
 最初の衛兵が「待っていろ」と言い残して、扉を微かに開き、隙間から滑り込むように中へ消えた。ステファンは背筋を伸ばして立っていた。残った衛兵は彼に話しかけず、通路の向こうを見つめた。まるでステファンがそばにいることを忘れた様な気配だ。実際は5、6分だったが、ステファンには10分以上もかかったような気がした。ようやく、最初の衛兵が戻ってきた。彼は片側だけ扉を少し開いて、目で入れと命じた。ステファンは敬礼して、中に足を踏み入れた。
 扉の内側は以前に来た時と同じく、広い空間だった。岩の柱が周囲を取り囲むように立ち、その向こうにいくつか扉があるが、何の部屋なのか彼は知らなかった。
 広間の向こうの端に火が焚かれており、それを囲んで3人の仮面を被った人物が立っていた。長老の中の長老、長老会のメンバーだ。仮面は”心話”を禁じるものだ。この空間においては、プライバシーを守ることが困難な”心話”は、裁判や会議の時の情報交換でしか使用されない。長老会のメンバーは互いが誰なのか知らない・・・ことになっていた。
 長老の1人が、入ってきた若者に顔を向けた。仮面で明瞭さを欠く声でその人が言った。

「グラダのステファン、こちらへ来なさい。」


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