2021/10/05

第3部 潜む者  8

  カルロ・ステファンに声をかけた長老は女性だった。ステファンは彼女の声を以前にも聞いたことがあった。審判の時ではなく、それより前、彼が黒いジャガーに変身して大罪人を押さえ込んだ時だ。父親の仇を噛み殺そうとした彼を、彼女が宥めて制止してくれたのだ。あの時はケツァル少佐もテオドール・アルストも同じように彼を止めようと怒鳴っていたが、興奮した彼を完全に止めるには至らなかった。この女性の長老の穏やかな波長の声が、彼の怒りを鎮めてくれたのだ。
 ステファンは長老達の前に立つと、右手を左胸に当ててお辞儀をした。長老達は同じように右手を左胸に当てて返礼してくれたが、頭を下げたりしなかった。
 長老から声をかけられることはなかった。沈黙が彼に語れと命じていた。それで、彼は質問した。

「2日前の夜、サン・ペドロ教会界隈でジャガーを目撃したと言う市民からの通報が数件グラダ・シティ警察に寄せられました。お耳に入っておりますでしょうか?」

 男性の声が「知らぬ」と答え、残りの男女が「聞いている」と答えた。
 ステファンは続けた。

「警察から大統領警護隊にジャガーの捜索要請が来ましたので、司令部から遊撃班に命令が下され、エミリオ・デルガド少尉と私カルロ・ステファンが役目を与えられました。目撃者の証言を集め、ジャガーが移動した道筋を辿って行くうちに、体毛と血液を手に入れました。ジャガーは有刺鉄線で怪我をした模様です。手に入れた体毛と血液をグラダ大学生物学部の遺伝子学者テオドール・アルスト博士に分析してもらいました。」

 彼は封筒から分析検査結果を出して、長老達の方へ差し出した。女性の長老が受け取ってくれた。ステファンは説明を続けた。

「アルスト博士の分析では、その血液はジャガーそのものではないジャガーだと言うことでした。」
「どう言う意味だ?」

 「知らぬ」と答えた男性が尋ね、もう1人の男性が答えた。

「ツィンルだと言うことだ。」

 ”ヴェルデ・シエロ”はナワルを使える一族の者をツィンルと呼ぶ。彼等自身の言語で「人間」と言う意味だ。つまり、ナワルを使えない者は人間以下の存在と見なす古代の神の驕りだ。

「教えていただきたいのですが・・・」

とステファンは続けた。

「世間を騒がせているジャガーが一族の者であると断定しましたが、東西サン・ペドロ通り界隈に住むツィンルは何人いるのでしょうか? 私個人が知る限りでは、我がグラダの族長シータ・ケツァルと、マカレオ通り北に住む我が同僚アルファット・マレンカ(ロホの本名)の2人だけです。他に誰かいますか?」

 3人の長老達が互いの仮面の目を覗き合う素振りを見せた。この中の誰かがあの界隈に住んでいると言うのか? 
 ジャガー騒動を聞いたと言う男性の長老が答えた。

「誰が住んでいるか、お前に教える必要はない。我等が知るツィンルは皆掟を守り礼儀を心得ておる。お前が追いかけているジャガーは、未承認者だ。」
「どなたかのお子さんと言うことは考えられませんか? 成年式を迎える前にナワルを使ってしまったとか・・・」
「子の変幻に親が気付かぬ筈がない。」
「では、私の様に”出来損ない”で、ある日突然変身してしまった可能性は考えられますね?」

 一瞬長老達の間に硬い緊張した空気が感じられた。カルロ・ステファンの最初の変身は、彼が命の危険に曝された時に起きた。本人には変身した自覚がなかった。

「お前が追っているジャガーは、何か危険に曝されていたのか?」
「私は目撃したのではありませんから、お答え出来ません。しかし、ケツァルは家並みを隔てて接近したそうです。彼女はただ何かが近づいて来るのを感じ、その気配に怯えた犬達が騒いだので犬を気を放って鎮めたそうです。するとその接近者も彼女の気を感じて立ち止まったと言っていました。」
「ケツァルは相手を見ていないのですね?」

 女性が尋ねた。ステファンは「見ていません」と答えた。

「その者は西から東へ移動していました。ケツァルの気を感じて一旦立ち止まりましたが、彼女が立ち去ると再び東へ向かって移動を再開していました。ですから、何かの危険から逃れようとしていた様子でなかったと私は思います。」

 最初の質問で「知らぬ」と答えた男性が言った。

「我々は”出来損ない”までは把握しておらぬ。少なくとも、ナワルを使えると判明した者しかツィンルと認めておらぬ。だが、”出来損ない”がある日突然変身するには、何か大きな原因がある筈だ。変身の経験がない”出来損ない”にとってナワルは使おうと思って使えるものではない。それはお前が一番良く理解しておろう。」
「だがドクトル・アルストはそのジャガーを”シエロ”だと判定したのだろう?」

ともう1人の男性が言った。

「ツィンルと認められていない者がナワルを使って世間の前に姿を曝すのは由々しき問題だ。掟を知らぬのであろう。」
「”砂の民”が知れば動きますよ。」

 女性がステファンが最も恐れていることを言葉に出した。

「掟を知らぬのなら、教えなければなりません。」

と彼は長老達に訴えかけた。

「ジャガーの痕跡はマカレオ通りの3丁目第3筋まで辿れました。その辺りにツィンルはいませんか?」
「ツィンルはおらぬ。」

と「知らぬ」と答えた男性がイラッとした声で言った。しかし、女性がこう言った。

「ツィンルはいませんが、ツィンルが産ませた子がおります。」

 男達全員、ステファンも含めて、彼女を見た。彼女が言った。

「ロレンシオ・サイス、ピアノ弾きです。」


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