結局、アスルが遭遇した怪しい女の正体について論じることもなく、テオは少佐と別れて大学に戻った。スニガ准教授に大統領警護隊がGCMSの使用料金を支払う意思がないことを告げるのは気が重かったが、先延ばしするとますます事態が悪くなることは目に見えていたので、スニガの部屋に言って直接告げた。スニガは不愉快そうな顔をしたが、しかし腹は立てなかった。腹を立てても相手が悪いとわかっているのだ。大統領警護隊に不服を申し立てる勇気があるセルバ人は殆どいない。代わりにテオに向かって言った。
「答案の採点を手伝ってくれるか?」
それでその日の午後いっぱい夕方迄テオは他人のクラスの答案を読んで過ごした。 作業が終わる頃にスニガの機嫌は直っており、これからは正式な申請をもらってから検査を行う約束をした。
日が暮れる頃にテオが大学の駐車場へ行くと、電話がかかってきた。またケツァル少佐だ。
ーー夕食のご予定は?
ときた。テオが彼女の要請を断るとは思っていない。テオはちょっと腹が立ったが、予定はなかったし、例の女の話をしたかったので、「ない」と返事した。少佐はよく利用するバルの名を告げて、時刻は言わずに電話を切った。彼が来る迄待っていると言う意味だ。テオは少し考えてから、一旦自宅まで帰った。そして車を置くと大きな通りまで出てタクシーを拾った。
バルには少佐が1人でいてビールを飲んでいた。テオもビールを注文して彼女の隣に立った。
「1人とは珍しいな。」
と声をかけると、彼女が微笑した。
「ロホはギャラガとデネロスを連れてミーヤ遺跡へ行きました。」
「アスルの応援かい?」
「撤収の見学です。」
ミーヤ遺跡は小さいが、撤収段取りを規則通りに行う日本隊がいる。監視役初心者には良いお手本になるだろう。しかしテオはやはり裏の目的があると睨んだ。
「ジャングルの中で女の痕跡を追うんだろ?」
少佐がグラスを持ったままニヤリと笑った。
「もうあの近辺にいないと思いますが、逃げた”入り口”を見つけることを期待しています。」
真夜中にジャングルの中で追跡を行うのだ。テオはロホとギャラガには心配しなかったが、デネロスはちょっと気遣った。彼女は女性だし、ナワルも一番小さなオセロットだ。それに農村育ちでジャングルでの活動は余り経験がない。テオが知っているだけでも、彼女の現場派遣は主にグラダ・シティ近郊か西部のオルガ・グランデ近辺の砂漠地帯だ。
「まさか分散して捜索させるんじゃないだろうな?」
「ノ。標的は1人ですから、3人一緒に行動するよう、ロホに命じてあります。相手が手負いのピューマである可能性がありますからね。」
テオは溜め息をついた。
「もしその女がビアンカ・オルトだとしたら、彼女がアンティオワカへ行った目的はなんだろう? 」
「やはりドラッグでしょう。アンティオワカの業者が捕まって、グラダ・シティへ入荷がなくなったので、こちらの売人が値を釣り上げた。それで彼女は直接買い付けに行ったのではありませんか?」
「彼女が自分で使うのか?」
「貴方が彼女に会った時、薬物使用の常習者に見えましたか?」
「ノ・・・彼女はまともだった。まともでなきゃ、あんな手が込んだ誤魔化し方は出来ないだろう。」
「彼女がサイスを変身させたドラッグをパーティーに持ち込んだと疑われますから、何か利用方法を考えているのでしょう。」
「サイスを狙って来るかな?」
「一度標的と定めた相手を必ず仕留めないと、”砂の民”の入門試験に通りませんからね。」
少佐の声が小さくなった。
「ピアニストは今どうしているんだい?」
「ギャラガが本部でそれとなく聞き込んで来た遊撃班の情報によりますと・・・」
ギャラガは身内をスパイしているのだ。
「遊撃班では若い少尉達の訓練も兼ねて交替でサイスの護衛を行っているそうです。ステファンとデルガドはビアンカ・オルトの捜索に専念していると思われます。」
大統領警護隊が本腰を上げてロレンシオ・サイスの護衛をしてくれているなら安心だ、とテオは安堵した。
「サイスはこれからどうするつもりかな?」
「これもギャラガが聞いてきた話ですが・・・」
少佐はギャラガを上手く使っている。
「サイスは引退を言い出してマネージャーとバンドが意思撤回させようと連日話し合っているそうです。警護隊は口出し出来ません。」
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