2021/11/19

第4部 嵐の後で     2

  自宅前の駐車スペースに車を停めると、テオは大事なことを思い出した。

「少し前から、我が家にアスルが下宿しているんだ。キナ・クワコ少尉、知ってるよな?」
「スィ。」

 デルガド少尉が微笑した。

「大統領警護隊で彼を知らなければ、モグリですよ。」
「客間は彼の部屋になっている。君は今夜俺の部屋で寝てくれ。俺はソファで寝るから。」
「お気遣いなく。私は何処でも眠れます。」

 豪雨の中を車外に出て、家の中に駆け込んだ。鍵を開ける手間は不要だった。車の音を聞いたのだろう、アスルが中から開けてくれた。薄暗い屋内にテオとデルガドが入ると、アスルはドアを閉めてから、客を見た。デルガドが敬礼したので、彼も返礼した。アスルが尋ねた。

「遊撃班のデルガドだよな?」
「スィ。バスに乗り損ねた。」

 テオは彼等を置いて急いで寝室に入り、着替えを取るとバスルームへ向かった。濡れた服を早く着替えたかった。家の中はチキンスープの良い匂いが漂っていた。

「最終バスに間に合ったとしてもプンタ・マナ迄は行けなかっただろう。」

とアスルが言っていた。

「途中で運行停止になっている筈だ。バスの中で一夜を過ごすより、ここの方がましだ。あまり娯楽設備は整っていないが・・・」

 下宿人のくせに贅沢を言っている。
 中庭に面した掃き出し窓は外から鎧戸を閉めてあった。長屋の住民総出で昨日の午後に取り付けたのだ。乾季は共同物置に仕舞い込んであるが、雨季は大活躍の鎧戸だった。お陰で部屋の中は暗かった。鎧戸がガタガタ鳴っているのも五月蝿かったが、窓ガラスが飛んで来る物で割れるよりましだ。
 テオがリビングに行くと、アスルはキッチンに入っていた。早々と夕食の支度に取り掛かっているのは、停電する前に料理をしておこうと言う魂胆だ。”ヴェルデ・シエロ”の彼は夜目が効くが、家主のテオはそうはいかないので、気を利かせてくれているのだ。
 デルガドはソファではなく床の上に直に座って瞑想のポーズになっていた。しかしテオがソファに座ると目を開いた。無言だが、話しかけても構いませんよ、と言う意思表示だ、とテオは受け取った。だから尋ねた。

「休暇と任務だと言っていたが、どう言う意味だい?」
「休暇は休暇です。以前から決まっていました。今日から2ヶ月仕事を休みます。」

 そう言えば軍隊の休暇は長い。勤務期間は休みがないから当然だ。

「任務とは? 休暇だろ?」
「そうですが、ハリケーンが来ましたから、その時にいる場所で国の無事を祈るのが任務です。」

 ああ、とテオは納得した。”ヴェルデ・シエロ”はセルバと言う小さな国を古代から守ってきた神様なのだ。知らない人が見れば、彼等は天の神様に救いを求めて祈っているように見えるだろう。しかし、セルバでは彼等自身が神様で、祈ることで暴風雨から本当に国土を守っているのだ。先刻テオの車が一時的に暴風雨から守られたように。もしかすると、デルガドはテオが声をかけなかったら、あのままバスターミナルで祈っていたのかも知れない。
 テオはデルガドの祈りを邪魔しないように、静かに読書をすることにした。テレビは点けない。点けても天気予報しか放送していない。エル・ティティにいれば雨風も東海岸地方ほども大したことはないだろうが、テオは研究室のハリケーン対策が気になってグラダ・シティに戻って来たのだ。家の方はアスルがいるので任せていたが。
 チキンスープが完成した。アスルが「飯だ!」と怒鳴ったので、テオとデルガドは素直に食卓に着いた。デルガドにとって、初めてのアスルの手料理だ。しっかり煮込まれた鶏肉と玉ねぎとジャガイモのスープにクラッカーで3人は黙々と夕食を取った。雨に濡れた後の温かい食事は有り難かった。

「美味い料理だ。」

とテオが呟くと、デルガドが同意した。そしてアスルを見た。

「厨房班へ転属する気はないか?」
「冗談ぬかせ。」

とアスルがいつもの不機嫌そうな顔で言った。

「料理は趣味だ。仕事ではない。」

 デルガドはテオを見て、肩をすくめて見せた。テオはクスッと笑った。アスルは腹を立てたのではない。褒められて照れくさいだけだ。それが彼等にはわかっていた。

「皿洗いは俺がするよ。」

とテオが言った直後に室内が真っ暗になった。停電だ。テオが懐中電灯を取りに行こうと椅子をひきかけると、アスルが止めた。

「座っていろ。俺が取ってくる。」

 暗闇の中で、テオはデルガドが食事を続けている気配を感じた。もしかして、大統領警護隊本部の食堂って普段から真っ暗じゃないのか? と彼は余計な想像をしてしまった。
 懐中電灯の灯りの中で食事の続きをして、懐中電灯の灯りの中で食器を洗った。読書は出来ないしテレビもインターネットも使えないので、テオは早く寝ることにした。彼が水仕事を終えてリビングに戻ると、2人の少尉は暗闇の中でチェッカーをしていた。こんな停電の夜は夜目が効く連中が羨ましかった。

 ってか、こいつら、お祈りをサボってるんじゃないのか?


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