2021/11/02

第3部 狩る  9

  暗闇は”ヴェルデ・シエロ”にとって色彩がないだけで見えない世界などではない。戦闘服に身を包んだロホ、ギャラガ、そしてデネロスはアサルトライフルをいつでも撃てる体勢で森の中を歩いていた。木の葉に付着している血痕が白く光って見えた。
 国境検問所の近くにある”出口”から出た時、電話連絡を受けていたアスルが出迎えた。ロホが2人の後輩少尉を連れていたので、彼は「狩の練習か?」と尋ねた。ロホは真面目に「スィ」と答えた。アスルが出迎えたのは、同僚達が”出口”から出て来るところを無関係な”ティエラ”に目撃されない為の用心だった。”出口”から出る時、外の世界がどんな様子なのか”通路”にいる人間にはわからない。敵が待ち構えて襲って来る可能性は十分あるのだ。
 アスルはこの夜の追跡に加わらなかった。彼には彼の任務がある。遺跡発掘隊が完全に撤収する迄警護と監視をするのだ。セルバ共和国での考古学調査は発掘許可をもらうのが大変難しいが、一度認可されると帰国する迄しっかり守ってもらえる、それが諸外国の研究機関に人気がある理由だ。アスルはミーヤ遺跡の発掘隊を守る仕事をしている最中だ。だからロホは、女を撃った本人に女の捜索を手伝えと言わなかった。

「あの女は俺が声をかけたら、家長や族長を通せと、俺のマナー違反を咎めやがった。俺が守っている土地に無断で入り込む方がマナー違反だろうが!」

 アスルがぼやくのを年長のロホは聞き流し、「こちら側」で女を捕まえたら引き渡しを要求するか、と尋ねた。アスルはちょっと考えた。

「麻薬密売組織と関係があるのなら、憲兵隊に引き渡すのが筋だが、”シエロ”ならそうはいかないだろう。本部へ連行してくれないか。」
「承知した。」

 少尉のアスルが中尉のロホにタメ口で仕事の話をするのを、もし本隊の隊員達が耳にすればアスルを咎めるだろうが、文化保護担当部では誰も気にしない。ロホとアスルは兄弟同然の仲だ。そしてサッカーチームのライバル同士だ。ギャラガにはアスルはちょっと怖い先輩だが、気後れせずに言葉を挟んだ。

「捕まえたら必ず連絡を入れます。」

 アスルはチラッと彼を見て、ぶっきらぼうに言った。

「電話が通じる場所だったらな。後日報告で構わない。」

 それで、ロホ、ギャラガ、デネロスは3人で真夜中のジャングルを歩いていた。気を放出すれば虫や蛇を防げるが、逃亡者にこちらの存在を教えてしまう。いるのかいないのかわからない逃亡者に気取られぬよう、彼等は気を抑制して歩いていた。ジャングルに慣れていないデネロスは虫が煩わしいのだが、これしきのことで音を上げたりすれば次の派遣は砂漠ばかりになってしまうので我慢していた。都会育ちのギャラガにしても本格的な深夜の森の中での捜索は初めてだ。何処かで物音がする度に、ギクリとしてそちらへ銃口を向けるので、ロホに「落ち着け」と叱られた。
 1時間ほど歩いた頃、風が生臭い臭いを運んで来た。ジャガーに変身して嗅げば「美味しそうな匂い」だが、人間の鼻だと「不快極まる臭い」だ。ギャラガが真っ先に断じた。

「何かがこの先で死んでいます。」

 ロホは頷いた。静かに近づいて行くと獣の唸り声が聞こえた。イヌ科の動物の声だ。薮から出ると、そこに凄惨なシーンがあった。
 地面に無残に引き裂かれたコヨーテの死骸が転がっていた。別のコヨーテが5頭でそれを貪っていたのだが、死んだコヨーテも1頭ではなく2頭だった。コヨーテがコヨーテを襲うとは思えない。
 ロホはその場に出て行き、ジャガーの気を放った。コヨーテ達が恐れをなして逃げ去った。ギャラガが死骸のそばに行くと、ロホはしゃがみ込んで死骸の検分をしていた。

「食い荒らされているから断言は出来ないが、このコヨーテは骨を砕かれて死んだ。」

 首の辺りを銃の先で指して、彼は言った。

「銃や刃物ではなく?」
「一撃だ。だが撲殺ではない。」

 もう1頭の死骸も検めて、ロホは立ち上がった。

「こっちは背骨を砕かれている。」

 ギャラガはそんな方法でコヨーテを殺した犯人に当たりがついた。

「”シエロ”の仕業ですね。」
「スィ。」

 ロホはデネロスの姿が見えないことに気がついた。一瞬焦ったが、すぐに彼女が薮から姿を現したので安堵した。

「私達が追跡していた血痕がここまで続いていました。」

とデネロスは、男達が死臭を嗅ぎ取ってから観察し忘れたことを指摘した。

「きっと血の臭いを嗅いでコヨーテが女を襲ったのだと思います。彼女が返り討ちにしたのでしょう。」

 ギャラガは死骸を眺めた。

「腐敗の進行状況から判断して、24時間以上経っていると思います。」
「まるで検視官ね。」

 ロホが周囲を見回した。そして自分達が来た道筋から90度左へ曲がった方角を指した。

「向こうに血痕がある。」


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