2021/11/03

第3部 狩る  13

 右の寝室は静かなままだった。ケツァル少佐は静かに待っていた。待つのは慣れている。遺跡発掘隊の監視はひたすら作業行程を眺めているだけの仕事だ。ドアの向こうの気配が動いたのは6分後だった。瞬間に彼女はアパート全体の結界を張った。物音が響き、続いて「キャッ」と声がした。少佐は寝室のドアを開いた。
 窓の近くにベッドがあり、その上で若い女性が蹲っていた。Tシャツとコットンパンツ姿だ。頭を抱えているのは、窓から外に出ようとして、少佐の結界にぶつかったせいだ。”ティエラ”なら問題なく通り抜けられる結界は、同族の”ヴェルデ・シエロ”にはガラスの壁の様に硬い。無理に突破しようとすれば脳にダメージを受ける。

「話があると言った筈です。何故逃げるのです?」

 少佐は後ろ手で寝室のドアを閉めた。女が右脇腹に片手を当てた。

「大統領警護隊は私を撃った。殺されるかも知れないのだから、逃げるのは当たり前でしょう。」

 成る程、と少佐は頷いて見せた。

「何故、貴女は撃たれたのでしょう?」
「知らないわ。いきなり向こうが撃って来たのよ。それも後ろから!」

 暗がりの中で女の目が光った。少佐は”心話”を拒否した。信用出来る相手としか”心話”はしない。それが常識だ。

「貴女を撃った男は、オクターリャ族です。私達を連れて過去に飛んで銃撃現場を見せることが出来ます。検証を望みますか?」

 ”操心”が効かない相手だと悟った女は、脱力した。

「わかった・・・正直に言うわ。アンティオワカ遺跡にコロンビアから密輸した麻薬やドラッグを隠している組織がいると聞いたのよ。それで確かめに行ったの。もし本当にそんな悪いことをしているヤツがいるなら、粛清しなきゃ。この国の害になるからね。」
「貴女1人で麻薬組織を撲滅出来ると思って行ったのですか?」
「操れるでしょ? 1人を操れば、そいつが連中の輪を乱す。自滅させるのよ。」
「それが目的なら、大統領警護隊が職質をかけた時に、そう言えば良かったのです。」
「信じてくれたかしら?」
「彼は言いませんでしたか? 遺跡は警察が封鎖している、と。」
「覚えていないわ。」
「貴女はこう答えました。クスリを分けてくれるって聞いたから、買いに行こうとしていた、と。それも忘れましたか?」

 女が微笑んだ。

「私はジャンキーなんかじゃない。でも、クスリが必要だったのよ。」

 彼女は少佐を見上げた。

「ねぇ、もし突然、貴女に弟がいて、その弟が”ティエラ”が産んだ”出来損ない”で、それなのに父親が貴女よりその子を可愛がっていたと知ったら、貴女、我慢出来る?」

 少佐はニコリともせずに答えた。

「私は、突然弟の存在を知らされたことがありますよ。」
「え・・・?」
「その弟は”出来損ない”の女から生まれた”出来損ない”です。そして私は父と全く接点がありませんでしたが、弟は父に名前をもらい、愛されました。」
「それで?」

 女の声が微かに震えた。

「貴女はその弟をどうしたの?」

 少佐は彼女の目を見つめて言った。

「”シエロ”として生きる為に手を貸してやっています。彼は努力の人です。私は彼を愛しています。」
「貴女のお父さんは・・・」
「父は弟が2歳の時に死にました。私は一度も父に会ったことはありませんが、弟は微かに記憶があるそうです。」
「貴女のお母さんは、その”出来損ない”の弟のことをどう思っているの?」
「母は私を産んですぐに死にました。父の妻は弟の母親で、私の母ではありませんでした。」

 女が沈黙した。
 少佐がドアを手を触れずに開いた。

「私は帰ります。貴女が大統領警護隊の本部へ出頭してミーヤ遺跡での出来事を説明すれば、我々は貴女を追いません。貴女はロレンシオ・サイスのことを忘れて故郷に帰るとよろしい。」

 ハッと女が目を見張った。

「ロレンシオのことを知っているの?」
「我々は知っています。」

 少佐は「我々」と言う単語に力を込めた。ロレンシオ・サイスがミックスの”ヴェルデ・シエロ”であることを、大統領警護隊は承知していると言う意味だ。つまり、サイスが不審な死を遂げれば、お前を真っ先に疑うぞ、と言う警告だった。
 女が独り言のように言った。

「あの”出来損ない”の隊員が報告したのね。」
「あの”出来損ない”の隊員は、貴女より能力が強く、優秀ですよ。エル・ジャガー・ネグロですからね。」

 女が息を呑んだ。黒いジャガーは、グラダ族の男性だけが使えるナワルだ。グラダ族はどの部族よりも強く、使える能力の種類も多い。サスコシ族がまともに戦って勝てる相手でないことを、女は知っていた。

「そんなに強いヤツに見えなかった・・・」

 おやおや、と少佐は心の中で呟いた。カルロも見くびられたものだ。

「彼は気を上手く抑制しているだけです。純血種並みに。貴女が能力の使い方に自信があるなら、”出来損ない”の弟を上手に指導してあげることです。」
「出来ません。」

 と女は俯いた。

「父の愛を奪った男を弟と認めることも、指導することも、私には出来ません。」
「それなら、ロレンシオのことは忘れるのです。血族と思わなければ、彼が存在していても気にならないでしょう。」

 彼女が涙を流すのを少佐は感じた。この女は、ロレンシオ・サイスを愛してしまったのだ、と少佐は気がついた。弟としてではなく、男性として。

「夜が明けたら、出頭なさい。」

と少佐は言った。

「今日の日暮れ迄に出頭しなければ、”砂の民”が貴女を追いますよ。麻薬組織に近づこうとした、それだけで彼等は貴女を不穏分子と見做します。」



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