2021/11/04

第3部 狩る  14

  学生アパートから道路に出たケツァル少佐は、歩道の暗がりに身を潜めている人物の気配に気がついた。

「貴方もここだと見当をつけたのですね。」

と囁くと、暗がりからカルロ・ステファンが姿を現した。彼は溜め息をついてアパートを見上げた。

「誰かさんが結界など張るから、入れなかったのですよ。」

 彼は視線を少佐に戻した。

「貴女が強いことは承知しています。しかし、1人で危険人物と対峙するのは止めて頂きたい。」

 少佐は肩をすくめて彼の目を見た。”心話”で忽ち情報共有が行われた。ステファンは少佐と交わしたビアンカ・オルトの言葉に納得しなかった。彼は腕組みして言った。

「アスクラカンでの彼女の評価は酷いものでした。人間性に欠陥があると現地では見做されていました。それに麻薬を手に入れようとした理由も明確ではない。彼女は貴女から逃げる為に虚偽の言い訳をしたとしか思えません。」
「私も彼女が素直に警護隊に出頭すると思っていません。」

 少佐は異母弟を悪戯っぽい目で見上げた。

「彼女に誰に追われているかを教えてやりました。あの女はロレンシオ・サイスを狙いつつ、貴方を警戒するでしょう。ことによると、サイスより先に貴方を片付けようと思うかも知れません。エル・ジャガー・ネグロに興味を抱いた様子でしたから。」
「故意に私を狙わせるのですか?」

 ステファン大尉が特に腹を立てた様子はなかった。ケツァル少佐は時々この手の遣り方で部下の教育を行う。部下と同等もしくは少し上の力を持った敵と戦わせる。

「今踏み込んでも構いませんよ。」

 少佐はアパートを見た。

「でも、”ティエラ”達がいることを忘れないで下さい。それから、デルガド少尉はまともに相手にさせないように。どんなに賢いマーゲイも、ピューマの一撃には耐えられません。」
「心得ています。部下を危険に曝したりしません。貴女の教えです。」

 少佐は「おやすみ」と言って、自宅に向かって歩き去った。残ったステファン大尉は暫くアパートを見上げていた。ビアンカ・オルトが眠れない夜を部屋で過ごすつもりはないだろう。彼はアスルが彼女に手傷を負わせたことを、ちょっと腹立たしく思った。撃つなら確実に仕留めろ、と実戦のプロは思った。
 カルロ・ステファンは今捜査員と言うより狩人の心境だった。ミックスの弟の存在を否定するピューマを仕留めたかった。
 あの女はゲームをしている。サイスの”シエロ”としての本能をドラッグで目覚めさせて、己と戦える状態に仕上げようとしている。彼女はジャガーと戦って、己のピューマの力を確認したいのだ。
 彼はデルガドに電話をかけた。少尉はすぐに出た。

「今、何処にいる?」
ーーエンリケ通りの、女がバイトをしていた居酒屋のそばです。
「彼女は西サン・ペドロのアパートに戻っている。すぐにこっちへ来い。」
ーー承知!

 エンリケ通りは人間の足で走って10分足らずの距離だ。ステファンは物陰に隠れてタバコを咥えた。火を点けずに気分を落ち着かせる為に香りを吸い込んだ。高揚すると相手に気取られる。オルトはケツァル少佐が本当に帰ったと確信する迄部屋から出ない筈だ。
 少佐がオルトの部屋ではなくアパート全体を結界で包んだ理由を彼はわかっていた。少佐はオルトとの面会の間、ステファンが介入してくるのを拒否したのだ。”出来損ない”の弟が来れば純血至上主義のオルトを刺激するからだ。少佐がミックス達を”出来損ない”などと考えていないことは、彼が一番よく知っている。彼女がオルトとの面会でその言葉を使ったのは、オルトの心を揺らすためだ。”出来損ない”でも一人前になり得る。”出来損ない”でも愛し合える。少佐はそう訴えたかった。それがオルトの心にどう響いたのか、それはこれから彼が彼女に対峙すればわかる。

 

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