2021/11/07

第3部 終楽章  5

 その日の夕方、セルバ共和国のメディアは人気上昇中のピアニスト、ロレンシオ・サイスが体調不良のために半年間休業することを発表した、と報道した。言うことを聞いてくれないマネージャーに愛想を尽かしたサイスが、自ら報道各社にメールで己の決意を伝えたのだ。記者達がマカレオ通りの彼の自宅に押しかけた時、既に彼はいなかった。怒り心頭のマネージャーが駆けつけたが、彼は忽ちマスコミの餌食になった。サイスはどんな病気なのか? どこに行ったのか? キャンセルされる演奏スケジュールはどうなるのか? 
 実のところサイスはまだマカレオ通りにいた。アスクラカンへ行く決心がついた、とカルロ・ステファン大尉に連絡を入れたら、10分後には大尉自ら迎えに来た。そして彼をテオドール・アルストの自宅に連れて行ったのだ。

「狭い家だが、明日の夕方迄我慢してくれ。」

とテオが言った。

「俺は金曜日の夕方の夜行バスに乗って、エル・ティティと言う町へ行く。親父が住んでいるんだ。アスクラカンはそのバスが立ち寄るところだ。日によっては乗り換えもある。だから、君は俺と一緒にバスでアスクラカン迄行く。バスターミナルには、君の出自のことをよく知っている人が迎えに来る手筈になっている。君はその人と一緒にサスコシ族の族長の家に行く。
 こう言う段取りだが、承知してくれるかな?」

 サイスはステファン大尉を見た。一緒に来てくるのではないのか?と目で問うた。その切ない視線にステファンが微かに微笑んだ。

「セニョール・サイス、貴方は今”心話”を使いました。意識していますか?」
「え?」

 サイスがキョトンとした。テオも微笑した。

「無意識に使えるんだ、訓練を受ければすぐに普通の”ヴェルデ・シエロ”並に使えるさ。」

 サイスが戸惑った。目だけで会話する、と言うのがどう言うものなのか、まだ得心出来ないのだ。ステファンが言った。

「無防備に”心話”を使うと、貴方の過去も心の底で思っている他人に知られたくない気持ちも全部伝わってしまいます。”心話”は嘘をつけないが、相手に渡す情報をセイブすることは出来ます。それを学んで下さい。”心話”が使えるようになれば、他の力の制御も簡単になります。仲間がどう脳を使えば良いか、”心話”で教えてくれるからです。言葉で表現することが難しいのですが、脳に直接伝えれば理解出来ます。」

 そして彼はサイスの質問にやっと答えた。

「私は貴方を護衛してアスクラカンに行くつもりでした。しかし、その必要がなくなり、私には別の仕事が入りました。これから本部へ戻らねばなりません。
 貴方はご自分でアスクラカンへ行く決定をすることが出来ました。1人でも大丈夫です、上手く能力を制御出来るようになって、早くピアノに戻って下さい。」

 サイスが頷いた。

「有り難う、助けてくれたあなた方の為にも、修行に励んできます。」

 サイスを客間に案内すると、テオは本部に帰ると言うステファンを玄関迄送った。

「サイスだけでなく、君も元気になって安心した。」

とテオが言うと、ステファンが意外そうな顔をした。

「私はそんなに憔悴して見えましたか?」
「スィ。オルトを死なせて後悔しているのかと思った。」

 ステファンが傷ついたふりをした。

「私は敵を倒して後悔なんかしません。」
「わかってる。エミリオを怪我させたことを悔やんでいたんだよな。」

 ステファンが時計を見た。

「そろそろエミリオの麻酔が切れる頃です。状況の聞き取りは、階級が低い者から先に行われます。司令部は、私が部下の安全管理に手を抜かなかったか、私がオルトの命を奪ったのが適正だったか、エミリオの証言を聞いて考えるでしょう。それから私の聞き取りがあります。」
「エミリオが君の立場を悪くするようなことは言わないと思うが・・・」
「聞き取りは”心話”で行うのですよ。」

とステファンは苦笑した。

「防犯カメラの映像を見るのと同じです。エミリオが見て聞いたことを、司令部がどう判断するか、です。事は数秒で起きました。彼がどの程度記憶しているか、誰にもわかりません。」

 そして彼は、「では、また」と言って家から出て行った。

 

  

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