木曜日の朝、ロレンシオ・サイスは疲れた顔でテーブルの前に座っていた。テーブルの上には朝食のコーヒー、トースト、オムレツ、サラダ、果物が並んでいたが食欲がなかった。彼は火曜日にステファン大尉から己の出自の秘密を伝えられ、超能力の訓練を受けることを勧められた。その翌日からマネージャーのボブ・マグダスと引退するしないで口論していたのだ。マグダスは既に半年先迄彼の演奏旅行のスケジュールを立ててしまっていた。今ここでサイスに引退されると莫大な損害を出してしまう。サイスが貯金を全て彼にやると言っても容認出来なかった。今迄仲良くやってきたバンド仲間からも我が儘だと責められた。しかし、引退の本当の理由を伝える訳にいかないのだ。彼等はサイスが”ヴェルデ・シエロ”だと言っても信じないだろうし、もしジャガーに変身して証明などしたら、撃ち殺されるに決まっている。
このまま黙ってグラダ・シティを出て行こうか、と思った時、玄関のチャイムが鳴った。家政婦が応対に出て行き、すぐに客を連れて戻って来た。
「セニョール、エル・パハロ・ヴェルデです。」
護衛のロス・パハロス・ヴェルデスの2人は台所で朝食を取っている筈だし、交代要員が来るにはまだ早い時刻だった。サイスは顔を上げた。軍服姿のカルロ・ステファン大尉が立っていた。火曜日に会った時は、大尉は私服姿だったので、サイスの目に彼は眩しく映った。
「ブエノス・ディアス。」
と挨拶して、ステファン大尉はサイスの顔を眺めた。
「あまりよく眠れていない様ですね。」
「マネージャーと口論しているので・・・」
口論の内容は、警護についている少尉達から報告が上がっていたので、ステファンは敢えて訊かなかった。彼は一つだけ朗報を持って来ていた。
「貴方の命を狙っている女性がいると言いましたね? 彼女は大統領警護隊に処罰されました。もう貴方の安全を脅かすことはありません。」
サイスが彼を見つめた。目が明るくなった。
「本当ですか?!」
「スィ。ですが、貴方は超能力の使い方を年長者から教わる必要があります。」
サイスがまた沈んだ顔になった。ステファンがリビングのピアノを振り返った。
「ピアノを止める必要はないでしょう。体調が悪いと言って暫く休養を取ることにしては如何です? その間にアスクラカンへ行って、サスコシの族長の家で基礎的なことを学ぶのです。」
「つまり・・・休業宣言するってことですか?」
「出来ますか?」
サイスは考えた。
「僕がどの程度学べるのかわかりませんが、超能力を使わない訓練でしょう? やってみます。マネージャーを説得して半年間の休業期間をもらえるよう頼んでみます。」
彼は己の手を見た。
「僕の手はピアノを弾くためのものです。地面を四つん這いになって歩くためのものじゃない。」
そして彼はハッとして大尉を見た。
「すみません、貴方も変身なさるのでしたね。決して馬鹿にした訳じゃありません。」
「構いません、私も変身した後は酷く疲れるので、あの力は好きではありません。」
ステファン大尉は台所の方を見た。
「護衛を引き揚げさせます。グラダ・シティにいる限りは必要ないでしょう。休業出来るとわかれば連絡を下さい。族長の家にご案内します。”ヴェルデ・シエロ”に限ったことではありませんが、この国の先住民にはややこしい作法があります。アスクラカンへ旅立つ前に最初にそれを教授します。」
するとサイスがその日初めて笑った。
「北米の先住民にもややこしいマナーがあります。母方の一族にもありました。ですから、心配ご無用です。僕は喜んで学びます。」
それから彼は大尉の背後を覗く仕草をした。
「今日は少尉は来られていないのですか?」
ステファンは表情を変えずに答えた。
「ええ、彼は今朝忙しいのです。処罰された女性に関する報告などもありますから。」
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