2021/12/09

第4部 忘れられた男     14

  2ヶ月の休暇はとても長く感じられた。カルロ・ステファンは退屈で2週間も経たぬうちに本部へ戻ろうかと思ったのだが、同じ時期に大学の雨季休暇に入った妹のグラシエラが、教員免許を取るための特別授業の一環で、スラム街の子供達の教育を行う団体にボランティアとして参加したので、その送迎をする為に実家に残った。グラシエラは”心話”と夜目しか使えない”ヴェルデ・シエロ”だから、普通の人間”ティエラ”と殆ど変わりがない。だから兄貴としては、妹が不良どもに狙われないかと心配だった。さらに気掛かりだったのは、妹の大学の同級生達だ。数人の男子学生がグラシエラを迎えに来たり、送って来たりする。彼女は「ただの同級生だ」と言うが、兄の目から見れば、どれも飢えた狼だ。だから顔を合わせると睨みつけてやる。学生達の間ですぐに噂になった。

 グラシエラ・ステファンの兄ちゃんはおっかない!

 グラシエラには、兄が大統領警護隊の隊員だと周囲に言うなと申し渡してあるが、それでも立ち居振る舞いは軍人だし、軍服を着て街で活動している彼の姿を目撃したことがある学生もいたので、正体がバレるのも時間の問題だった。
 流石にグラシエラも、同級生に片っ端から睨みを効かせる兄貴の態度にいささかうんざりしてしまった。それで彼女は、つい、言ってはいけないことを兄に言ってしまった。

「シータに振られたからって、私の友達に当たることはないでしょ!」

 その話をカタリナ・ステファンから聞かされたケツァル少佐は笑いが止まらなくて困った。カタリナも笑いながら、この3日ほど互いに口を利かない息子と娘に手を焼いている、と愚痴った。彼女達はステファン家の小さな居間でコーヒーを飲みながら世間話をしていた。

「カルロが貴女を慕っていたことを、私は知っていました。でも貴女の心が彼にないこともわかっていました。」
「彼は私にとって大事な部下で、愛する弟です。そして心から信頼出来る仲間です。それ以上でもそれ以下でもありません。」
「グラシエラも貴女を慕っています。でも兄と姉が結ばれる部族の古い習慣には抵抗があることも事実です。だから、貴女が彼に引導を渡してくれた時に、彼女も私も内心安心したのです。だけど、カルロは、まだ未練がある様です。」
「軍隊にいると女性と接する機会が少ないのも事実ですから。焦らずに長い目で見てやって下さい。それにしても、グラシエラの一発は今のカルロにとって、きつかったですね。」
「傷口に塩を塗ったようなものですよ。」

 カタリナは家の奥をチラリと見た。グラシエラはボランティア活動の最終日でスラムに出かけていた。新学期が始まるので、彼女の活動は休止だ。カルロの方も週明けに本部へ戻る。戻ってしまえば、次に実家へ帰るのは何時になるかわからない。本部では、彼を指揮官候補生として教育しているのだ。彼の念願の、「ケツァル少佐と同じ階級に上がる」日が近づいている。しかし、その昇級の目的だった女性は、もう彼のものにならない、と彼女自身から告げたのだ。カタリナは息子が自棄を起こさないかと、ちょっぴり心配だった。こうして彼女が少佐と居間でコーヒーを飲んでいる間も、カルロは自室に閉じこもって出て来ない。ハリケーンが来た時に、祈祷と言う任務で一時的に本部へ召喚されたが、自然災害の脅威が去ると、半ば強制的に実家へ戻された。カルロは丸2日、自室で眠りこけ、目覚めると部屋に閉じこもったままだ。
 ケツァル少佐は、ステファン家訪問の真の目的に入ることにした。何時までも失恋した弟を肴に喋るのも気の毒だ。振ったのは彼女自身なのだから、尚更だ。

「来週、イェンテ・グラダへ派遣されることになりました。」

 カタリナにはピンと来なかったようだ。不思議そうな目で義理の娘を見た。それで少佐は簡単に説明した。

「シュカワラスキ・マナとウナガン・ケツァルが生まれた村です。貴女のお父様の故郷でもあります。」

 ああ、とカタリナは頷いた。夫はイェンテ・グラダ殲滅事件があった時、まだ1歳だった。だから夫から村の話を聞いたことはなかった。父親は10代の頃に村を出て鉱山へ出稼ぎに行った。1度だけ里帰りしたが、その時点で既に村は消滅していた。父親は、故郷を失ったとだけ妻子に語り、それ以上村の思い出を語ることはなかった。恐らく、彼が出稼ぎに出る前からイェンテ・グラダ村には不穏な空気が満ちていたのだろう。父親は村がどうなったのか真相を知らなかったが、何故消滅したのか、理由は漠然と理解したのだ。だから娘に伝えなかった。堕落して自滅した故郷の話を語らなかった。
 カタリナ・ステファンにとって、イェンテ・グラダ村は古代セルバ同様、遠い存在だった。

「ジャングルの中の村だったとだけ聞いています。住む人がいなくなって、既に半世紀経っているのですから、ジャングルに呑み込まれてしまっていることでしょう。」

 彼女はケツァル少佐に微笑みかけた。

「貴女はお仕事で何度もジャングルに入られていると思いますが、気をつけて行ってらっしゃいね。」

 


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