2021/12/15

第4部 忘れられるべき者     12

  その夜の夕食は静かだった。アンドレ・ギャラガの入学祝いは賑やかにやりたいとケツァル少佐とロホが希望したので、週末に延期された。テオはまた帰省が出来ないとゴンザレスに連絡した。若い少尉の大学合格祝いだと言うと、ゴンザレス署長は「おめでたい理由だから、帰省がキャンセルになっても仕方がない」と喜んでくれた。

ーーアンドレって、雨季休暇の時にうちへ来て泊まって行った若い男だろ?
「スィ! 覚えてたの、親父?」
ーー当たり前じゃないか。俺は警察署長だぞ。自宅に来た人間はちゃんと記憶しているさ。

 そう言えばギャラガは夜勤明けのゴンザレスと朝食の時に顔を合わせていたのだ。何となく大統領文化保護担当部の隊員達もエル・ティティ警察の顔馴染みになって来たなぁ、とテオは可笑しく思った。エル・ティティの近所に遺跡はないので、今まで文化保護担当部はエル・ティティに立ち寄ることすらしなかったのだ。それが最近はアスルがエル・ティティ特産の山バナナを買いに行ったり、ロホがゴンザレスの部下の若い巡査と互いに出張で訪れたオルガ・グランデの飲み屋で偶然知り合って親しくなったり、と妙につながりが出来てきた。そのうちにデネロスも行くかも知れない。
 そんなことを思いながらテオが自宅の食堂でアスルの手料理を食べていると、電話が鳴った。先に食事を終えてテレビを見ていたアスルがジロリとこっちを見た。煩いからさっさと出ろ、と目で命令してきた。テオは口の中の物をビールで流し込んで電話に出た。電話はケツァル少佐だった。

ーー今からそちらへ行っても良いですか?

 出るなり彼女が質問した。いつものパターンだ。テオは部下並みの扱いをされている。彼女はテオとアスルが同居していることを知っているから、アスルに断る必要はない。構わないと答えると、電話が切れた。切れたと思ったら、玄関でノックの音がした。テオは席を立った。

「なんだ、家の前でかけてきたのか。」

 アスルがテレビを見ながら笑った。
 ドアを開けると少佐が素早く入って来た。ドアの隙間からベンツが路駐されているのがチラリと見えた。
 アスルがソファから体を起こして座り直した。テレビを消そうとしたので、少佐が「そのまま」と合図した。彼女はテオの食べかけの食事を見ながらテーブルの対面に座った。そしてテオに座れといった。どっちが客かわからない。

「食事を続けてもらって構いません。」
「グラシャス。で、何か用かい?」

 用があるから押しかけて来たのだ。少佐は躊躇うと言うより、ちょっと考え込んでから質問してきた。

「貴方は私のD N Aを分析されたことがありますよね?」
「ああ・・・それは・・・」

 本人に内緒で分析したことがあった。”ヴェルデ・シエロ”を分析したいと言うより、己の遺伝子との共通点を探したくて、少佐の髪の毛とか使用済みのカップとか、そう言った細々した物からD N Aを採取して分析したのだ。

「あるんですね?」

 少佐が畳み掛けたので、テオは叱られるのを覚悟して肯定した。

「スィ。黙って分析してごめん。」
「それは構わないのです。その記録は取ってありますか?」
「スィ。本当は消すべきなんだろうが、君のものは残したくて・・・。」

 少佐はそれを無視して、テーブルの上に体を乗り出し、声を低くして言った。

「D N Aを分析して欲しい人がいます。」
「誰?」

 少佐はさらに声を小さくした。

「フィデル・ケサダ。」
「はぁ?」

 思わずテオは声を出し、慌ててアスルの反応を伺った。アスルはテレビのサッカー中継を熱心に見ている様子だ。
 少佐が姿勢を元に戻した。

「私の個人的興味です。ですから、当人に知られたくありません。」
「いいけど・・・D N Aを手に入れる方法が難しいなぁ・・・」

 相手はマスケゴ族の、推定”砂の民”だ。優しく人当たりの良い教授だが、隙がない。

「急ぐのかい?」
「急ぎません、私の個人的興味ですから。」
「彼のD N Aの何を見れば良いのだろう?」
「それは・・・」

 少佐はチラッと横目でアスルがこちらを見ていないことを確認した。

「貴方がサンプルを手に入れてから教えます。」
「わかった。」
「くれぐれも用心して下さい。怒らせると、非常に危険な人です。」


 

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