埃と汗にまみれた戦闘服姿のままで入れる店が、陸軍基地周辺に集まっていた。その中の、昼間から開いていて夜の早い時間に閉める稀な店を、ロホは知っていた。セルド・アマリージョ(黄色い豚)と言う中クラスのレストランで、客層は軍隊関係と民間人が半々。軍人の間では、安心してガールフレンドを連れて行ける店として知られていた。デートに使える店に演習後のドロドロの服で入るのはちょっと気が引けたが、他の店がまだ営業前だったので、文化保護担当部はセルド・アマリージョに押しかけた。
ウェイターは一瞬ムッとした顔をしたが、客の胸に輝いている緑色の鳥の徽章を目にすると、急に愛想が良くなり、上席に案内した。店内に賑やかなポップが流れており、テーブルの半分が埋まっていた。客は若い兵士が多かった。新しく入ってきたグループに目を遣り、それが大統領警護隊だと気付くと、彼等は慌てて視線を逸らした。
6人は丸テーブルに着いた。渡されたメニューを開くと、そんなに高い料理はなく、適度な料金でお腹いっぱい食べられるとわかった。テオはケツァル少佐の隣になり、少佐が指差す料理に全部頷いて見せた。少佐が上目遣いで彼を見た。
「本当に、これで良いのですか?」
「構わない。君が好きなものなら、なんでも・・・」
「スパイシーですよ。」
「大丈夫だろう。」
テオはもう片側の隣のデネロスを振り返った。デネロス少尉は何故かデザートから見ていた。
「マハルダ、食事から先に選んでくれよ。」
「そっちにお任せします。私は甘い物担当。」
男3人は別のメニューを眺めて、肉の大盛りメニューを選んでいた。そこへウェイトレスが来た。メニュー用タブレットを持って、彼女は操作しながら尋ねた。
「ご注文は?」
その声に聞き覚えがあったので、テオは顔を上げた。同時にロホも彼女を見た。コンマ1秒ほど早く、ロホが相手の名前を口に出した。
「グラシエラ?」
ケツァル少佐も顔を上げた。デネロス、アスル、ギャラガもウェイトレスを見た。若いウェイトレス本人も目を丸くして客を見た。
「シータ! それに・・・」
彼女の頬が赤くなった。知っている人に出会って動揺しているのだ。テオが尋ねた。
「アルバイトかい?」
「スィ。土曜日の夕方だけ・・・友達のお兄さんがバーテンダーをしていて、その紹介です。」
彼女はそっと姉を見た。”心話”で、母親には秘密にして、と要請した。ケツァル少佐が溜め息をついた。
「ママより兄貴の方が厄介だと思いますけどね。」
と彼女は囁いた。少佐はこの店を選んだロホを見た。ロホが急いで言った。
「私は彼女がここで働いているなんて、知りませんでした。」
「土曜日だけですから。」
とグラシエラも慌てて言い訳した。余程異母姉に知られたことが気まずいのか、動揺程度が半端でない。テオは店内を見回した。
「健全な店に見える。取り敢えず、注文を取ってくれないか?」
それで各自食べたい料理を告げた。妹の手前、控えるつもりなのか、ケツァル少佐も1人前しか注文しなかった。
グラシエラがカウンターへ戻ると、デネロスが内緒話をするかの様に、テオと少佐に顔を近づけて囁いた。
「グラシエラは、ロホ先輩を全然見ませんね?」
え? とテオは思わず対面に座っているロホを見た。ロホはギャラガに、酔っ払いに絡まれた時の対処法を話し始めたところだった。アスルは厨房が気になる様だ。奥を何度もチラチラ見ている。
ケツァル少佐が苦笑した。そして小さな小さな声で囁いた。
「彼女は、ロホがこの店に時々現れるので、友達に頼んで働かせてもらっているのです。」
さっきの”心話”の時、妹の真意をチラッと感じてしまったのだ。テオとデネロスは顔を見合わせた。数秒後、2人はクスッと笑った。
「ああ、そう言うこと・・・」
「可愛いですね。」
「兄貴が知ったら、悩むぞ。」
カルロ・ステファンは妹に平凡な人生を送らせたいと願っている。普通の市民と結婚して家庭を持って、平和な穏やかな暮らしをして欲しいと思っているのだ。だから、軍人や警察官との交際は駄目だと日頃から言っていた。しかし、兄貴の親友で優しくイケメンのロホを紹介された時、グラシエラは心に何か響く物を感じたのだ。こればっかりは、阻止出来ない。 ロホの方はどうなのだろう。
テオとデネロスが見つめると、ロホが視線を感じて、ギャラガから対面に目を向けた。
「何か?」
「別にぃ・・・」
その時、アスルが、ちょっと失礼する、と言って、立ち上がり、厨房へ歩いて行った。何だろう? と仲間達が見守っていると、彼は厨房入り口近くのカウンターにもたれかかり、バーテンダーに声をかけた。
「料理の過程を見学して良いか? 中には入らない。俺は埃だらけだから。」
見学だけでしたら、とバーテンダーがドキドキしながら答えた。大統領警護隊の客は初めてだ。いや、ロホは今まで何度かここへ来ていたが、その時はいつも私服だったので、正体がわからなかった。イケメンの軍人らしき客、と言う認識だったのだ。
バーテンは、他のテーブルへ注文を取りに行ったグラシエラを指した。
「彼女とは、お知り合いで?」
アスルは本当のことを言った。
「我々の上官の妹御だ。少佐殿が溺愛されている。」
成る程、とバーテンは頷いた。そして思った。あのウェイトレスに客が手を出したり絡まないよう、見張っていなければ、と。さもないと、客の命が危ない。
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