2021/12/21

第4部 悩み多き神々     20

 「明日は好きなだけ眠れるぞ。」
「遊撃班は気の毒ですね、あのまま続けて任務だ。」
「心配するな、警備班のルーティンの調整が出来たら、すぐに交代要員が行くさ。」

 食事が終わると、大統領警護隊はアルコールを楽しむでもなく、あっさり席を立った。ロホがケツァル少佐のカードを預かり、カウンターへ行った。

「精算してくれ。」

 バーテンダーではなく、店の支配人が素早くカードを受け取り、レジを打った。カウンターの少し離れた位置で、グラシエラがもたれかかって彼を見ていた。顔もルックスも身のこなしも一部の隙もない「完璧な王子様」だ。ロホが視線に気がついてこちらへ顔を向けかけたので、彼女は急いでトレイを持ち、バーテンダーが上げたグラスを載せた。客のテーブルに歩いて行きながら、彼女は少しばかり幸福を味わった。
 文化・教育省に行けば彼が働いている。それは承知している。しかし、用もないのに出かけて行って彼の業務を邪魔すれば、絶対に姉様に叱られる。しかし多分、姉様は休日に彼女がロホと話をしたり、デートすることは止めないだろう。問題は兄だ。兄とロホは仲良しだ。しかし、兄は彼女が軍人と交際することを嫌がる。己が軍人だから、危険と常に隣り合わせで働く男と妹を付き合わせたくないのだ。それに兄とロホの仲が、彼女が原因で拗れてしまうのも嫌だ。
 客にグラスを配り、彼女は顔を上げた。大統領警護隊は店を出て行くところだった。最後尾にいたテオ先生が、手を振ってくれたので、彼女も振り返した。
 姉様とテオ先生に何とか兄を説得してもらえないだろうか、とグラシエラは考えた。だが兄は、姉様に失恋したばかりだ。今、この話題を出すのは拙いかも知れない。
 バーテンダーがカウンターの向こうで呼んだので、彼女は急いで戻った。もう少し様子をみよう。ロホはまた店に来てくれるだろう。彼女がここにいると知ったのだから。
 大統領警護隊文化保護担当部は、帰りの車の配分を変更した。ケツァル少佐は彼女のベンツのハンドルを握り、ロホ、デネロス、ギャラガを乗せた。テオの車はアスルだけだ。アスルはテオの車に乗ると必ず寝てしまう。喋ることがないからだ。しかし話し相手がいない運転は睡魔を呼び込む。テオは満腹と疲れの攻撃に抵抗しながら、市街地に向かって走った。少佐のベンツは陸軍基地を大きく迂回して、大統領府の方向へ去った。先に大統領警護隊の官舎にデネロスとギャラガを送り届けるのだ。
 テオはマカレオ通りに向かって運転した。ロホもマカレオ通り北部に住んでいるが、何故か少佐は彼をベンツに乗せた。彼女の意図を何となくテオは察した。
 どうにか無事に自宅駐車場に車を乗り入れることが出来た。エンジンを切ると、アスルが目を覚ました。もう着いたのか、とブツブツ言いながら、彼は先に車を降りて玄関へ行った。いつもの様に鍵なしでドアを開けようとして、彼は動きを止めた。隣家の人が外へ出て来たのだ。長屋の住民達は、ドクトル・アルストが軍人とルームシェアしていると知っていたが、実際にアスルを見かけることが滅多になかった。アスルはさりげなく胸の徽章を手で隠し、隣人に「ブエナス・ノチェス」と言った。隣人はニッコリ笑って挨拶を返した。そしてテオとアスル、どちらへと言うこともなく、言った。

「昨日から何処かへ出かけていたのかい?」

 テオが愛想良く答えた。

「軍事演習があるって言うので、見学に行ったんだ。」
「そうかい、軍人さんも土曜日だって言うのに大変だね。」

 また明日、と言って隣人は車に乗り込んだ。
 テオが鍵を出して、ドアを開けた。家の中に入るなり、アスルはバスルームに駆け込んだ。テオはドアを閉め、アスルが玄関に置きっぱなしにしたリュックをリビングまで運んだ。くたくただったが、コーヒーを淹れた。コーヒーが出来上がり、彼がカップに注いで飲みかけたところへ、アスルが濡髪のまま現れた。勿論服も着ていない。

「シャワーの湯が出ないぞ。」
「また故障か・・・明日修理する。」
「俺は冷水でも平気だが、あんたは嫌じゃないのか?」
「今日は水で構わない。暑いし、体もくたくただ。」

 アスルは彼の部屋となった客間へ入って行った。テオはコーヒーを飲み続けたが、アスルが戻らないので、ポットとカップだけテーブルに残して、自分の部屋から着替えを取ってバスルームに入った。
 入浴後にテーブルを見ると、ポットとカップはそのままだった。アスルは寝てしまったのだ。


 

0 件のコメント:

第11部  紅い水晶     19

  2台目の大統領警護隊のロゴ入りジープがトーレス邸の前に到着した時、既に救急車が1台門前に停まっていた。クレト・リベロ少尉とアブリル・サフラ少尉がジープから降り立った。2人は遊撃班の隊員で、勿論大統領警護隊のエリートだ。サフラ少尉が一般にガイガーカウンターと呼ばれる放射線計測器...